朗読松姉さん6
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遠くから声が聞こえてきたらしい。
「首つりや」
「飛田の女みたいやぞ」
「まだ若いのに……」
その後、おおぜいの人が走っていく足音がした。
桃子は松の枕元に、体を売って貯めたお金を残して死んだ。何で桃子が来たことに気づかなかったのかと、松は狂ったように泣いた。
× × ×
今では松は昔の知り合いの顔を見ても分からない。ときおり、食べ物や着る物を貰ったりしているが、記憶に全く残っていないようだ。松が赤線廃止後、この街を去りどこでどのように暮らしていたのかよく分からない。北陸の方へ流れたという話もあれば、九州で所帯を持っていたという話も聞いた。この西成へ流れてきた人が、どこか松とよく似た女を、松の物語にしているのかもしれなかった。
松の認知症は進行しているが、飛田での事は忘れていないのではないかと言う人もいる。桃子の話が出ると、松の眼の輝きが変わったと言う。松は暖かい日は路上で寝ているが、寒くなると釜ケ崎の自分のアパートに戻る。大きく傾き、雨露をしのぐだけのボロ家ではあるが、持ち主が昔、松のなじみの客で、自分が生きている間は余命の少ない松が暮らすために壊さずに残しているとの事だった。食事も近くの商店で買って持っていってあげているという。その人も八十歳近くになっている。
「息子らは早よ売って金にしたがってるけどな。わしが稼いでわしが建てたアパートや。わしが生きている間はわしの勝手にするつもりや。松姉さんな、灯りもつけんと、暗い部屋や。少しだけ夕陽が差し込めててな。枕元に綺麗な布敷いてな、そこに水子供養の位牌が四体並んでてな、線香あげてんねん。お菓子が供えられてんねん。位牌は松姉さんの堕ろした子供達のもんやと思うわ。楽しそうな姉さんと桃子の写真もあんねん。古びて色も変わってるがな。姉さん、手を合わせておがんでましたで。昔と変わらん綺麗な横顔やった。わしも、死んだ嫁はんに、毎朝線香あげてるで。あの世いって怒られるの嫌やからな。
え? 私のこと覚えてるかて? そうやな、それやったら嬉しいんやけどな。これ、死んだわしの嫁さん(妻)にも言うてないけどな。昔な、わしがまだ独りの若いときや、一度結婚の話、したことあんねん。親に勘当されても一緒になるつもりでおったんやけどな。そやけどな、松姉さんに断られてな。そんなこと忘れてるやろな。ええんや。わしの初恋やから。どっちが先にあの世に行くかわからんけどな」
歌謡劇場も第二部の休憩になり、英之が階段を上って入場口に出てくると太陽は西の空に傾いていた。アスファルトの照り返しで熱気が渦巻いている。クーラーの冷たい風が地下の歌謡劇場から吹きだしてくる。入り口近くで松が、乳母車に両手をそえて看板を見ていた。よく見えない様子だった。英之が声をかけた。
「おばあちゃん!」
松はきづかない。英之は一層大きな声を出した。
「おばあちゃん!」
「ああ……」
松が振り返った。英之は松の耳元に近づき言った。
「どないしたんや、歌謡ショー見にきたんか?」
「ああ……」
「そうか、お金あるんか?」
「ああ……」
松は皺だらけの千円札を英之に見せた。ずっと握りしめていたのか汗で濡れている。それは飛田の商店街で英之が松に握らせた千円札だった。入場料は千三百円である。少し足りなかった。
「そうか……。後はわしが出したるさかい。さあ入ろ」
英之は松を背負い地下劇場に続く階段をゆっくりと下りた。
