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50代のキャリア戦略。「勝ちに行く」をやめて「壊れないこと」を選ぶ生き方

プロローグ

正直に言う。

40代の頃、私はある上司に言われた言葉を、今でも忘れられない。

「shiraco、お前はなんで勝ちにいかないんだ。」

プロジェクトの戦略会議だった。私は「リスクを抑えながら、確実に完走する」プランを提案していた。上司は「もっと攻めろ」と言った。「大きく取りに行け」と言った。

私は、うまく言葉にできなかった。

「勝ちにいくことより、壊れないことの方が大事だと思っています。」

そう言いたかったが、言えなかった。なんとなく消極的な人間に見られそうで、怖かった。

それから10年以上が経った。

52歳になった今、私はやっと言語化できる。

私は「勝ち方」にはあまり興味がない。

興味があるのは、「壊れないこと」だ。

これは消極性ではない。

20年かけて辿り着いた、私の思想の核心だ。


一 「勝ち方」と「壊れないこと」は、何が違うのか

最初に、概念を整理したい。

「勝ち方」を追求するとはどういうことか。

それは、競争の文脈の中に自分を置くことだ。誰かより上に行くこと、より多くを得ること、より速く達成することを目標にする。

勝ち方の世界では、「今の自分」は常に不十分だ。まだ足りない。もっと取りに行かなければならない。

これは悪いことではない。短距離走には、短距離走の美しさがある。全力疾走する人間の姿には、確かに輝きがある。

でも、人生は短距離走ではない。

少なくとも、私が生きてきた20年の現場は、短距離走ではなかった。

プロジェクトは、スプリントではなくマラソンだ。組織は、一発の勝利ではなく継続的な機能で評価される。キャリアは、一つの成功ではなく、何十年もの積み重ねだ。

「壊れないこと」を追求するとはどういうことか。

それは、持続の文脈の中に自分を置くことだ。長く機能し続けること、消耗しないこと、10年後もまだここにいることを目標にする。

壊れないことの世界では、「今の自分」は出発点だ。今日の自分が続いていけば、それでいい。

この違いは、哲学の違いだ。どちらが正しいかではなく、どちらが自分に合っているかの問題だ。

私は、後者の人間だった。


二 現場で見てきた、「勝ちにいって壊れた人たち」

私が「壊れないこと」に興味を持つようになったのは、思想から先に来たわけではない。

現場で見てきた、多くの「壊れた人たち」がいたからだ。

一人目は、私が30代の頃に尊敬していたPMだ。仮にBさんとする。

Bさんは優秀だった。プロジェクトを次々と成功させた。昇進した。大きな案件を任された。「勝ち続ける人間」だった。

40代の半ばで、Bさんは燃え尽きた。

ある日突然、「もう無理です」と言って、長期休職した。職場に戻ることはなかった。

後から聞いた話では、Bさんは「勝ち続けなければならない」というプレッシャーを、誰にも言えないまま抱え続けていたという。

二人目は、私が直接関わったプロジェクトのメンバーだ。仮にCさんとする。

Cさんは20代で、エネルギーが溢れていた。「最短で結果を出す」が口癖だった。3つのプロジェクトを同時に掛け持ちした。毎週末も仕事をした。

半年後、Cさんは体調を崩した。復帰まで4ヶ月かかった。

復帰後のCさんは、別人のように静かになっていた。

三人目は、私自身だ。

30代の終わり、あるプロジェクトで「絶対に成功させなければならない」という状況に置かれた。私は毎晩遅くまで残り、週末も出社し、チームへの詰め方も厳しくなった。

プロジェクトは成功した。でも、チームの一人が退職した。「あのプロジェクトでshiracoさんと働いて、PMは辛いものだと思った」と、後から聞いた。

成功したのに、壊れていた。


三 「壊れないこと」は、消極性ではなく、戦略だ

ここで誤解を解きたい。

「壊れないこと」を大切にすると言うと、「消極的な人間」に見られることがある。

挑戦しない人間。守りに入った人間。変化を恐れる人間。

違う。

「壊れないこと」は、最も長期的な戦略だ。

PMとして言えば、プロジェクトの最大のリスクは「完成しないこと」だ。派手な機能より、最後まで動くシステムの方が、圧倒的に価値がある。

完成しないシステムは、どんなに設計が美しくても、ゼロの価値しか生まない。

人生も同じだ。

「壊れないこと」を選んだ人間は、短期では地味に見える。でも長期では、まだそこにいる。

まだそこにいることが、全ての基礎だ。

いなくなった人間には、何も積み上がらない。

勝ちにいって燃え尽きた人間は、その後の10年を失う。壊れないように動いた人間は、その10年で、静かに積み上げる。

どちらが「勝っている」のかは、30年後に見ればわかる。


四 「残業しない」が思想であるということ

私の行動の中に、思想が現れている。

残業しないと決めた。

これを聞いた同僚は「楽をしたいのか」と思うかもしれない。

でも私にとって、残業しないことは思想だ。

「今日の自分を使い切らない」という思想だ。

プロジェクトで言えば、予算を最終日に使い切るPMは失格だ。余裕を持たせておくことで、想定外の事態に対応できる。人間の体力と集中力も同じだ。今日使い切ったら、明日に繰り越せない。

引き算をするようになった。

これも思想だ。「自分が本当に必要なものを見極める」という思想だ。

増やし続けることは、やがて重さになる。会議の数。関わるプロジェクトの数。抱える責任の数。増え続けるものは、いつか自分を押しつぶす。

半径5メートルを好きなもので満たす。

これも思想だ。「自分の目の届く範囲を、まず豊かにする」という思想だ。

世界を変えようとする前に、今日の自分の机の上を整える。今日すれ違う人に、丁寧に接する。今夜食べるものを、少し大切に選ぶ。

これらは全部、同じ思想から来ている。

「壊れないこと」だ。


五 「知識を伝える人」から「人生を伝える人」へ

数年前の私は、「PMとして何を知っているか」を伝えようとしていた。

PMBOK。リスク管理。WBSの作り方。ステークホルダーマネジメント。

これらは有用な知識だ。でも、知識には賞味期限がある。

AIが進化すれば、多くの知識はAIが代替する。プロジェクト管理のフレームワークも、10年後には別のものが主流になっているかもしれない。

でも今、私が伝えようとしているのは、知識ではない。

「20年PMとして、どう生きてきたか」だ。

ウォーターサーバーに張り紙が貼られた日に、組織の老化を感じた話。

カラオケで昔ほど声が出なくなった夜に、足し算の人生から味わいの人生へ変わる話。

転職直後に土地勘のなさで苦戦した話。

娘に「少し間抜けなところで人に助けてもらってる」と言われた話。

これらは、ノウハウではない。

人生の断片だ。

でも人生の断片には、賞味期限がない。

「人は失敗する」は、10年後も変わらない。「人は支えられて生きる」も変わらない。「それでも前を向いて歩く」も変わらない。

知識は古くなる。でも、生き方はにじみ続ける。


六 バラバラに見えて、全部つながっていた

この数か月で書いてきたテーマを並べると、一見バラバラだ。

努力が積み上がる構造。優しいまま壊れないこと。人を責めるより構造を見る。役職より役割。管理しないマネジメント。半径5メートルを好きなもので満たす。イコラブから学んだ組織論。50代の転職で見えたこと。感謝の構造。正しさより善さ。

でも全部、一つの問いに向かっている。

「どうすれば長く、幸せに働き、生きられるか。」

これが私の思想だ。

PMとして20年現場を歩いてきた人間が、最終的に辿り着いた問いだ。

効率の問いではない。最適化の問いではない。「どう勝つか」の問いでもない。

「どう壊れないか」の問いだ。

そしてこの問いは、PMだけに向けられていない。

転職に苦戦している50代に向けられている。組織の中で疲弊しているマネージャーに向けられている。50代になって「これからどう生きるか」を考え始めた人に向けられている。

全部、同じ人間に向けられている。

「長く、幸せに、壊れずに生きたい人」だ。


七 10年読まれる記事の、正体

「10年読まれる記事を書きたい」と思っていた。

その正体が、少し分かってきた。

10年読まれる記事は、知識で書かれていない。

その人の生き方で書かれている。

ウォーターサーバーの張り紙は、組織論の教科書には載っていない。カラオケで声が出なかった夜は、自己啓発本には出てこない。娘に「少し間抜けだよね」と言われた話は、PMの資格試験には関係ない。

でも、これらの話を読んだ人が「それ、分かる」と思う。

「それ、私も経験した」と思う。

「この人の文章を、また読みたい」と思う。

知識を学びに来るのではなく、「またこの人の話を聞きたい」という理由で、人が来るようになる。

それが10年読まれることの正体だ。

ノウハウが欲しいなら、他にいくらでもある。でも「shiracoの話が聞きたい」という人は、他に行けない。その唯一性こそが、長く読まれる理由になる。


八 「人生の断片を書く」ということ

これからは「記事を書く」ではなく「人生の断片を書く」という意識でいたい。

人生の断片とは何か。

それは、今日起きた「小さな違和感」だ。

会議室の空気が重かった。なぜかは言語化できないが、何かがおかしかった。

帰りの電車で、隣の人がスマートフォンを凝視していた。その背中が、少し寂しそうだった。

夜、ふと「自分は何のためにこれをしているのか」と思った。答えは出なかった。

これらは、「記事のネタ」ではない。

でも、これらの断片が積み重なると、やがて「shiracoという一人の50代PMが、どう世界を見ているか」が見えてくる。

そしてその見え方こそが、読者が「またこの人の文章を読みたい」と思う理由になる。

日常の違和感を、捨てない。メモする。寝かせる。やがて言語化する。

その繰り返しが、人生の断片を記事に変える。

記事が積み重なると、思想になる。

思想が積み重なると、本になる。

本が出たとき、読者は「ああ、あの人か」と思う。記事を読んでいた頃から知っている人として。


エピローグ

「shiraco、お前はなんで勝ちにいかないんだ。」

あの言葉を、私はもう気にしていない。

勝ちにいかなかったわけではない。

私は、別のものを勝ちと定義していた。

10年後もまだここにいること。

壊れないまま、走り続けていること。

誰かの「それ、分かる」に、静かに届いていること。

それが私の「勝ち」だ。

競争の文脈では測れない。でも、自分の文脈では明確だ。

20年かけて現場を歩いてきた。炎上案件を立て直した。部下を壊したこともあった。転職で苦戦した。それでも、まだここにいる。

まだここにいることが、全ての基礎だ。

「壊れないこと」を選び続けてきた結果、私はここにいる。

そして今日も、人生の断片をまた一つ、言葉にした。

この断片が、誰かの「それ、前から思っていた」に届くなら、それでいい。

バズらなくていい。10年後に、まだ読まれていれば。

人を責めるより、構造を見る。

優しいまま、壊れない。

それが、私の思想だ。

20年かけて、やっと言語化できた。

本記事を含む一連の記事は、書籍化を視野に入れながら執筆を続けている。


今日からやること、一つだけ。

今日感じた「小さな違和感」を、一行だけメモする。説明しなくていい。「なんか変だった」でいい。その一行が、あなたの人生の断片の最初の記録になる。


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