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嗜好品は「自分だけの好き」を見つける旅

中国茶を学びはじめて面白さを感じたのは、おいしく淹れるために計量をきっちりやりながら、味をみつつ実験のようにその茶葉らしさをベストな状態で引き出す試行錯誤を重ねることだった。

茶葉の量と水の割合、温度と抽出時間。お茶をおいしく淹れるための基本的なパラメーターはこの3つ。茶葉の種類ごとに基本となる数字があるのでまずはそこに合わせつつ、その時の気温や茶葉の状態、それぞれの好みに合わせて変化させていく。

お茶の講座やセミナーでお茶を飲ませてもらうたびに、「おいしい」の豊かさを思う。茶葉の品質も淹れ方も、一定のレベルを超えればすべて「おいしい」ものなので、あとは好みの問題になってくる。だから講座で何種類ものお茶を試飲した際も人気がひとつの品種に集中することが意外と少ない。個々人の味覚の違いもあるし、それまで飲んできたお茶遍歴によっても面白さを感じるお茶は変わるし、自分が普段飲んでいる味わいとは違うからこそこれをきっかけにもっと深めたい、なんてこともある。

上級になればなるほど、こう工夫してみたら自分にも合いそうとか、こんなシーンでなら、これと合わせてなら、などどんなお茶も自由自在に自分の好みに引き寄せて楽しむ術を知っている。

飲み方に正解や流派があるわけではなくて、それぞれが自分の好みという名の小宇宙を持っていて、時々お互いの世界を持ち寄ることでまた自分の小宇宙を育てる糧にしていく。お茶の世界を学ぶたびに、自分だけの道を探究していく面白さと、同じ様に探究している同志のコミュニティの重要性を思う。

流行りに乗って、誰かに合わせて、なんとなく「よい」とされているものをただ受け取るだけではなく、自分にとっての「よい」を見出す営みの尊さ。そして自分の好きを見つけるためには、他の人の世界を垣間見て自分なりに咀嚼して、相互に取り入れていく必要があるということ。

嗜好品は「好き」を「嗜む」と書くように、自分の好みを探究していく過程に醍醐味があると私は思う。好みの味を見つけるのはもちろん、一見すると自分の好みからは遠いものも自分好みに引き寄せるための知識と技術をつけていくこと。好きなものだけを見極めてそれ以外を排除するのではなく、好みでないものも自分の側に引き込んでしまうことができれば楽しみの幅が広がる。

自分の好みを熟知しながら、対象を好みに寄せていくための知識と技術を持つ。自分と、相手と、そして周りを取り巻く環境と。この3つへの理解を深めていくことが、「探究する」ということなのではないかと思う。

自分の好みと人の好みの間に優劣はなく、どれも等しく価値があり、尊重されるべきものである。一般的には人気がなくても、自分にとっては最高に好きだと思えるもの。周りに流されることなく、自信を持って自分はこれが好きだと言えるもの。

それこそが嗜好品の世界を探究する醍醐味であって、高いものを集めるとかレアなものを手に入れて自慢するなどはその本質ではないのだと思う。

人気や価格といった情報だけを見て、自分の感じ方を省みる工程を省き続けていると、どんなに経験を重ねても自分の「好き」の感覚が育たない。自分の軸がないと他者の評価によってしか選択ができなくなり、ずっと「これでいいのか」の不安を抱え続けることになる。

私たちに必要なのは情報を集めることよりも、じっくり自分の感覚や感性を育むことなのかもしれない。

「嗜好品」というとお茶やお酒、お菓子をイメージしがちだが、今や私たちの生活のほとんどは嗜好品になってしまっている。日々の食事も衣服も、なんなら仕事で使うPCなどのガジェット類すらも、もはや必需品というより趣味の一環としてお金と手間をかけるものになっていっている。

暮らしの中で選ぶものすべてに探究心と審美眼を持って選ぶのは現実的ではないけれど、何かひとつ自分の好みの軸を育てるジャンルを持つことは、情報が溢れかえってすごいスピードで流れてゆく時代に生きる上で、これからますます重要になっていくのではないかと思う。

自分の、自分だけの「好き」を見出し、育てていくこと。私が掲げている「知性ある消費」はまさに、この自分にとって取り替えのきかない絶対的な価値を育てていくことの重要性とともにあると思っている。

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