私たちは、見たいように世界を見ている——認識論という考え方
同じ出来事を見ていたはずなのに、
人によって、まったく違う話になることがある。
「あの人は冷たかった」
「いや、そんなつもりはなかったと思う」
どちらかが嘘をついているわけではない。
ただ、同じものを見ても、
私たちは同じようには受け取らない。
そこには、それまでの経験や感情、
相手との関係性や、思い込みも入り込む。
哲学には「認識論」という分野がある。
簡単に言えば、
私たちは、世界をどのように知っているのか。
そして、それを本当に「真実」と呼べるのか。
そんなことを考える学問だ。
『スター・ウォーズ 反乱者たち』に、こんな言葉がある。
「君は、聞きたいことを聞き、信じたいことを信じたのだ」
この言葉が妙に心に残った。
人は、自分が見たものを信じているようで、
実は「自分がそうだと思ったもの」を見ているのかもしれない。
たとえば、沈黙。
親しい人との沈黙は、
心地よい余白や「間」に感じる。
言葉がなくても、落ち着いていられる。
けれど、そこまで親しくない人との沈黙は、
同じようには感じない。
何か話さなきゃ、とそわそわしたり、
その時間を重苦しく感じたりする。
そこにあるのは、
同じ「沈黙」なのに。
違っているのは、沈黙そのものではなく、
それを受け取る私たちの側なのかもしれない。
だとしたら、
「私は正しい」と思ったときほど、
少しだけ立ち止まってみてもいいのかもしれない。
これは事実なのか。
それとも、
私がそう見ているだけなのか。
世界そのものを変えることは難しい。
けれど、
自分がどんな眼鏡をかけて世界を見ているのか。
それに気づくことはできる。
認識論なんていうと難しそうだけれど、
案外それは、
私たちが毎日の中で何度も向き合っている問いなのかもしれない。
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