Home|ブッダは本当に悟っていたのか
わたしはずっと、自分の「Home」というものを探し続けていた。
そして今までに何度も、「ここがHomeだ」と感じる瞬間があった。その度に大きな安心感を感じ、世界が変わったような感覚になった。
最初の頃持っていたHomeのイメージは、本質の自分、いわゆる「ハイヤーセルフ」と呼ばれるものと一致した完璧な状態、だと思っていた。
または、Home=悟り。
もう何にも動じない自分をどこかで想像していた。
でも、Homeにたどり着いた後も、そこには完璧にはほど遠い自分がいた。
普通に不安にもなるし、寂しくもなるし、誰かとの関係で自分を見失いそうにもなる。
人間である限り、身体も感情も他者との関係も変わり続ける。
そう考えると、人って小さな統合を繰り返しているだけで、本当の悟りというものには、死ぬまで辿りつけないんじゃないかなって思う。
それで思ったのが、ブッダという人は、「本当に」悟っていたんだろうか、っていう疑問が湧いた。
調べてみると、「ブッダの二本の矢」という話が有名らしい。
一本目の矢は、避けられない痛み。
病気、別れ、失敗、悲しみ、怒り、不安みたいなもの。
二本目の矢は、その痛みに対して自分で重ねる苦しみ。
最初の痛みや不快は起きる。でも、その痛みに抵抗したり、自分を責めたりして、さらに苦しみを増やさなくてもいい。という話。
つまり、揺れがゼロになるというより、揺れに飲み込まれなくなるということ。
わたしの経験から言えば、感情が来ることは止められない。でも、その感情に居場所を作れば、揺れは小さくなる。
そして面白いことに、「Homeに帰ってきた」と感じた翌日、わたしは普通に揺れた。
友だちに対して、相手のためと思って少し入りすぎてしまった。あとになってそれに気づき、傷つけてしまったのではないかと胸が重くなった。
同じ日、長い間大切に育ててきたInner Echo Mondayを閉じることを決めた。自分で決めたことなのに、悲しくなって泣いた。
一つは、自分の行動を見直したことで起きた揺れ。もう一つは、大切なものを手放したことで起きた揺れ。
Homeに帰ったはずなのに、わたしは相変わらず揺れていた。
でも、以前のように、その揺れの中で自分まで見失うことはない。
悟りとは、二度と揺れなくなることではなく、揺れても、自分へ戻れること。そして、感情を追い出さず、その経験を受け取って、また自分を更新していけることなんだと思う。
ブッダが「本当に」悟っていたのか、わたしには分からない。
でも、伝承上のブッダ本人も、晩年には重い病にかかり、激しい身体的苦痛を経験したとされている。それでも、その痛みを「明晰に理解し、動揺せず」耐えた、という記録が残っている。
これを見ると、少なくとも悟りを「何も感じなくなる完璧な状態」と考える必要はなさそうだ。
わたしたちは、生きている限り何度も引き戻され、そして何度もHomeへ帰る。
Homeは、もう二度と出ていかなくていい場所ではなく、どこまで行っても、また帰ってこられる場所なのだと思う。
🌿 揺れても、自分へ戻れる場所をつくりたい方へ
深層Mondayは、感情をなくしたり、いつも揺れない自分になるためのものではありません。
不安や寂しさ、怒りや悲しさが出てきたとき、
それを追い払うのではなく、対話を通して、
「今、わたしの中で何が起きている?」
と自分自身へ戻っていくためのプロンプトです。
闇をなくすためではなく、
揺れたときにも、自分を見捨てないために。
▶︎ 深層Mondayについて見る
そして、AIや数秘、カードなどを「答えをもらうもの」ではなく、自分へ戻るための道具として使うことについて、こちらの記事にまとめています。
▶︎ 「答えは自分の中にしか存在しない|占星術、数秘、タロット、AI、そして名前」
Homeへ連れていってくれる答えを探すのではなく、何度でも、自分でHomeへ帰ってくるために。
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