誰が、何が、私を死に追いやったのか。
私は昨日、死のうとしました。
睡眠薬を飲みました。
痛み止めも飲みました。
そして首を吊ろうとしました。
思うようには死ねませんでした。
自分で救急車を呼び、今、病院のベッドの上にいます。
医師から言われました。
「飲んだ薬は比較的安全性が高いものだから、身体への大きな後遺症はないでしょう。」
助かったことに安堵する一方で、私は別のことを考えていました。
身体は助かっても、私をここまで追い詰めたものは、何だったのだろう。
私は貧しい家庭に生まれました。
家にはガスがありませんでした。
お風呂は水風呂。
電気も最低限で、テレビもありません。
首都圏とは思えない生活でした。
でも、本当に苦しかったのは貧しさだけではありません。
親は、私を一人の人間ではなく、自分たちの人生をやり直すための存在のように扱いました。
殴られました。
「しつけ」という名目で。
家に入れてもらえない日もありました。
食事を与えられない日もありました。
そして、「死ね」と言われながら育ちました。
高校生のとき、私は自分で児童相談所へ助けを求めました。
施設から高校へ通いました。
卒業後は就職し、一人で働いてきました。
親とは縁を切りました。
私は、生きるために家族を失いました。
今日、警察の方から電話で言われました。
「親御さんを頼ってください。」
「行政機関も頼ってください。」
「もうこんなことはしないでください。」
きっと善意だったのだと思います。
でも、親を頼れないから今がある。
その親から逃げるために、私は家を出た。
その事実は、簡単には伝わりません。
私は、自分が弱かったから死のうとしたのでしょうか。
努力が足りなかったのでしょうか。
違う、と言い切れるほど強くはありません。
でも一つだけ確かなことがあります。
人は、一つの出来事だけで死のうとはしません。
積み重なったものがあります。
家庭環境。
虐待。
孤独。
働きながら生き続けることへの疲弊。
「頑張れば何とかなる」と言われ続け、それでも何ともならなかった現実。
そういう一つひとつが積み重なって、最後の一本の糸が切れただけです。
だから今も考えています。
私を死に追いやったのは、誰だったのか。
親だったのでしょうか。
社会だったのでしょうか。
病気だったのでしょうか。
それとも、私自身だったのでしょうか。
まだ答えは出ません。
でも、一つだけ願っています。
この文章を読んだ誰かが、「死にたい」と口にする人を、「弱い人」ではなく、「そこまで追い詰められた人」と見られる社会になってほしい。
私は、その答えを探すために、もう少しだけ生きてみます。
