自分に厳しいわたしが、なぜ「余白」のある空間を求めているのか。
本業では、“相談に乗る”ということをしている。
その仕事の詳細は、省かせていただくのだけれど、その流れの中で、気分転換も兼ねて雑談をすることがある。
困ったなと思ったときに、相談に行くということのハードルの高さを、わたしは身をもって体感しているし、「こんな小さなことを相談しに来るなんて…って思われたらどうしようか。」なんて、相談を受ける側からしたら、気にしなくていいよと思うような心配だってしたこともある。
だから、わたしは、
心の底から穏やかな人でありたい。
その思いが、わたしの見た目にも反映されているのか、魚座さんらしいふわふわ感が滲んでしまっているのか、
ものすごくやさしい人、やわらかい人
と、思われてしまうのかもしれない。
でも。
わたしの本性は、実は自分にかなり厳しくて、現実にシビアだ。
それ故なのか、
大学時代に、友人から言われたことは
子羊の着ぐるみを付けた一匹狼。
これは、言い得て妙だなと思えるようになったのは、noteを始めてからのこと。
ただね…
いろんな暮らしのカタチをみてきて思うことは、
ゆるふわだけでは生きていけない。
そんなことを、わたしは、未熟児として生まれてきた瞬間から、もしかしたら直感として察してきたのかもしれない。
そのように思うことが、最近やたらと増えた。
多様性が認められるようになって。
わたしがこれまでに生きてきた時代と
今暮らしている社会では
いろんな出来事もあったし、
多くの“当たり前”が変わってきた。
大人になって、
相談に乗るという仕事をして、
たくさんの世界を
まるでわが事かのようにも感じてきた。
無理強いをされないし、それを強いることもしにくくなった。
それは、良かったこともあるし
この時代がもう少し前に来ていたのなら、もしかしたらわたしは、小さい頃から頑張って生きてくることはしなくてもよかったかもしれない。
でも…
わたしは他人よりもできないことが多いなりに
頑張って生き抜いてきた時代があるからこそ、
今暮らすことができているとも言えるかもしれない。
思い返すと、今一緒に生活をしてくれる夫と出会えたことは、ものすごく大きな転機だった。
そんな夫と出会えたのは、
センター試験で失敗して流れで入学した私立大学の時代に、それこそなんとなく流れで入ってしまったサークルで、学祭のフリマ担当になって、断るを知らなかったわたしの連絡先が、サークルの先輩の売り文句によって、フリマ商品のおまけとして、誰か知らない別の大学に通っていてたまたま遊びに来ていた彼に売られたからであって。
人と深い繋がりになることを恐れていたわたしが、メールを返さないという選択肢がなかったから、なぜか諦めずに繋がりを持とうとした彼とのやり取りする時間が重なってしまったからであって。
なんだか、一方的に思いを訴えられて、それこそ最初は、「なんだか悪いな」と言って断れなかったからであって。
そんなこんなで、気づけば18年ほどの時間が経過してしまったわけだけれど。
うわべの会話でグループの輪に入ることはできても、本当の本音で付き合える友人は、実は本当に数少なかった。
そんなわたしが、ここまで人に見捨てられず生きてこられたのは、
自分に厳しく、なんとか周りに馴染もうと、ずっと頑張ってきたからなのだと思う。
……なんていうと、少し身も蓋もないかもしれないけれど。
その頑張りに対する、労いのギフトが届いたのかもしれない。
夫と出会ってから、酸いも甘いも、いろんな体験をしてきた。
最近までは、総じて泣いていることが多かったような記憶がある。
でも。
行動的計画派で頑張り屋さん(←やや多動、とも言う。笑)の夫は、わたしにないものをたくさん持っていた。
中でも今のわたしに最も影響しているのは
思うようにできなくたっていいんだよ。
ちゃんとやってるんだから。
ということである。
夫は、完成形なわたしではなく、わたしそのものを見ていて。
「できないことがあるなら、ここにいるんたから、頼ってよ」
そんな言葉をかけられたのは、夫が初めてだった。
頑張ることに価値を見出していた(変わり者なわたしは、それでしか人とつながれないと思っていた…)ため、夫に甘えられるようになったのは、それはそれは、とてつもなく時間がかかったわけだけれど、
それでも、夫は
時間をかけて待ち、
時にわたしに刺激を入れて、待ち…
スピード派な夫からしたら、普通の人なら諦めていなくなっているだろう非常に長い時間だったはずだ。
ようやく、自分を自分でしごきあげるということをしなくなった分で、わたしが手に入れたのが、「余白」だった。
「余白」と出会ったから、
自分の感情を認めて、表現できるようになってきて。
「余白」があるから、
わたしは夫との関係が良くなってきて。
「余白」を持てるから、
自分の人生を考えて、動けるようになってきた。
忙しさや、時間に追われることを否定したいのではない(現に、わたし自身、本業では全く落ち着きそうにない。笑)し、
わたしをここまで育ててくれた自分の家族が悪いということを言いたいのではない。
でも、
自分を見失うくらい、
自分にやさしくないことをしたくない。
過去のわたしには、戻りたくない。
だから、わたしは「余白」を選ぶ。
たぶんこれは、誰かにとっての正解ではない。
忙しく生きることも、頑張ることも、悪いことではないし、わたし自身もきっと頑張ることは辞められないはず。
ただ、わたしは知ってしまった。
自分を追い立てなくても、ちゃんと今日を生きていけることを。
頼ってもいいことを。
できない自分がいても、居場所はなくならないことを。
そして、
少し余白ができたところから、 やっと「わたしはどうしたい?」と考えられるようになることを。
だからここを、
そんなことを思い出せる場所にしておきたい。
日常を頑張る人が、
ほんの少しの時間だけでも、肩の力を抜ける場所。
それは、
わたしにとっても必要な隠れ家なのだと思う。
*
最近の「メロウな隠れ家」では、
今日の自分に、ほんの少し余白を残す。
そんなお話をしています。
気になる方は、こちらから。
気まぐれに、声を出していることもあります。
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