ゼラニウム団子耳【三題噺】【ショートショート#150】(2100字)
「香帆ちゃん、室長から呼び出しよ」
デスクに座るなり、向かいの年配女性社員から声をかけられた。香水メーカーの商品開発室に配属されて一週間。香帆は、室長のことが苦手だった。
丸山室長は、次々とヒット作を生み出している、香水業界では有名な人だ。香りの魔術師の異名をとる彼はどんな姿をしているのだろう、と実際に会うまでは胸をときめかせていた。
室長室に入るまえに窓ガラスを見ながら身だしなみをチェックする。リボンのついた白いブラウスに汚れはついていない。ジャケットにもシワはない。アップにした髪にもほつれはない。戦闘準備完了。
「失礼します」
「入りたまえ」
丸山室長は、椅子に座って丸々と太った腹を撫でていた。白衣を着ているせいか、まるで収穫前に袋で包まれたリンゴのようだ。
室長は、ニコリともせず口をへの字にしたままデスクの上にあるものを指した。それは、手紙の入った白い封筒のようだった。
「お客様からのご意見だ。読みたまえ」
香帆は、丁寧な字で手書きされた手紙を読みはじめる。
匂いに敏感で普通の香水は受け付けないのだが、そういう人にも使いやすい商品を作ってほしいというリクエストだった。
「さぁ、君ならどうする?」
薄くなった髪を整えながら室長が言った。おでこに深いシワの谷間が刻まれている。
これは挑戦だ。香帆はごくりと唾を呑み込む。
「一週間だけ時間をください」
午後十一時に帰宅した香帆は、自宅のリビングダイニングのソファに、ジャケットを放った。解放感のある広めの1LDKは、落ち着いたダークブラウンの家具で、統一してある。一人暮らしの若い女性の部屋としては、立派なものだと香帆は思う。こういう部屋に住めるのは、いま籍をおいている香水メーカーが高給なおかげだ。
会社に居場所がなくなればここから引っ越さなくてはならないだろう。
香帆は、焦りを打ち消すようにビールを喉に流し込む。
「って何、弱気になってんだ。これから企画書を書くんだ。気合い入れてこ!」
ひとりごつと空になった缶を握りつぶした。
一週間はあっという間に過ぎていった。提出はもう明日。自宅のソファに深くもたれて、ノートパソコンを親の仇のように睨んでいた。ローテーブルにレッドブルの空き缶がいくつも転がっている。
「何かが足りない……」
優雅でありながら清涼感のあるゼラニウムの香り。それをさらに軽やかに自然に仕上げていく。香帆は自分の企画に自信があった。
だが、何か決定打に欠ける。
リンゴのように丸々と太った丸山室長の姿が目に浮かぶ。いつも不機嫌そうにムスッとしている室長に一泡吹かせてやりたい。
「あー、もうだめ!」
何も思いつかずノートパソコンをローテーブルに放り出した。
テレビのリモコンを押す。興味のないアニメ番組をボーっと眺めながら、企画のどこが弱いのかを考え直してみる。
ただ香りを穏やかにするだけではお客様のニーズに応えられないのではないか。
そもそも人は香水に何を求めているのだろうと香帆は考える。
好きな香りで気分を高揚させること?
いや、それだけじゃない。
それは––––。
自分をカッコよく演出すること。
ならば、嗅覚に訴えることにこだわる必要はないのではないか。
香帆は、目の前のテレビから「音」が流れてきたことに気づく。
アニメ番組のなかでキャラクターが何か仕草をするたびに、「シャララン」とか「キラキラ」とか、効果音が鳴っている。あれは「タッチ音」というらしいと、香帆はアニメ業界で働く友人から聞いたことがあった。
「これだ」
翌日、香帆は室長に呼び出されていた。もちろん、その朝に提出したばかりの企画書について説明を求められたからだ。
「君、これはどういうことだね?」
「読んでいただけましたか」
「聞いたこともない。耳で聴く香水、とは」
「嗅覚ではなく聴覚に訴える香水があってもいいと思いまして」
それは、使用者が体に吹き付けることで、一定時間、周りに「好きな音をまとう」ことが出来る香水というアイデアだった。
好みに合わせて「川のせせらぎ」や「焚き火のパチパチという音」や「波の打ち寄せる音」などを選べるようにした。吹き付ける量によって音の大きさや持続時間を調整できるようにした。
「しかし、実現できるかというと」
「できないのですか? 丸山室長は香りの魔術師だと聞いておりますが」
室長は、たるんだ頬の筋肉をピクリと痙攣させた。
「私にできないことはない」
香帆は口の端をニヤリと上げた。
「香帆ちゃん、例のお客様からのお手紙よ」
デスクに座るなり、向かいの年配女性社員から声をかけられた。香帆は彼女から白い封筒を受けとった。
商品が完成したのは一ヶ月前。依頼者には試供品を届けていた。
「それにしても、例の香水、売れてるらしいわよ~!」
香帆は丁寧な字で手書きされた手紙を読みはじめる。
新しい香水には非常に満足しているということだった。そして、送られた試供品のうちで一番のお気に入りは「焚き火のパチパチという音」だということ。
一人でいるときにはリラックスできるし、誰かと会うときには緊張感をほぐしてくれるからだという。
ただ一つ問題があるという。
「焚き火の音を聴いていると、お団子の焼ける音を連想してお腹が空いてしまうんです。それで食べ過ぎて、太ってしまって」
こちらの企画に参加させていただきます。
今週のお題は以下の通りです。
■セリフ
「気合い入れてこ!」
■三題
・ゼラニウム
・団子
・耳
