彼女の怒りは間違いより嘘だった
夕食の配膳で、病棟が慌ただしくなる時間帯のことだった。
患者さんへの配膳間違いがあり、ある職員がそれに気づいた。
「誰が配ったの?」
そう聞かれた介護職員Aは、少し離れたところにいた看護師を指差して、
「あの人です」
と言った。
しかし、その看護師に確認すると、
「私は配っていません」
という。
そこで、看護室のモニターを確認することになった。
すると、そこに映っていたのは、配膳をしている介護職員Aの姿だった。
さすがに、認めざるを得なかった。
今回の間違いは、全粥の患者さんに普通食を配ってしまったというものだった。
夕食時は、何人もの患者さんに次々と食事を配る。
忙しい中で、誰に何を配ったのか、すべて覚えていないことだってある。
だから、介護職員Aも自分が配ったことを覚えていなかった可能性はあると思う。
間違いだって、誰にでもある。
私だって間違える。
でも、わからないなら「わからない」と言えばいい。
確かめないまま誰かを指差して、
「あの人です」
と言ってしまうのは違うと思った。
忙しいからこそ、患者さんの名前を確認してから食事を渡す。
それでも間違いが起きてしまったら、なぜ起きたのかを振り返り、同じことを繰り返さないようにすることが大切だ。
そのために、ヒヤリ・ハットやアクシデント記録がある。
正直、書くのは気が重い。
「自分が間違えました」と認めるようなものだから、できれば書きたくないと思う気持ちもわかる。
しかも現実には、
「あの人、昨日こんなことがあったらしいよ」
と話が広がってしまうこともある。
それでも、本来の目的は誰かを責めることではない。
起きたことを共有して、同じ間違いを繰り返さないためだ。
間違えた人を責めたり、面白おかしく広めたりするのではなく、再発防止に生かせればいいのにと思う。
でも今回、看護師が烈火のごとく怒ったのは、配膳を間違えたことではなかった。
「もう、あの人とは一緒に当直をしたくない」
自分がしていないことを、
「あの人がやった」
と言われたことに怒ったのだ。
私もその場では口に出さなかった。
でも心の中では、
「私も、この人と一緒に仕事をするのは嫌だな……」
と思った。
間違えることは、お互いにある。
でも、自分がしていないことまで「あなたがやった」と言われるかもしれない。
そう思うと、安心して一緒に仕事をするのは難しい。
師長は介護職員Aに、
「誰が配ったのかわからないのに、人に責任をなすりつけないこと」
と伝えた。
そして、
「もう二度としない」
と約束したことで、その場は何とか収まった。
子どもでもあるまいし、
「わからないことを人のせいにしない」
と約束しなければならないことに、私は少し複雑な気持ちになった。
間違いは誰にでもある。
私だって間違える。
だから、間違えたこと自体を責めたいとは思わない。
ただ、わからないことを誰かのせいにするのは違う。
あの日のことは、今でも忘れられない。

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