子育てという推し活
私にとって、子育てというのは、
売れない新人歌手をずっと応援し続ける、
壮大な推し活だ。
デビュー当時(0歳)は、お客さんが私ひとりしかいない、正真正銘の無名歌手だった。
歌う曲といえば「ギャン泣き」の一曲のみ、
しかも一日中エンドレスリピート。
それでも親という最初で唯一のファンだけは、
オムツ替えという裏方仕事をこなし、
離乳食という手作り差し入れを毎日献上した。
夜泣きも謎の高熱も「これも応援のうち」と自分に言い聞かせて乗り切った。
「この子はいつか世間を魅了する!」
誰も見向きもしない最前列で、
私だけが命がけでペンライトを振っていた。
しかも幼児期には「お母さん、大好き❤️」
を毎日連呼してくれるボーナスステージ。
今思えば、あれが全盛期の神対応だった。
月日は流れて、気づいたら推し(息子)は
私の知らない大きなステージ(大学)へ。
しかも、未だに自宅から毎日そのステージに通っている。
物理的な距離はすぐそこにあるのに、
心理的な距離感の遠さといったら…。
家という同じ空間にいるはずなのに、
彼の頭の中は新しい音楽(友人関係や講義)でいっぱいで、私との会話は秒で終了する。
…私、一番近くで歌声を独り占めしていたはずが、いつの間にか「一番近いのに一番遠いファン」に降格してない?
今や話しかけるのすら気を使う存在になってしまった。
しかもタチが悪いことに、
ふいに「やっぱりお母さんの作る飯が一番だわ」
なんて、こちらの母性を一撃で貫く爆弾を落としてくる。
「んもう、しゃあないな、今夜の唐揚げは山盛りにしちゃう❤️」
秒で冷蔵庫に走る自分のチョロさ。
これが親という沼の恐ろしさよ。
小さな舞台でくすぶっていた頃は遠い昔となり、推しは見事メジャーデビューを果たした。
今日もスマホをいじる背中に
「ちゃんと寝てよ」と言いかけて、
うざがられるのがオチだとそっと飲み込む。
無名時代から応援してきた身としては、
この先もひっそり推し活を続けるつもりだ。
