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「もう遅い」と諦める前に、ものさしを持ち替える|50代から始める「積み上げ」の構造学

プロローグ

正直に言う。

私は五十を過ぎて、ピアノを買った。

正確には、電子ピアノだ。それでも、大人の男が、いい歳をして、と自分で自分に突っ込みながら、こっそり注文ボタンを押した。届いた日、家族が寝てから、ヘッドホンをつけて、そっと鍵盤に触れた。指はまったく動かなかった。ドレミファソでもつっかえる。左手と右手が、まるで別々の生き物のように、勝手なことをする。

三十分ほどで、私は鍵盤の蓋を閉じた。そして、こう思った。

「やっぱり、もう遅かったんじゃないか」

このセリフを、私は人生で何度つぶやいてきただろう。楽器を始めようとしたとき。新しい資格に興味を持ったとき。転職を考えたとき。そのたびに「もう歳だから」が、頭の中でぬっと立ち上がって、私の背中を押し戻してきた。優しい顔をして、いちばん残酷なことを言う。それが「もう歳だから」だった。


一 「もう遅い」と言うたびに、実は何を測っていたのか

あの夜、蓋を閉じてから、私はふと立ち止まった。

「もう遅い」って、いったい何と比べて言っているんだろう、と。

考えてみると、私は無意識に、こういう比較をしていた。ピアノを始めるなら、子どもの頃から習っている人が理想だ。あの人たちは、指がなめらかに動く。何十年も積み上げている。それに比べて、五十過ぎの初心者の私は、あまりに出遅れている。だから、もう遅い。

つまり私は、「若い頃から始めた誰か」を勝手に基準にして、そこから逆算して、自分に落第点をつけていたのだ。

これは、よく考えると、おかしな採点だった。

だって、私はプロのピアニストになりたいわけではない。コンクールに出たいわけでもない。ただ、好きな曲を、下手でもいいから自分の手で鳴らしてみたい。それだけだった。なのに、採点基準だけは、なぜかプロ養成コースのものを使っていた。ゴールは近所の散歩なのに、フルマラソンの制限時間で自分を裁いていた。

私は、間違ったものさしを当てて、勝手に「もう遅い」と落ち込んでいた。落ち込む必要のないところで、律儀に落ち込んでいた。

二 「速さ」で測る世界と、「積み上げ」で測る世界

ここで、少し構造の話をさせてほしい。

世の中には、どうやら二種類のものさしがある。一つは「速さ」で測るものさし。もう一つは「積み上げ」で測るものさしだ。

「速さ」のものさしは、若い頃にはとても有効だ。学生時代、私たちはずっとこれで測られてきた。何歳で何ができるか。同級生より早いか遅いか。誰が先にゴールするか。若さと速さは、相性がいい。だから若い頃は、このものさしで世界を見るのが、当たり前になる。

ところが、五十を過ぎると、このものさしが、急に牙をむく。

速さで測るかぎり、歳をとることは、ただの「減点」でしかなくなるからだ。反応は若い頃より遅い。徹夜はきかない。新しいことの覚えも、昔ほど速くない。速さのものさしで自分を測れば、毎年、点数が下がっていく。そりゃあ「もう遅い」しか出てこない。減点法の世界で、時間だけが進んでいくのだから。

でも、もう一つのものさしがある。「積み上げ」で測るものさしだ。

こちらは、速さを問わない。どれだけ積んだか、どれだけ続けたか、どれだけ深くなったかを見る。このものさしでは、歳をとることは減点ではない。むしろ、積み上げる時間が長かったぶん、加点になりうる。

面白いのは、同じ「五十代でピアノ」という事実が、どちらのものさしを当てるかで、まるで違う意味になることだ。速さで測れば「出遅れた哀れな初心者」。積み上げで測れば「これから何年もかけて積める、幸せな始まり」。事実は一つ。意味は、ものさし次第。

私はずっと、五十代の自分に、若者用のものさしを当てつづけていた。道具を、持ち替えるべきだった。

三 「あと何年ある」ではなく「これから何を積むか」

ものさしを持ち替えたら、頭の中の計算式が、まるごと変わった。

以前の私の計算は、こうだった。「私はもう五十過ぎ。ピアノを一人前に弾けるようになるには十年かかる。そのとき私は六十過ぎ。もう手遅れだ」。引き算の計算だ。残り時間から、必要な時間を引いて、赤字だと嘆く。この計算をするかぎり、何を始めても答えはいつも赤字だった。

新しい計算は、こうなった。「私は今日、ピアノに触れた。一年続ければ、簡単な曲は弾けるかもしれない。三年続ければ、好きな曲を人前で弾けるかもしれない。十年続ければ、それは私の人生の、確かな一部になっている」。足し算の計算だ。今日から何を積めるか、だけを見る。

引き算をやめて、足し算にする。たったこれだけで、「もう遅い」は、静かに消えていった。

そして、ここが不思議なところなのだが、足し算で考えると、速さがどうでもよくなる。

若い頃は速く走れた。それは才能だった。でも、続けることは、才能ではない。設計だ。毎日五分だけ鍵盤に触れる、という小さな設計。速く走れなくても、同じ速度で歩きつづけることはできる。私はこれを、勝手に「巡航速度」と呼んでいる。全力疾走はできなくても、巡航速度でなら、何年でも進める。そして長い目で見れば、全力で走って途中でやめた人より、巡航速度で歩きつづけた人のほうが、ずっと遠くまで行く。

十年後、私はどれだけ上手くなっているか分からない。でも、一つだけ確かなことがある。今日始めなければ、十年後も、私はゼロのままだ。始めれば、十年後には十年分が積まれている。この差は、決定的だ。

四 積み上げてきたものは、消えていなかった

もう一つ、大きな発見があった。

私は「五十代はゼロからのスタートだ」と思っていた。でも、それも間違いだった。

ピアノは初めてでも、私はこれまで、二十年以上かけて、いろんなものを積んできた。仕事で難しい局面を乗り越える力。うまくいかないことを、あわてずに分解して考える習慣。長く続く関係を大切にする感覚。それらは、ピアノとは無関係に見える。でも、実は、無関係ではなかった。

たとえば、ピアノがうまくいかないとき。若い頃なら、才能がないと決めつけて、投げ出しただろう。でもいまの私は、仕事で覚えたやり方を、自然に使う。うまくいかない箇所を、小さく分解する。右手だけ練習する。それから左手だけ。それから両手をゆっくり。一気にやろうとしないで、工程に分ける。これは、二十年の仕事で身についた、私の「積み上げ」だ。

つまり、五十代のスタートは、ゼロからではない。これまで積んできた土台の上に、新しいものを積むのだ。むしろ、若い頃より、いい土台の上に立っている。経験は、資産だった。失敗も、遠回りも、全部あとから、こういうときの効きが出てくる。

「五十代は終わりの始まり」だと、私は長いあいだ思っていた。でも本当は、逆だった。積んできた経験が、ようやく「使える構造」になってくる、その始まりだったのだ。

五 統合——ものさしを持ち替えたら、世界の色が変わった

ここまで書いてきて、私の変化を、こう整理できる。

昔の私は、速さのものさしで、自分を測っていた。若い頃から始めた誰かを基準にして、そこから逆算し、「もう遅い」と減点していた。残り時間を数え、引き算をして、赤字に落ち込んでいた。この世界では、歳をとることは、ただ点数が下がっていくだけの、寂しい下り坂だった。

いまの私は、積み上げのものさしで、自分を測っている。今日から何を積めるかだけを見て、足し算をしている。速く走れなくても、巡航速度で歩きつづける。そして、これまで積んできた土台の上に、新しいものを重ねていく。この世界では、歳をとることは、積み上げが厚くなっていく、静かな上り坂になる。

同じ五十代を生きているのに、見える景色が、まるで違う。ものさしを持ち替えただけで、下り坂だった人生が、上り坂に変わった。坂の傾きが変わったのではない。私が坂を、逆向きに読んでいただけだった。

これは、ピアノだけの話ではない。資格でも、転職でも、人間関係でも、何でもいい。「もう遅い」とつぶやきたくなったら、一度だけ疑ってほしい。それは、若者用のものさしを当てていないか、と。あなたが本当にほしいゴールに、そのものさしは合っているか、と。

人生は、遠くの派手な成功でできているのではない。近くの、地味な積み上げでできている。今日の拍手より、十年後にそっと残っているもののほうが、たぶんずっと大事だ。速さは、もう返してあげていい。私たちには、続けるという、もっと静かな才能がある。

問いが変わると、人生が変わりはじめる。「私はもう遅いだろうか」という問いを、「私はこれから、何を積みたいだろうか」に変えたとき、閉じたはずのピアノの蓋が、もう一度、軽く開いた。

エピローグ

あの夜、私はヘッドホンをつけて、指をつっかえさせながら、三十分でピアノの蓋を閉じた。そして「もう遅かったんじゃないか」とつぶやいた。若い頃から習っている誰かを基準にして、自分に落第点をつけて、静かに落ち込んだ。

いま、私はまた、家族が寝たあとにヘッドホンをつけている。指は、あの夜より少しだけ動く。相変わらず下手だ。プロには、一生かかってもなれない。でも、私はもう「もう遅い」とはつぶやかない。かわりに、こう思う。「今日も、一つ積めた」と。上手いか下手かではない。積んだか、積まなかったか。ものさしを持ち替えたら、閉じるための蓋が、続けるための蓋に変わった。おかしな話だが、本当だ。

あなたがもし、何かを始めたい気持ちを「もう歳だから」で押し戻しているなら、どうか一度だけ、そのものさしを疑ってほしい。あなたは、遅れているのではない。ただ、若い頃に配られたものさしを、まだ握りしめているだけかもしれない。持ち替えていい。あなたのゴールに合った、あなた用のものさしに。

今日からやること、一つだけ。

「もう遅い」と諦めていることを、一つだけ思い浮かべてほしい。そして、こう問い直す。「私は、誰と比べて、遅いと言っているんだろう」。その基準が、いまの自分に合っていないと気づけたら、それだけで十分だ。始めるのは、明日でいい。今日は、ものさしを一本、そっと置き換えるだけでいい。それが、下り坂を上り坂に読み替える、いちばん静かな第一歩になる。

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