受け取り方ひとつで世界は変わるー親だけが悩んでいた、あの頃の話
何でもそうですが、受け取り側次第で捉え方は変わるということを実感した出来事があります。
娘が小学生一年生の頃の話です。
当時、娘はお友達から色々とされていました。具体的に何をされていたのかを書くと、今でも私が苦しくなるので控えますが。
入学して1週間程、恥ずかしながら私は全く気づかず、みんなで仲良く通っていると信じて疑いませんでした。けれど、ある日偶然その現場を目撃してしまいました。家でさりげなく娘に聞いてみると、『いつものことだよー』とあっけらかん。
違う学校に通うママ友に相談してみると、『実は私も見たことがあって…』と教えてくれました。知らなかったのは母親の私だけだったようです。
『それってイジメだよ?』
薄々自分でも感じていましたが、そのママ友から言われて、現実を受け止めた気がしました。
主人に話してみると、『子供の世界に親が口を出すのはやめた方がいい』と言われました。でも、私は母親です。『このことがきっかけで学校に行けなくなるかもしれない』『私は親としてどうしたらいいのだろう』と、そんな思いに心は囚われていました。
とはいえ、私自身、事を荒立てたいわけではなく、何よりも『娘がどうしたいのか』がわかりませんでした。だから、見守ることに徹し、口出しはしませんでした。本音を言えば、口を出したくて仕方ありませんでした。
現場を見た日の娘は、泣きそうな時もありました。でも家でおやつを食べたら、ケロッとしていて何も言ってこない。だから、私からも何も聞けませんでした。
親の忍耐力を試されているようでした。
『もしかして、私には言えないのかもしれない』
『私に気を遣って、平気なふりをしているのかもしれない』
そうやって勝手に思い込み、自分で『母親失格』のレッテルを張り、悩み続けていました。そして、そんな娘が健気に思えて、急にギューッと抱きしめたりしていました。
一方で、相手の子ども達はというと、何度か見かけるたびに、くったくなく『◯◯ちゃんのおかあさーん!』と私に手を振ってきます。そのたびに、小学一年生が相手とは言え、苦しくて仕方ありませんでした。
でも、ふと思いました。
『もしこのことが原因で、娘が学校に行きたくないって言ったら、どうなるんだろう?』
そこから気づいたこと。
『何か起こったとき、それが”大ごとかどうか”は、”起きた事実”ではなく、”起きた事実に対し、受け取り側がどう受け取るか次第”。』
たとえば、肩をポンとされたことでも、された側が『嫌だった』と感じれば、それは“いじめ”になります。逆に、仲間外れにされたとしても、された側が『気にしていない』と思えば、それは“いじめ”にはなりません。
それから数年が経ちました。今では、娘はその子たちともうまくやっているようで、私も『あの頃は色々あったよねー』なんて、笑って話せるようになりました。
昨日も娘に話したところです。
私『一年生の頃、色々あったよねー』
娘『え?何かあったっけ?』
拍子抜けとはこのことです。
えええええ?
どうやら『受け取り側(娘)』は、そもそも何も受け取っていなかったようです。振り回されていたのは、もう一人の『受け取り側(私)』だけでした。
どうしても、マイナスな方向に考えてしまう私にとって、あっさり流してしまう娘が、ちょっと羨ましく思えた瞬間でした。
大事なことまで流してしまう娘ですが。
母親失格だってレッテルを貼ったのは私。
そしてそれで苦しんだのも、やっぱり私。
子育てって、本当に難しいです。
でも、今回のことで私は一つ、子育ての経験値が上がったように思います。
物事は、受け取り方一つで良くも悪くもなる。
結果が変わらない。だったら、少しでも『良い方』に捉えられたら、きっとその方が生きやすい。
そう思えるようになりました。
もちろん、簡単なことではありません。
でも私はこれからも、noteの力を借りながら、少しずつ『いいように捉えられるマインド』に近づいていきたいと思います。
ここまでお読みいただき、
ありがとうございました^ ^
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