1/60の私

「他人に心があることにこの歳になってようやく気づいた」
なんて話はそことかあそことかの界隈でよく聞く話だが、私の場合「私は私しかいない」ことに14歳でようやく気がついた。

特にきっかけがあった訳ではない。移動教室でクラスメイトとぞろぞろと廊下を移動中、突然天啓のように気づいたのだ。思わす声をあげそうになったが、0.1秒後に「これってみんな知っているのでは?」と思い当たり口を噤んだのだった。

「私は私しかいない」ことに気づかない間どんな認識で過ごしていたかというと、"私"という存在があと5、60人くらいはいて、私が選択しなかったことはどこかにいる別の私がやっているので心配ない、という考えだった。パラレルワールドの自分が全て同じ世界に生きているような認識だ。綾波レイの「私が死んでも代わりはいるもの」って程では無いが、それに近い感覚を持っていたと思う。

この感覚を持っていると生活がかなり適当になる。どこかの"私"が最終的に大団円を迎えればいいので、1/60に過ぎない私は物事の選択を適当にしてしまう。他の私も私なので適当に選んでいるだろうが、これだけ人数がいれば1人は当たりを引くだろうという大雑把な希望的観測だ。

こんな風に自己を認識していたせいか自我みたいなものも薄く、自分の好きな物や嫌いな物といったのがあまりなかった記憶がある。クリスマスの時なんかは親に何が欲しいか問われても返答に困り、どうにか捻り出してリリアン編みのおもちゃやキッズ用ネイルセットを買ってもらったものの元から興味がないのですぐ遊ばなくなった。

私は私しかいないということに気づいてから生活に変化があったかというと特に変わりはしなかった。天啓を得たところで急に成長するなんてことはない。ただうっすらと見えるようになった「人生の選択の責任」みたいなのを憂鬱に感じていた。

あれから10年以上経ち、私が複数いるようなあの感覚を正確に思い出すことは出来なくなっている。「人生の選択の責任」も稀に真正面から立ち向かっていたりする。最近割とデカい選択をしたのでめっちゃ疲れてるけどまあやれている。

当時感じていた60人の私に今何かいうとしたら、「"私"はこんな感じに育ちいろいろあったけど元気に過ごしているよ」ってところだ。

追伸
高校でスマホを買ってもらいTwitterで「人のナマの感情」を目視して一般的な思考を得るのと自我が芽生え、またオタクコンテンツに出会い明確に好きなものができたがそれはまた別の話。

この記事は雑談アドベントカレンダー2023参加作品です

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