そこに自分はなくとも、自分だった。【帰省する代わりに、「家族」を書く。】
過去のアルバムを見ていて、気づいたことがある。
あの時も、今も、
わたしは、わたしだった
ということ。
わたしは、わたし
この概念を持てるようになったのは、
大人になって身を置いた環境にも、もちろん多大な影響を受けているのだけれど、
根本を考えてみたら、
まぎれもなく、母の存在のおかげであろう。
過去に、こんな記事を公開している。
写真を載せていたり、RaMの歴史に触れている記事でもありますので、鍵をかける感じで、有料マガジンに入れている記事ですが、単品でもご購読できます。
もしご興味ある方がいらっしゃいましたら、どうぞお手に取ってみていただけたらと思います。
先輩noterさんからいただいたコメントの通り、この記事を書き上げるまでに、いくつか壁があった。
弱みを見せることになること。
わたしが、コンプレックスに感じていたことに触れることになること。
それでも、この記事の公開に至ったのは、
わたしが生きてこれたということへの感謝を、当時のわたしの言葉で残したかったからなのかもしれない。
わたしの中のわたしが育ってきたのは、大人になってから、成長せざるを得ない環境に身を置いたことが大きい。
とは言え、その環境で、成長しないといけないと気づくことができたのは、そこにわたし自身の成長の可能性があると思えるベースがあったからだと思う。
こんなことを言っている今も、自信は全くない。
でも、なぜか厳しい環境に身を置きがちで
それなりにやってこれちゃった自分。
やってこれたのは、
「あなたはできるのよ」という魔法の呪文に、まんまとかけられて育ったからだ。
父方の家系は、なかなかに厳しい、プライド高めなタイプが多かったので、そんな言葉をかけてくれるのは、母親しかいなかった。
今のわたしがいろいろなことに挑戦できているのは、
暮らしの心地よさをデザインすることに重きを置けるようになったのは、
どんなに厳しい条件でも
わたしが生きるということを、
誰よりも信じて、エネルギーを注いでくれた母親のおかげなんだろうなと思う。
いろいろ思うことはあるけれど。
noteに書けるような美談ばかりではないけれど。
どんな経験も、無駄ではないんだね。
社会に揉まれて、だいぶ大人になって、
ようやく過去を穏やかに振り返ることができるようになってきたのだった。

触発されたのか…帰省するたびに、
地元の美味しいおしゃれな店のご飯に
誘ってくれる母。
母と娘夫婦得でしかない時間に
付き合わされながらも
それなりに楽しんでいるらしい、運転手の父。
いつも楽しい時間をありがとう。
また美味しいもの、食べに行こうね。
お盆は、義家族孝行で終わってしまうので、
夏の帰省は叶わないのですが、
やっぱりお盆と言えば、実家への帰省をイメージします。
ここ数年の夏は、わたしの実家のことは後回し。
祖父母も年老いてきて、諸々の大変な対応を、母ひとりに丸投げしてしまっているので、
近いうちに帰省して労わないとな…。
と思いながらも、帰省できないまま、夏休みを終えてしまうのでした。
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