弁天の刺青6(新世界物語・1999年)短編小説:背中に弁天の刺青を彫った男と、男が愛した女の物語
(十一)
あけみと子どもが暮らすアパートは、飛田と大通りを挟んだ密集住宅街の二階だての文化住宅だった。六畳と、台所が一畳ほどの間取りだった。ただ、狭いながらも風呂が付いているのがありがたかった。あけみはまだ帰ってこない。今日も、こどもの食事の支度をするのは吉田だった。あけみが、仕事をさがしてもう一ヶ月近くになる。あけみは履歴書の書き方をしらなかった。最近、あけみは酒を飲んで帰ることが多くなっていた。
食事を済ませ、風呂に入ると、まもるはすぐに寝ついてしまった。吉田は、小さな音量でラジオを聴いた。隣の部屋からはテレビの音が聞こえる。あけみが帰るまでと思って待っていたが、吉田もいつの間にか眠っていた。
玄関を開ける音に目を覚ました。あけみだ。酒の匂いがする。吉田はそのまま眠たふりをした。あけみが、バックを落とすように置いた。ため息が聞こえる。服を脱ぐと風呂に入った。なにか呟いている。静かに体を洗っている。若々しいあけみの体をどうしても想像してしまう。血が高ぶっていくのが分かる。
湯上がりのあけみの体の匂いに吉田の意識が高揚していた。あけみが部屋の灯りを消した。そして全裸のまま吉田の布団の中に入ってきた。吉田はこらえきれず、あけみの乳房を掴んだ。吉田の背中の赤や青の極彩色の墨で彫られた弁天の刺青が光っている。弁天の刺青は向かいのアパートの窓から差し込める灯りに照らされ激しく揺れ動いた。
(十二)
翌日、雅子が店じまいをしている時だった。青いスーツを着たあけみが入ってきた。酔っていた。大きめのハンドバックを持っている。
「お酒ちょうだい」
高子が言った。
「もう、店じまいなんですけど」
「お願い、お酒飲ましてぇな」
あけみは椅子に座るとうつぶせてしまった。雅子がやって来て顔をのぞき込んで言った。
「あけみさん」
あけみは驚いて顔をあげた。
「誰や、あんた誰や」
「覚えてないか、雅子や」
「雅子……。なんで、なんで、雅子さんがここにいてんの」
「ここでお店やってんのや。昨日まもる君がきてたんやで」
あけみは、雅子をじっとみつめた。
「このお店やったんか。お礼言わんとあかんねんけど、こんなに酔っぱろうてしもて。そうか、雅子さんやったんか。ありがとう」
「あけみさん。子どもが待ってるで、早よ帰ったらんと」
「ごめんな、ちょっとだけや、お酒飲まして」
「あかん、子どもが待ってるんやろ」
あけみの顔色が変わった。
「ええやんか、ちょっとだけや」
「あかん、子どもが可哀想や」
あけみの眼の色が急に濁っていく。
「居酒屋やったら酒出しや」
あけみは、立ち上がりビールを持ち出そうとした。雅子は、ビールを取り上げた。あけみは離そうとしない。雅子はあけみの頬をなぐった。英之と高子は唖然とした。
「何さらすんじゃ!」
「子どもをほったらかしにしといて、酒飲んでる場合か!」
「何がわかるんや! あんたに何がわかるんや」
二人でとっつかみあいの喧嘩がはじまった。英之と、高子が二人を引き離すと、あけみは大声で泣き出した。
「なんでや! わしが売春やってるからか!」
「あほ! あんた母親なんやろ。可愛い子どもがいてるんやろ」
あけみは膝から崩れ落ちた。そして、再び大声で泣き出した。
「まもる! まもる!」
やがて泣き疲れると、倒れ込んだ。雅子はあけみを自分の部屋に泊めた。
(続く)
