東洋哲学【第11回】江戸時代の思想 ―― 儒学の日本化と国学:「理屈」からの脱却と「大和心」の探求(外来思想の受容と日本的霊性)
前回の第10回講義では、死と隣り合わせの戦乱の世(末法)において、個人の魂の救済を極限まで追求した「鎌倉仏教(浄土教と禅宗)」の思想を学びました。仏にすべてを委ねる「絶対他力」や、ただひたすらに坐る「只管打坐」など、日本人の死生観と精神の深層を形作る重要な哲学でした。
しかし、戦国時代の動乱を徳川家康が平定し、17世紀初頭に江戸幕府が開かれると、社会のニーズは大きく変化します。 もはや「死後の極楽浄土にどうやって行くか」や「個人の悟りをどう開くか」という問題よりも、「この平和になった現実社会の秩序を、いかにして長く安定的に維持するか」という統治のための現実的な哲学が必要とされたのです。
そこで日本の知識人たちが目を向けたのが、かつて第8回で学んだ中国の「儒学(儒教)」でした。 第3部「日本思想」の第3弾となる第11回は、江戸幕府の体制を支えた「朱子学」の受容と、やがてその中国的な「理屈っぽさ」に反発し、日本古来の純粋な感情(心情)を取り戻そうとした「古学(こがく)」、そして本居宣長に代表される「国学(こくがく)」の誕生に迫ります。
1. 泰平の世のイデオロギー ―― 朱子学の官学化
鎌倉時代や室町時代にも儒学は日本に伝わっていましたが、それは主に禅僧たちが仏教のついでに学ぶ教養の一部にすぎませんでした。 しかし、江戸幕府を開いた徳川家康は、儒学、とくに宋の時代に完成した「朱子学(しゅしがく)」に目をつけます。家康のブレーンとして活躍したのが、儒学者の林羅山(はやしらざん)でした。
なぜ「朱子学」が選ばれたのか?
第8回で学んだように、朱子学は宇宙の法則(理)と人間の本性(性)をイコールで結びつける哲学です。 朱子学の最大の特徴は、「宇宙には天と地という絶対的な上下関係(法則)がある。したがって、人間社会における君臣(主君と家臣)、父子、夫婦の『上下の身分秩序』も、宇宙の絶対的な法則(理)そのものである」と論理づけた点にあります。
江戸幕府にとって、これほど都合の良いイデオロギー(体制を正当化する思想)はありません。 「お前が農民として生まれ、武士に頭を下げなければならないのは、幕府がそう決めたからではない。大宇宙の絶対的な法則(天理)なのだ。自分の身分を守って上の者に仕えることこそが、宇宙の真理に従う道徳なのだ」 こうして朱子学は、江戸幕府を支える公式な学問(官学)として手厚く保護され、武士階級の必須の教養として日本社会に深く根を下ろしていきました。
日本化された儒学 ―― 「忠」の絶対視
ただし、日本の儒学は中国の儒学をそのままコピーしたわけではありませんでした。 中国の儒学(孟子)には「易姓革命(君主が道徳を失えば、倒してもよい)」という過激な思想がありました。しかし、万世一系の天皇を戴き、主君への絶対的な忠誠を重んじる日本の武士社会において、君主を打ち倒す革命思想は極めて危険です。 そこで日本の儒学者たちは、易姓革命論を巧みに排除、あるいは解釈を曲げ、「親への愛(孝)」よりも「主君への絶対的な忠誠(忠)」を最高徳目とする、日本独自の武士道的な儒学へとカスタマイズしていきました。
2. 朱子学への反逆 ―― 伊藤仁斎と荻生徂徠の「古学」
江戸時代が中期に入ると、幕府が押し付ける「朱子学」の堅苦しさと理屈っぽさに疑問を抱く学者たちが登場します。 「朱子学は『宇宙の理がどうのこうの』と難しく言うが、孔子や孟子はそんな理屈っぽいことは言っていなかったはずだ。宋の時代の朱子学は、後世の人間が仏教や道教の影響を受けて作り上げた『偽物の儒学』ではないのか?」
このように朱子学を否定し、「孔子や孟子が書いたオリジナルのテキスト(論語や孟子)に直接立ち返り、古代の真の教えを読み解こう」とする学問運動が起こりました。これを「古学(こがく)」と呼びます。その代表格が、伊藤仁斎と荻生徂徠の二人です。
伊藤仁斎(いとうじんさい) ―― 「古義学」と愛(仁)の哲学
京都の町人出身の学者・伊藤仁斎は、自らの学派を「古義学(こぎがく)」と名付けました。 仁斎は、朱子学が人間を「理(法則)」という冷たい枠組みに押し込め、人間の自然な感情を「人欲(悪いもの)」として抑圧することを厳しく批判しました。
仁斎によれば、孔子の説いた「仁」とは、宇宙の冷たい法則などではなく、もっと温かくて生命力に溢れた「純粋な愛(真実無妄の愛)」のことです。 人間が生き生きとした感情を持ち、他者を思いやり、社会の中で温かい人間関係を築いていくこと。仁斎は、理屈(理)ではなく、人間の血の通った「情(感情)」こそを道徳の根源に据え直そうとしました。彼の開いた私塾「古義堂(こぎどう)」には、身分を問わず全国から数千人もの門下生が集まりました。
荻生徂徠(おぎゅうそらい) ―― 「古文辞学」と政治の技術
一方、江戸の学者・荻生徂徠は、さらに過激なアプローチをとります。彼の学派を「古文辞学(こぶんじがく)」と呼びます。 徂徠は、「論語を読むためには、古代中国語の文法と語彙(古文辞)を完璧にマスターしなければならない。朱子のように自分の時代の価値観で古典を読んでいては、真意は絶対に分からない」と、徹底した言語学・文献学的な手法を確立しました。
その結果、徂徠が導き出した結論は衝撃的でした。 「孔子の教えとは、個人の道徳(心を清らかにすること)などではない。古代の優れた王たち(先王)が、社会を平和に治めるために人工的に作り上げた『政治のシステム(礼楽制度)』のことである」 徂徠は、儒学を個人の修養(心の問題)から完全に切り離し、「いかにして天下を治めるか」という政治学・社会学へと転換させたのです。これは、当時の武士たちの「心の中(道徳)」ばかりを問う朱子学を、根本からひっくり返す思想的革命でした。
3. 「国学」の誕生 ―― 外来思想(漢意)からの脱却
伊藤仁斎や荻生徂徠の「古学」は、「後世の解釈(朱子学)を捨てて、古代のテキスト(論語)に直接帰れ」という運動でした。 しかし、この彼らの文献学的な手法(古い言葉を正確に読み解く技術)は、やがて予想もしなかった方向へと発展していきます。
「ちょっと待てよ。徂徠は『古代の中国のテキストに帰れ』と言うが、そもそも儒教も仏教も、外国(中国やインド)からやってきた『外来の思想』ではないか。我々日本人が本当に帰るべきなのは、儒教や仏教が入ってくる前の、『古代の純粋な日本の心』なのではないか?」
こうして、日本の古典(『古事記』『万葉集』『源氏物語』など)を実証的に研究し、外来思想に汚染される前の日本独自の精神を探求する学問が誕生しました。これが「国学(こくがく)」です。 契沖(けいちゅう)や賀茂真淵(かものまぶち)らによって基礎が築かれたこの国学を、思想的・哲学的に大成させ、頂点に導いたのが、江戸時代後期の偉大な思想家・本居宣長(もとおりのりなが)(1730年〜1801年)でした。
4. 本居宣長の思想 ―― 『古事記伝』と「漢意(からごころ)」の排斥
伊勢の松阪の木綿商人の家に生まれた本居宣長は、町医者として生計を立てながら、夜な夜な日本の古典研究に没頭しました。彼のライフワークにして日本思想史上の最高傑作が、約35年の歳月をかけて『古事記』の神話を完全に解読した『古事記伝(こじきでん)』です。
「漢意(からごころ)」の批判
宣長の思想の核心は、「漢意(からごころ)」の徹底的な排斥にあります。 「漢意」とは、儒教や仏教に代表されるような、中国的な「理屈っぽさ」「善悪の善し悪しで物事を裁く態度のこと」「作為的な論理」のことです。
宣長に言わせれば、儒教の「仁義」や仏教の「悟り」といったものは、すべて人間が頭でこねくり回して作った不自然な理屈(作為)にすぎません。 「中国人は、立派な理屈(儒教)ばかりを並べ立てるが、歴史を見れば王を殺して国を奪い合う(易姓革命)ばかりの血生臭い国ではないか。そんな国から輸入した理屈(漢意)で、日本人の心を縛り付けてはならない」
「大和心(やまとごころ)」と「惟神(かんながら)」
宣長は、この漢意(理屈)を取り去った後に現れる、日本人の本来の純粋な心、ありのままの自然な感情を「大和心(やまとごころ / やまとだましい)」と呼びました。
『古事記』に描かれている日本の神々は、儒教の聖人のように道徳的で完璧な存在ではありません。天照大御神は弟の乱暴に怯えて洞窟(天岩戸)に引きこもってしまいますし、須佐之男命(すさのおのみこと)は泣きわめいて暴れます。 しかし宣長は、「これこそが素晴らしいのだ!」と主張します。 「神々ですら、悲しい時は泣き、恐ろしい時は怯え、嬉しい時は笑う。人間も同じように、理屈で感情を抑え込むのではなく、ありのままの感情(大和心)を素直に受け入れて生きるのが、日本の本来の姿である」
人間の浅知恵(理屈)を捨てて、神々が定めた成り行き(自然のまま)に絶対的に身を委ねること。宣長はこれを「惟神の道(かんながらのみち)」と呼び、神話の世界を単なるおとぎ話ではなく、日本人が生きるべき「究極の真理」として高く掲げたのです。
5. 感情の全肯定 ―― 「もののあわれ」の文学論
この「理屈を排して、ありのままの感情を肯定する」という宣長の思想が、最も美しく結晶化したのが、彼の『源氏物語』研究から生まれた「もののあわれ」という文学論(感情論)です。
儒教的文学観の否定
当時、武士や儒学者たちは『源氏物語』を不道徳な本として軽蔑していました。 「光源氏という男は、天皇の后と不倫をしたり、様々な女性と関係を持ったりする。こんな本は、儒教の道徳(礼)から外れたポルノ小説であり、読む価値はない(あるいは、これを反面教師として道徳を学ぶべきだ)」という「勧善懲悪(かんぜんちょうあく)」の枠組みでしか文学を評価できなかったのです。
「もののあわれを知る」ことの尊さ
これに対し宣長は、激しい怒りをもって反論します。 「文学を儒教の道徳(漢意)で裁くな! 『源氏物語』は道徳の教科書ではない。人間のどうしようもない『感情の真実』を描いた本である」
人間は誰でも、「いけないことだ」と分かっていても、どうしても人を愛してしまうことがあります。美しい花が散るのを見て、理屈抜きに涙をこぼすことがあります。 外界の事物(もの)に触れたとき、心の中に自然と湧き上がってくる「ああ…」という深い感動や、しみじみとした情趣、哀愁。これを宣長は「もののあわれ」と呼びました。
宣長は、「もののあわれを知る心(他者の悲しみや自然の美しさに共感できる、豊かで繊細な感情)」こそが、人間にとって最も尊いものであり、それを持たない理屈っぽい儒学者などは「血の通っていない木石(石ころ)と同じだ」と切り捨てました。 善悪の判断(理屈)よりも、人間の感情(エモーション)の真実性を上位に置く。この「もののあわれ」の思想は、日本独自の美意識と人間観を哲学的に定義した、世界に誇るべき偉大な思想です。
第11回のまとめ
本日の講義の重要ポイントを振り返ります。
朱子学の官学化(林羅山):身分秩序を「宇宙の理」として絶対視する朱子学が、江戸幕府の体制を正当化する公式なイデオロギーとなった。
古学(伊藤仁斎・荻生徂徠):朱子学の理屈っぽさを否定し、古代の古典(孔子・孟子)に直接帰ることで、情(仁斎)や政治システム(徂徠)としての儒学を再発見した。
国学の誕生:儒学や仏教そのものを「外来思想」として退け、古典研究を通じて日本独自の精神を探求する学問。
本居宣長と『古事記伝』:中国的な理屈や道徳を「漢意(からごころ)」として排斥し、神道の本来の姿である「惟神の道」と、日本人の純粋な感情である「大和心」を主張した。
もののあわれ:道徳(善悪)で人間の感情を抑圧するのではなく、ありのままの自然な感情の揺れ動き(感動や共感)を最高のものとして全肯定する文学論・人間観。
「理屈(中国)から、感情(日本)へ」。 江戸時代の思想は、外来の哲学をただ真似る段階を終え、文献学という客観的なツールを使いながら「自分たち日本人のオリジナルのアイデンティティとは何か」を強烈に自覚し、体系化していくプロセスでした。
本居宣長の国学は、彼自身は純粋な学者・文学者でしたが、彼の死後、「日本こそが神の国であり、天皇こそが絶対である(尊王論)」という強烈な政治的イデオロギー(復古神道・水戸学など)と結びついていきます。そしてそれは、幕末の黒船来航を機に「尊王攘夷運動」の精神的マグマとなって爆発し、江戸幕府そのものを倒す明治維新の原動力へと転化していくのです。体制を支えるために導入された学問の発展が、結果的に体制を破壊する理論を生み出した歴史の皮肉と言えるでしょう。
次回、第12回は、ついに近代へ。明治維新後、怒涛のように押し寄せた「西洋哲学」という黒船に対し、東洋の伝統思想をいかに融合させ、世界に通用する独自の哲学を創り上げるかという壮大な挑戦、「京都学派(西田幾多郎・和辻哲郎)」の誕生へと進みます。
【修了試験】(第11回 復習問題・全5問)
本日の講義内容を定着させるための修了試験です。江戸時代の思想の潮流と、国学の重要キーワードを確認しましょう。
【問題1】 江戸幕府の体制を支える官学として保護された、南宋の朱熹が大成した儒学の学派を何というか。上下の身分秩序を宇宙の絶対的な法則(理)として正当化した。
【問題2】 江戸時代中期、伊藤仁斎や荻生徂徠らに代表される、朱子学などの後世の解釈を退け、『論語』や『孟子』などの古代の原典に直接立ち返って真の思想を探求しようとした学問の潮流を何というか。
【問題3】 江戸時代後期に興った、儒教や仏教などの外来思想を排斥し、『古事記』『万葉集』などの古典を研究することで、日本古来の純粋な精神や文化(古道)を明らかにしようとした学問を何というか。
【問題4】 問題3の学問を大成した人物で、約35年をかけて『古事記伝』を著し、「漢意(からごころ)」を捨てて「大和心(やまとごころ)」に立ち返ることを主張した思想家は誰か。
【問題5】 問題4の思想家が『源氏物語』の研究などを通じて提唱した文学論・人間観。理屈や道徳(勧善懲悪)で物事を裁くのではなく、対象に触れて心に自然と湧き上がる深い感動やしみじみとした情趣を重んじる考え方を、「〇〇〇〇〇〇を知る」というか。
【修了試験:解答と詳細な解説】
【問題1:解答】 朱子学(しゅしがく)
【解説】 江戸幕府のイデオロギー(体制教学)の根幹です。「理(宇宙の絶対法則)」と「気(物質)」からなる理気二元論に基づき、「君臣・父子・夫婦」などの上下関係を、天と地と同じように決して覆してはならない「天理」として固定化しました。この思想があったからこそ、江戸時代は260年もの間、下克上が起きない身分制社会(士農工商)を安定して維持することができたのです。
【問題2:解答】 古学(こがく)
【解説】 ルネサンス(文芸復興)における「古代ギリシャ・ローマに帰れ」という運動の日本版と言えます。朱子学が宇宙論や哲学的な理屈(形而上学)に偏りすぎたため、「孔子が本当に言いたかったことは、そんな冷たい法則ではなく、もっと人間的な愛(仁)や、社会を治める具体的な政治の技術(礼楽)だったはずだ」と、文献学的アプローチによって原点回帰を目指しました。
【問題3:解答】 国学(こくがく)
【解説】 古学が「古代中国」に帰ろうとしたのに対し、国学は「古代日本」に帰ろうとした究極のナショナリズム的学問です。外来の思想をすべて後からつけられた「色眼鏡」として外し、日本人が本来持っていた無垢で純粋な精神(神ながらの道)を探求しました。この国学の勃興が、のちに天皇を中心とする国家意識(尊王論)を強力に醸成していくことになります。
【問題4:解答】 本居宣長(もとおりのりなが)
【解説】 国学の四大人(しうし)の一人であり、最大の巨星です。彼は儒教的な「善悪の論理(作為)」を「漢意(からごころ)」と呼んで徹底的に嫌悪しました。彼が『古事記伝』で明らかにした神話の世界は、論理的な整合性や道徳的教訓を持つものではなく、神々のありのままの感情や不条理が躍動する世界でした。宣長はこれを「人間の浅知恵(理屈)を超えた真理」として全肯定したのです。
【問題5:解答】 もののあわれ(物の哀れ)
【解説】 宣長が提唱した、日本独自の美意識と感情論の極致です。「あわれ」とは単なる「悲哀」ではなく、「ああ!」という心の深いどよめき(感動)全般を指します。儒学が「感情を理屈(道徳)でコントロールせよ」と説いたのに対し、宣長は「感情こそが人間の真実であり、道徳の枠組みから外れたとしても、その悲しみや喜び(もののあわれ)に深く共感できる人間こそが最も尊いのだ」と、感情の絶対的優位を宣言しました。
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