朗読「松ねえさん1」
松姉さん
釜ヶ崎の路上に座り込んでいるホームレスの女性。彼女は八十歳近くに見えたが、実際はもっと若いかも知れない。彼女と眼が会った。黄色い目やにがべっとりとついていた。
「百円頂戴……」
彼女は手を出して私にそう言った。
私は百円玉を取りだして渡した。
「病院へいかへんの?」
彼女は首を振った。
彼女は何故ここにいるのか?
そして 何故病院をこばむのか?
天王寺公園の蝉の声も聞こえなくなり、大阪の暑い夏が終わろうとしていた。青い空に白い雲がいくつも浮かんでいる。
飛田新地は天王寺公園の南西にある。飛田大門から入ると、二階建ての店が軒を並べて建っている。その幾分古びたたたずまいは昭和の雰囲気を残している。
今日も、店の中では若い女がクーラーの風を受けながら客を待っているが、人通りは少なく手持ちぶさたな様子であった。飛田の商店街裏通りに初老の男があちらこちらで段ボール紙を敷いて寝ている。中年の男が路上に座り、湯気のあがった弁当を食べている。中身はトンカツ定食のようだった。若い男が缶ビールを飲みながら歩いている。日曜日の昼過ぎ、いつもより時間がゆっくりと過ぎていた。
1
新世界大通りに入ると様子は一変する。大勢の人が行き交っている。動物園から出てきた家族連れや観光客が声をあげ、楽しげに歩いている。路上では敷物の上に古本・古雑誌・ビデオフィルム・置物などが並べられている。三階、四階建の串カツ屋、高層のマンションも建っている。映画館の看板がとりわけ目につく。六〇年代、七〇年代の映画や、ポルノ映画が多い。
路地の奥まったところに建っているポルノ映画館の前に男娼がミニスカートから太い足を出して立っている。それを、もの珍しそうに眺め、たこ焼きを食べながら歩く若いカップルもいた。昼間から客を探していないと思われるのだが、男娼はいやに堂々と煙草をふかしていた。
通天閣入り口近くでは大型バスから、通天閣に昇る観光客が降りてきた。まわりにタクシーが何台も並んでいる。
バスガイドが拡声器を持って話している。
「えー、皆様こちらが通天閣でございます。あちらに見えますのは通天閣歌謡劇場といいまして、浪速の演歌の殿堂として演歌歌手の皆様が熱唱を繰り広げております」
観光客が話し合っている。
「通天閣いうたらもっと高い建物やと思うてたわ」
「本当や。まあ、レトロ」
ホームレスの老婆が、コンビニの前のゴミ箱に手をつっこんでいた。
「見て、あの乳母車のおばあちゃん。可哀想じゃない、あの年で」
「そやな……」
「エレベータが到着しましたので急いでお乗り下さい」
バスガイドに促され、観光客の一団は遠ざかっていった。
乳母車を横に置いてごみ箱を漁っていたのは、今年七十三歳になる『松』と呼ばれている女だった。戦前から飛田の店に出ていて、赤線廃止後はこの街からいなくなったが、十年ほど前から釜ケ崎の路上で暮らすようになっていた。
