蜥蜴の迷宮 PART 1 第三章
第三章 けし畑(けしはた)
罌粟(けし)はたの向うに湖(うみ)の光りたる信濃のくにに目ざめけるかも
この歌は斎藤茂吉の作で、歌集『赤光(しゃくこう)』に収められている。その詞書(ことばがき)には、
「七月三十日夜、信濃国上諏訪に居りて、伊藤左千夫先生逝去の悲報に接す。云々」とある。
この歌を読むたびに私は奇異な感覚にとらわれる。茂吉が、その師、左千夫の死をいたんでよんだものであることは明白だが、私は、つい、個人的な体験を重ねてしまうのだ。私は、けし畑の中を歩んだ。そして今、早朝の湖岸までたどりついたわけだが、前述のように、私の場合、そこで目覚めたのは悲嘆と鬱情だった。今、この三十一文字をながめていると、あの朝、目覚めたのは茂吉そのひとの左千夫をいたむあまりの慟哭ではなかったか、とも思えてくる。
それが私の妄想であるのは、わかりきったことだが、運命の共鳴こそ読書の楽しみである。文学史家でもない私は、茂吉の生涯をあるがままに研究する必要を認めない。私自身のいたしかたない要求が私を読書にかりたてるのだ。
いや、今は詩文の豊潤なイメージが与えてくれる慰謝にとどまる時ではない。私は再び殺伐たる荒野にかえらねばならない。
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