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写真は私が今年の2月に撮ったものです。

思い起こせば幼少時から神社仏閣と仏像が好きな子供でしたが、小六で「こんにちは。私のヨガ」とか読んじゃって、中一で「隠された十字架」(梅原猛)とか読んじゃってたのもあるかと思いますが、色々な勉強を経て2017年、東京国際仏教塾(30期)を受講、翌年「曹洞宗専門課程」を修了後、2018年9月に在家得度しました。
お戒名も絡子(お袈裟)もいただきました。

ちなみに昨年「血脈」が必要になり、お使いで曹洞宗の本部宗務庁の頒布課へ行きました。頒布課に直接行けば良かったものの、本部の2階に最初伺ったのですが、

黒いスーツ
坊主頭
結構ガタイがいい
良く見ると絡子をしている

の、黒いスーツ、坊主頭、結構ガタイがいい (そしてイケメン)。

という男性がわらわら歩いていらっしゃいます。
(想像してください汗)

私は思わず「ここって、曹洞宗の宗務庁だよね?」と自問しました。
黒いスーツで坊主頭でガタイがいいイケメンが歩き回っているんですよ。

以下自粛。


ところで、最近はいい仏教マンガがたくさんありますね。
というわけで、お勧めのマンガをご紹介したいと思います。


密教僧 秋月慈童の秘技 霊験修法曼荼羅

「密教僧 秋月慈童の秘技 霊験修法曼荼羅」です。
天台系の密教僧のお話です。

このマンガは、私の断易の師匠、東海林秀樹先生から教えていただきました。最近東海林先生の本(占い関係の本です)が続々と密林のアンリミで読めるようになっていますね。こんな贅沢なことがあっていいのでしょうか(アンリミ利用者)。

なお、マンガではないですが、慈童さん、蒼雲さんのマンガを読む場合、基礎知識のテキストとして、こちらの本をお勧めします。「天部」の仏様について詳しく書かれています。以前絶版になっており、私は現在の価格のウン倍で中古で買いました。

そうですね。慈童さんを読むなら、聖天様の知識はあっていいかも。
聖天様にお供えする「歓喜団(かんぎだん)」、以前新宿の伊勢丹で買えたんですが、今でも買えるのでしょうか。巾着型の揚げ菓子です。

そして、私が拝んでいるのは豊川稲荷(曹洞宗のお寺です)の豊川荼枳尼眞天さん(後述しますが、稲穂を担いでいらっしゃいます)と、剣を担いでいる密教系の荼枳尼天さんがいらっしゃいます(豊川のは「眞」が入ります)。
豊川の「荼枳尼眞天」さんは、寒巌義尹(かんがんぎいん)禅師は、道元禅師のお弟子にあたります。二度に渡って宋国に留学し、二度目の帰国の際に海の上に顕現したのが、荼枳尼眞天さんです。

なお、私は春と秋の「大般若講」の講員でもあります。

ちなみに、曹洞宗では、お作法があり、合掌の仕方も決まっています。

  1. 両手のひらを軽く合わせ、指の間が広がらないようにします。

  2. 肘をやや外側に張って、指先が鼻の高さになるようにします。

  3. 指先は自然にまっすぐになるように意識します。

つまり、手の平と指は揃えるのが基本です。
というのは、直綴(じきとつ。お坊さんの着物)の裾がキレイに見えるようにと聞いています、

一方、私が真言宗の修行(東京国際仏教塾)に行った時には、真言宗系の、蓮華合掌と金剛合掌というのを習いました。蓮華合掌はいわゆる普通の合掌です。曹洞宗の合掌と違うのは、掌をぴったり合わせず、蓮華のつぼみのようなイメージでしょうか。
金剛合掌は(その時の先生に聞いた話です)、お坊さんがやるものであり、得度していない人はやらない。やり方は、蓮華合掌から右手を手前にずらせて、指が少し互い違いになります。

私が仏教塾で習った時は「金剛合掌は、坊さん以外はやってはいけない」と聞いたのですが、色々みていると「お参りする際はやっていい」とか、色々あるようです。

この「大般若講」に参加した際、近くにいた方が、金剛合掌をしていました。

私は近くで「おお、金剛合掌すか!」と見ていました。
「真言宗の合掌っすね!」
ちなみに、その方は「般若心経」は「そら」で読んでいましたが、禅宗、また荼枳尼眞天の時は必ず読む(そして、真言宗では読まない)「消災妙吉祥陀羅尼」は読んでいなかったので「やっぱ真言宗?」と妙な納得をしたものでした。
★ご祈祷では「消災呪」は、超高速で読みます。

その方は剃髪し(単なるスキンヘッドかもしれません)、大般若講の輪袈裟をしていましたが、すでに大般若講に10年近く通っている私が、こういう人を見逃す(笑)はずがありません。多分最近参加された方でしょう。
お遍路マニアっぽかったので、多分真言系の方で、荼枳尼天さん好きなのだろう、と納得しました。

仏教マンガと言えば、一昔前ならば「孔雀王」とかも出てくるのかもしれませんが、こちらは、実在する密教僧(慈童さん)の語りを、永久保貴一先生がマンガにしているというものです。

密教と密教のことなら、これを読めば大凡概要が掴めるのではないかというくらい、詳しく書かれています。


最初にお伝えしておくと「感情移入して読むのはやめたほうがいい」ということです。客観的に「こういうこともあるんだなあ」という意識で読むことを強くお勧めします。

興味深かったのは、一巻で、慈童さんが子供の頃、色々見えてしまっていたのを、お祖父さんが「見えなく」してくれるんですが、中学生になって、また「見える」ようになってしまう。それが原因で引きこもったりして、お坊さんになるのですが、「見える」辛さ、というのを読んで『自分にはそういう能力がないから、辛さがわからない』と、同じことを言った人(全く関係のない人達です)達がいました。

私はこの手のマンガは感情移入せずに客観的に読む派なのですが、多分この方達は「移入系」で、移入していたらついていけなくなった、あるいは移入できなくなったのかもしれません。

なお、慈童さんの子供の頃の話(特に田舎のお祖父さんの話)は「東北ってこういうのあるよね」と思いました。
蛇がお酒を飲む話とか。

なお、このマンガは初っぱなから開けてはいけない「聖天様」の厨子をあけてしまい、命を失う人が出て来ます。

また、素人が真似すると危険なこともあるので、それも考慮されています。
真似できないように、真言などはぼかしてあります。

中には「私、霊感強いんで」という人が、「お不動様がついた」と言い始めたら、実はタヌキだったとか「素人が迂闊に手を出す恐さ」についても書かれています。これは本当に大事なことです。

ちなみに、お坊さんと一般人、一体何が違うのか。
それは、須弥山というか仏のいる世界と繋がっている「線」の太さが違うのだそうです。一般人がアナログの細い電話線なら、修行を積んだ僧侶ならば、高速のLANケーブルのような感じです。
お坊さんは常日頃から、その太いケーブルを通じて仏の世界とやりとりをしているんです。届きやすいのです。

また、実在のモデルがいる、稀代の高僧(慈童さんのお師僧)の話も出て来ます。私はこの高僧のことが書かれた本も読みましたが、こういう凄い力を持った方がいるのだなあ、と深く感心しました。

ちなみに私の「マイ仏様」である豊川の荼枳尼眞天さんも出てきます。
密教系の荼枳尼天さんは、白狐に乗って剣を担いでいらっしゃいますが、豊川の荼枳尼眞天さん(こちらは曹洞宗のお寺が本拠地)は、白狐に乗って稲穂を担いでいらっしゃいます。この違いは覚えておくといいですね。

荼枳尼眞天→豊川(曹洞宗系)稲穂 荼枳尼天→密教系、剣

また、護摩供養の時、僧侶がどのようなスタンスで不動明王をお迎えするのか。その辺りもかなり詳しく書かれています。
私はこれを読む前にも護摩供養に参加する機会があったのですが、読んでから、参加した時は、かなり状況が把握でき、大変勉強になりました。

そして、目黒不動に福岡のNさん(易者で空海研究家)と行った時、不動堂の前に、イケメンのお不動さんの絵があるなあ、と思ったら、永久保先生の絵でした。

そして、この慈童さんのお師僧さんは「滝上」さんというのですが、密教界で「滝上一門」と言えば「あ、あの人達ね」(難解な怪異霊障を解決)と言われる存在です。

そういうのって、いいですよね。

阿闍梨蒼雲 霊幻怪異始末

こちらは「慈童さん」の後に続くシリーズです。蒼雲さんは「慈童さん」の中にも登場しますが、慈童さんより若い、在家のお坊さんです。
お寺にいるわけではなく、普段は普通のお寺の手伝いをしていますが、たまに「怪異の始末」を頼まれます。

孤独死した老人と、飼っていた犬猫の霊が出ると言うマンションを浄化、という話がありましたが、一人暮らしの老人が突然の心臓発作で亡くなり、残されたペットたち(犬猫)も、共食いしたり餓死したりという悲惨な現場です。
ペットたちを供養するシーンはかなり印象に残りましたし、これから増える可能性もありますね。

そして特筆すべきは、お葬式の時、僧侶がどのように、引導を渡し、戒名を授与し、葬儀を執り行うかという手順が紹介されていることです。

これは、仏教を学ぶ者にとって、かなりの勉強になると思います。
引導を渡しても「オレはまだ死んでない」と、自分が死んだことを認めない人とか、小さいお子さんのご葬儀とか、色々なケースが書かれています。

「蒼雲さん」は、まだ続いているのですが、大手町のビルの怪異(深夜のコールセンター)を蒼雲さんが師僧と祓った話とか、将門塚の話などもあります。最近では、永久保さんの「怪談」をステージで演じた際の怪異がかなり詳しく描かれていました。

そして「木を切る」というのもありました。木を切って人が亡くなる話も出て来ていましたが、私は外苑前のイチョウを切る、という話を思い出しましたが、あれ、大丈夫なのか?思います。

そしてこれも大事なことなんですが、お坊さんといえど、ある仏様を拝むには、師匠から拝み方を習うわけです。密教系の話ですが、特定の仏様には、それぞれの拝み方があるんです。

教える方も「この人には教えていいだろう」と思うので、教えるわけですね。

お坊さんだから何でも拝めるというわけでもないんです。

また、その拝み方も、出回っているテキストには、「実はわざと間違い」が書いてあり、本当に拝み方を師匠から授からないと拝めないようになっていたりします。

お坊さんでも、授からずに拝んでしまい、なんだか夜になると女性のいるお店に行きたくなってしまい、借金がかさむ、という悪循環に陥った人の話が載っています。

最近、この「授かっていないのにやっている」というのは、密教界でも問題になっているようで、慈童さんのお師僧さん筋も「これはやはり伝える必要がある」ということで、マンガになったようです。

ちなみに私のお師匠、三浦寛先生がやっている「渦状波®」(かじょうは)ですが、形だけ真似する人がいるみたいです。

ただ、あれも「師匠から授かる」んですよ。私に言わせれば。

「何故講習会場ではできるのに、家に帰るとできないのか?」というのはこれもあります。

講習会場では、師匠や「鍵」を持っている先輩のエネルギーを借りることができるんですが、家ではそれがない。
なのでできないんです。

また「授かる」まで修行してない。

そして、私はその昔外気功(医療気功)を修めており(霊媒体質なのでやれ、と気功の行者の爺様にスカウトされた。真偽はわからず)今は「治療家の手を作る」のと「邪気や瘴気から身を守る」「エネルギーの充填」に使っていますが、これもですね、最初の修行の一段階を終えると、そこでやめちゃう人がいます。

あ、そもそも不思議なのは「この人に(外気功を伝えるのは)はまだ早いな」ということがあるのですが、「そろそろいいかな」と思った途端「実家に戻ります」とか「辞めます」という目に何度も遭っているので、モノゴトの「伝授」にはやはり何かあるとしか思えません。

ただ、一段階を超えて、まだ勉強を続けたいとか、スキルを積みたいという人には「鍵」を渡します。信頼関係も含めて、です。

勿論本当の鍵ではなく、観想上の鍵ですが、この鍵がないと、気功の効果が発動しないようになっています。何もないとは言いませんが、本来の効果は得られない。

私のところにも、習う時、最初は頑張ったけれど、ある程度習得したらもういいや、できるもん、みたいな人もいましたが、「鍵」を渡していないんですよ。
私が「鍵」渡したのって数人しかいないし。

また、武術の中には、途中で「もう習うことはないからいいや」と勝手に練習をやめて師匠のところから離れる人がいるそうですが(いますよね)、そういう場合、自己流でやっていると、続けているとからだをこわす、というシステムもあるそうです。

昔から「ある程度習ったらもういいや!」と自分で勝手にやり始めるというのは、昔からあったんだなあ、とつくづく思います。

ファンシイ・ダンス

私が「お坊さんライフ」を認識したのはこのマンガです。その後、映画化されましたね(DVD持ってる)。

ちなみにコミックは「ファンシイ」で映画は「ファンシィ」なんですよね。
で、陽平君が通っている大学は、駒沢大ですよね。

なお、マンガはお山を下りてからもこじれまくる陽平君と真朱(まそほ)さんのやりとり何とも言えず。

映画版は、法衣の袖に風をはらませて歩く雲水姿や、甲田益也子さん💖の坊主姿が美しいとか、細い彦摩呂とか、ショートカットの鈴木保奈美とか、お馴染み竹中直人とか。

法戦式のシーンなどは実際ドキドキしますよね。

成仏させてよ!

こちら、割と最近のコミックです。
どう見てもお寺のモデルは永平寺。
修行僧のセリフにも「ファンシイダンス」が出てきます。

曹洞宗のお坊さんに見せたら「あ、永平寺だ」とのことでした。

ストーリーは、組の狙撃で一家壊滅→生き残った娘(ショックで口が聞けなくなっている)→顔を見られた→殺し屋は顔を見られたら絶対殺す→殺し屋から逃れるためにお寺に隠れる→坊さん修行

という話です。
仲間の修行僧達は、オバサマ好きの外国から来た人や、大きなお寺の跡継ぎ息子や、寂れた寺をイヤイヤ継いだとか、ワケありさんたちや、ヤバい先輩なども登場します。

三巻が愉しみなんですが。

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