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消費者としての品

「貧乏には品がある。しかし貧乏臭さには品がない」。

小説「国宝」の序盤に出てくるこの一節を読んでから、改めて「品とは何か」を考えるようになった。高級なものを持てば上品さが自動的に付いてくるわけではない。逆に、金銭的には貧しくとも品のある、まさに「清貧」と表現される状態もある。

金銭の多寡ではなく、別の軸で評価される品の有無は何によって線が引かれるのだろう。そして、損得でいえば品があることが得につながるわけではなく、むしろ自らは損をするようなことを選ぶのが「品がある」と評価される中で、なぜ私たちは上品さを目指そうとするのだろう。

この数ヶ月、そんなことをぐるぐると考えていた。

そもそも、「貧乏には品がある。しかし貧乏臭さには品がない」という一説にも、わかるようなわからないような、腹落ちしきれない感覚があった。「貧乏」と「貧乏臭さ」の境界線はどこにあるのか?作中には、その答えどころかヒントさえもない。上品と下品を分けるものとは何なのか。

そんなことを考えていたとき、別軸で「好意はお金では買えない」についても改めて考えていた。

資本主義社会においては、あらゆるものがお金と等価交換できる。お金さえあればあらゆる優遇を受けることができ、ほとんどの要求を通すことができる。

けれど、唯一お金では買えないのが「好意」なのではないかと私は思う。そしてこの好意を醸成するものこそが「品」なのかもしれない、と思い当たった。

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思索綴

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