ただのワーママだった私が月100万円稼げるようになるまでにやってきたこと、ぜんぶ書きます!
「このまま仕事と家事と子育てだけで人生が終わるのかな…」
20代の私は、ずっとこれを思っていました。何者かにはなりたい。でも、何をすればいいのかは霧の中。しかも頑張れない。頑張れないくせに、焦りだけは人一倍ある。結果、愚痴だけこぼして一日が終わる。そういう人間でした。
その私が44歳のいま、会社を経営して、商品をプロデュースして、大学の教壇に立って、こうして発信をしています。書くと「すごい人」っぽいんですが(汗)、種明かしをすると、これは才能の話ではありません。遠回りの寄せ集めの話です。
40代に入ってから、経験を聞かれたり、アドバイスを求められたりする機会が増えました。ああ、私はもう「自分のキャリアをがむしゃらに築くフェーズ」を卒業して、誰かの背中を押す側に回る番なんだな、と。それがこのnoteを書いている理由です。
なので最初に、私の遠回り20年を、かいつまんで(といいつつ長いですw)お話しします。
20代:芸能界の"ほんとのほんとに片隅"で、何屋さん状態
学生時代からご縁があって、卒業後は公共性の高いステージアートの現場で広報として働き始めました。「芸能界⁉キラキラしてそう!」とよく言われますが、実態は、お金も人も足りない中でどうにか形にする毎日です。
仮チラシは自分で作る。小さい公演のパンフレットも自分で作る。特設サイトは「一夜限りだから外注NG」と言われてコードも自分で書く。宣材写真は、カメラの使い方を覚えて自分で撮る。もはや何屋さんかわからないw
でもこの時期に、Adobeのソフト(本で独学)、HTML/CSS、一眼レフでの撮影と編集が、気づいたら手の中にありました。当時は「必死にやり遂げてる」だけのつもりでした。これが後で効いてくるなんて、まったく思っていません。
20代半ば:結婚、妊娠、そして「私だけ置いていかれてる?」
仕事が板についてきた頃、結婚と妊娠で最前線を離れました。時短勤務で給料はがくんと下がり、ふと見渡せば同級生はどんどんキャリアアップ。「え、私だけ置いていかれてる?」と、心の奥で何度もつぶやいていました。
そこに東日本大震災。帰宅難民になりたくない一心で熊本にUターンし、母が立ち上げたばかりの健康食品の会社に転職します。社長は母。おばさま社員たちからは「お嬢」と呼ばれる日々w 「娘だから」と言われないように誰よりも働いて、業務に関係しそうな資格を取りながら、信頼を少しずつ積みました。
30代前半:3人目の"アクシデント"で、お金と本気で向き合う
3人の子どもに恵まれました。…が、実は3人目は完全に予期せぬアクシデントで(笑)、自宅も子ども2人の設計で建てた後。ライフプランは全とっかえです。ここでお金の問題が一気に噴出して、33歳で投資やお金の勉強を本気で始めました。「投資ってこわそう」から入りましたが、学んでみたら、これは自分と家族を守る知識でした。
30代半ば:大学院、そして10億の借金
「いつか母の会社を継ぐかも」と思い、大学院で経営学を学び直しました。マーケティング、財務、組織論。ちょうどその頃、母の会社が大きな転換期を迎えます。売上激減、リストラ、10億を超える借金。何をやってもうまくいかない、心を病むような日々でした。
正直に言うと、あの時期、前を向けたのは学んでいる時間だけでした。だからがむしゃらに学んだ。結果的にこの経験から自分の会社を持つことになり(積極的な起業ではなかったけれど)、ECの運営や輸出入業を始めます。
そして、コロナ
輸出入業がようやく花開きかけた、その時。コロナです。会社は一気にマイナスへ。母の会社で身動きが取れなかったところに、やっと自分の道を見つけたと思った矢先でしたから、絶望でした。
でも、ここで私はもう、不貞腐れるだけの人ではなくなっていました。時間があるなら、また学ぼう。そう思えたんです。2020年2月、Twitterを始めました。SNSマーケティングに本腰を入れて、やれることは全部やった。人生でがむしゃらだった時期ベスト3に入ると思います。
地方に住んでいても、家庭があっても、自分の声で仕事ができる。その手応えをつかんで、今に至ります。
気づいたこと:私の武器は、全部「初めて」でできていた
ここまで読んで、気づいた方もいるかもしれません。
私のキャリア、一貫性がまるでないですw 広報、チラシ、コード、写真、健康食品、資格、投資、大学院、EC、輸出入、SNS。まっすぐな道なんて一度も歩いていません。
でも、あるとき商品プロデュースをまるっと任されて、コンセプトから販促、SNS運用まで一貫して提案できている自分に気づいたんです。デザインの知識、コピーの力、広報の経験——バラバラだった点が、全部つながっていた。
「できることが多いから強い」んじゃない。組み合わせたときに、初めて価値になる。じゃあ、その「点」って何だったのかと振り返ると——ぜんぶ、どこかの時点の「初めて」なんですよ。初めてチラシを作った日。初めてコードを書いた日。初めて投資した日。初めて会社を持った日。当時はどれも「必要に迫られて、仕方なく」でした。何になるかなんて、わかっていなかった。
つまり私の20年は、「初めて」の在庫が、あとから資産に化けた20年だったんです。
だから今、「初めて」を記録することを伝えています
私にはひとつだけ、ずっと続いている習慣があります。人生の「初めてできたこと・初めてやったこと・初めて行った場所」を記録しておくことです。毎年12月には「今年初めてやったこと」をまとめるのが恒例になっていました。
これをメソッドとしてまとめたのが、**Done My First®**です。
やりたいことリストのように未来に約束をするのではなく、すでに起きた「初めて」を記録していく。それだけなのに、リストが増えるほど「私、ちゃんと歩いてきたんだな」が目に見えるようになる。私自身、どん底の時期に自分を支えてくれたのは、輝かしい実績ではなく、この小さな「初めて」の足跡でした。
20代の私に伝えたいのは、「あなたにもできるよ」という励ましよりも、こっちです。
あなたが今日やった「初めて」は、何になるかまだわからない。わからないまま、記録だけしておいて。回収は、未来のあなたがやるから。
さいごに
Done My First®は、noteのマガジンで書き方や続け方を発信しています。「Myタイムデザインワークショップ」という講座でもお伝えしていく予定で、モニター講座のご案内はメールで行っています。気になる方はのぞいてみてください。
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