なぜ、まともな指導者ほど評価されにくいのか
日本の育成バスケを止めているのは「悪い指導者」だけではない
日本の育成年代を見ていて、ずっと不思議に思うことがある。
勉強している。
自分の指導を疑う。
分からないことを「分からない」と言える。
選手を観察する。
新しい知見を取り入れる。
失敗したら修正する。
海外のバスケットボールを見る。
研究も読む。
他のコーチから学ぶ。
こういう指導者ほど、意外と断言しない。
「絶対こうです」
とは言わない。
なぜなら、知れば知るほど、
コーチングなんてそんなに単純ではない
と分かるからだ。
ところが育成現場では、逆の人間の方が「名将」に見えることがある。
声が大きい。
断言する。
怒る。
迷わない。
勝っている。
昔からやっている。
地域で顔が利く。
保護者にも、
「あの先生は厳しいけど熱心」
と言われる。
これ、かなり面白い構造だと思う。
日本のミニバスには「古いOS」がまだ残っている
これは単純に、
「昔の指導者は悪い」
という話ではない。
歴史的背景を見る必要がある。
日本の子どものスポーツは長く、
学校。
地域。
部活動。
ボランティア。
教員。
保護者。
こうした人たちによって支えられてきた。
この仕組みには大きな功績がある。
低コストでスポーツに触れられた。
地域コミュニティができた。
多くの子どもに競技機会が提供された。
だから全部否定する気はない。
ただし、その構造には副作用もあった。
「指導する人」と「指導を専門的に学んだ人」が必ずしも一致しない。
ここが重要だと思う。
バスケットボール経験がある。
先生である。
地域で長くやっている。
昔強豪校にいた。
全国大会へ行った。
これらが、
「育成年代を専門的にDevelopmentできる」
とほぼ同義で扱われてきた。
でも本来、全く別の能力だ。
「経験年数」が専門性の代わりになってしまった
日本の育成現場で強烈なのが、
「私は30年間指導しています」
という言葉。
もちろん30年間学び続けているなら、とんでもない財産だ。
でも、
30年間やっていることと、30年間アップデートしていることは違う。
同じ方法を30年繰り返していたら、
それは30年分の経験なのか。
それとも、
1年分の経験を30回繰り返しただけなのか。
ここは分けなければいけない。
経験は重要。
でも経験だけでは、
自分の方法が正しかったのか、
選手の才能のおかげなのか、
早熟だったのか、
たまたま良い世代だったのか、
他の方法ならもっと伸びたのか、
分からない。
だから経験を、
研究。
外部評価。
映像。
選手のフィードバック。
他のコーチとの対話。
世界の競技動向。
こうした外部情報と照合する必要がある。
日本では「勝った人」が正しいことになりやすい
そしてミニバスでは、
大会結果が恐ろしく分かりやすい。
県大会優勝。
全国大会出場。
何連覇。
これが「指導力」の証明として使われる。
でも本来、
Team PerformanceとCoach Development Abilityは同義ではない。
リクルート。
地域人口。
身体成熟。
競技開始年齢。
家庭環境。
選手層。
練習量。
全部影響する。
そしてU12なら、今日勝てることと、18歳で伸びることも同じではない。
ところが結果だけなら簡単に評価できる。
だから、
「あのコーチは県大会で優勝した」
が、
「あのコーチは育成が上手い」
へ変換される。
この飛躍がずっと残っている。
でもJBA自身は、もう違うことを言っている
ここが最大の皮肉。
JBAのU12指導ガイドラインでは、U12で「心からバスケットボールが楽しい」と実感させること、子どもの意思や思考を欠いた勝利至上主義を避けること、将来を見据えて「個の育成」を重視することが明記されている。
さらに現在のJBAは、U12の競技環境についても、過剰な勝利至上主義を防ぎ、楽しくプレーできる環境を整備することを明示している。
つまり、
「そんなの海外の話だろ」
ですらない。
日本の統括団体自身が言っている。
なのに現場では、
「勝負なんだから上手い子が出るのは当たり前」
「出たければ努力しろ」
「昔はもっと厳しかった」
「親は口を出すな」
「嫌なら辞めろ」
が残っている。
だから問題は、
情報が存在しないことではない。
情報が現場文化まで浸透していないことなのだと思う。
FIBAはもっとはっきりしている
FIBA/WABCのCoaches Manualでは、ジュニアを指導することはプロチームを指導することとは異なると明記され、コーチには各選手のDevelopment Needsを評価し、身体的・感情的・社会的発達を理解しながら長期的視点を持つことが求められている。
Level 1でも、経験差のある集団について、能力の低い選手を切り離すのではなく、より高い要求水準へ段階的に適応できるようコーチが支援し、1on1、2on2、3on3などで個人戦術的意思決定を発達させることが示されている。
そしてFIBA/WABCは2025年にも「Preparing Today’s Players for the Future Game」というCoach Development Projectを公開している。
つまり世界側も、
コーチ自身がDevelopmentし続けること
を前提に動いている。
ここで第一勢力。「昔ながらの名将型」
分かりやすい。
長時間練習。
怒鳴る。
走らせる。
ミスを責める。
上下関係。
固定メンバー。
勝利実績。
そして、
「俺たちはこれで勝ってきた」
このタイプ。
私は、まだ分かりやすい分だけ議論しやすいと思っている。
なぜなら思想が明確だから。
「勝てばいい」
なら、
Developmentとは何ですか?
継続率は?
DNPの選手は?
晩熟選手は?
次カテゴリーでどうなりました?
と聞ける。
第二勢力。「新しい言葉だけを覚えたマーケティング型」
これも最近増えた。
Development。
世界基準。
認知。
判断。
ファンダメンタル。
メンタル。
脳科学。
神経系。
こういう言葉を並べる。
でも、
「具体的に何を意味していますか?」
と聞くと急に曖昧になる。
言葉は新しい。
でも練習を見ると、
昔とほぼ同じ。
これも危険。
古い指導を、新しい言葉でラッピングしているだけ
だからだ。
そして一番厄介なのが「第三勢力」
私は実はここが一番難しいと思っている。
悪い人ではない。
むしろ良い人。
子どもが好き。
バスケットボールも好き。
休日を潰して体育館へ来る。
お金もほとんどもらっていない。
一生懸命。
保護者からも好かれている。
だから誰も強く言えない。
でも、
発育発達を勉強していない。
Motor Learningを知らない。
Skill Acquisitionを知らない。
S&Cを知らない。
Safeguardingを知らない。
FIBA/WABCの資料を読んでいない。
JBAのU12ガイドラインすらちゃんと読んでいない。
でも、
自分は「指導者」であるというプライドは非常に強い。
ここ。
これがめちゃくちゃ難しい。
「良い人」と「良いコーチ」は同じではない
これは残酷だけど、分けなければいけない。
人格が良い。
熱心。
子ども思い。
無償で頑張っている。
これは素晴らしい。
でも、
専門能力とは別軸。
優しい人だから理学療法士になれるわけではない。
熱心だから医師になれるわけでもない。
子ども好きだから教師としての専門性が自動的に身につくわけでもない。
スポーツ指導も同じ。
善意は重要。
でも、
善意は専門性の代替にはならない。
「勉強した方がいいですよ」で怒る不思議
第三勢力の最大の特徴がここ。
「こういう資料がありますよ」
「FIBAではこう整理されています」
「この研究では違う結果もあります」
「一度勉強してみませんか」
と言われる。
普通なら、
「なるほど」
でいい。
ところが、
「俺のやり方を否定するのか」
になる。
なぜか。
ここで指導方法と自己アイデンティティが一体化している。
「私のコーチングへの批判」が「私という人間への否定」に変換される。
すると学習ができなくなる。
新しい情報は、
学ぶ材料ではなく、
自分を脅かす攻撃
になるからだ。
本当に専門家に近づくほど「分からない」が増える
私はこれが重要だと思っている。
勉強すると、
単純に言えなくなる。
この練習は絶対正しい。
このシュートフォームが正解。
この年齢ならこれ。
このトレーニングで怪我予防。
こういう断言が怖くなる。
対象による。
目的による。
成熟度による。
環境による。
競技レベルによる。
Evidenceの強さによる。
そういう条件が見えてくる。
つまり、
知識が増えるほど、自分の知らなさも見える。
逆に知識が少ないほど、
「俺は分かっている」
と言いやすい。
これが育成現場では厄介になる。
保護者側にも評価の問題がある
そして指導者だけを責めても解決しない。
保護者から見て、
良いDevelopment Coachを評価するのは難しい。
「今日は選手のPerception-Action Couplingを……」
なんて説明されても分からない。
でも、
怒鳴る。
走らせる。
汗だくになる。
練習が3時間ある。
大会で勝つ。
これは分かりやすい。
「厳しく指導してくれている」
「熱心な先生」
「こんなに練習している」
となる。
つまり、
見えやすい努力が、見えにくい専門性を上回って評価される。
これも構造問題だと思う。
「何もしないコーチ」が実は高度な場合もある
例えばゲーム中。
選手がミスした。
すぐ答えを叫ぶコーチ。
「そこパス!」
「右!」
「シュート!」
ものすごく指導しているように見える。
一方、
黙っているコーチ。
保護者からすると、
「何も教えてない」
となるかもしれない。
でも、そのコーチは意図的に選手へDecisionを残している可能性がある。
後から質問する。
「何が見えてた?」
「他に選択肢あった?」
これは選手主体の学習設計かもしれない。
つまり、
良いコーチングほど外から見えにくい場合がある。
ここも「まともな人ほど評価されない」理由になる。
さらに問題なのは、地域コミュニティの権力構造
長くやっている。
大会運営をしている。
審判を知っている。
協会関係者を知っている。
体育館を押さえられる。
地域で顔が利く。
こうなると、
専門性とは別の種類の権力が生まれる。
すると若いコーチが、
「それ、今の育成としてどうなんですか?」
と言いづらくなる。
正しいかどうかではなく、
誰が言ったか
になる。
これでは知識更新が起きにくい。
「俺たちはボランティアだから」は免罪符になるのか
これも難しい問題。
無償で子どもたちを見ている。
本当に頭が下がる。
でも、
ボランティアだから勉強しなくていい。
ボランティアだから怒鳴っていい。
ボランティアだから昔の知識のままでいい。
にはならない。
むしろ、
子どもの身体と心理と時間を預かる以上、最低限の専門性と倫理は必要
だと思う。
資格の有無だけの話ではない。
学び続ける責任の話だ。
JBAも今まさに「コーチをDevelopmentする」方向へ動いている
現在のJBAは、Player-Centered Coachingを掲げ、コーチ自身の「人間力」「行動規範」「コーチング指針」を示し、Coach Developmentを明確に位置づけている。
さらに2025年度には、ジュニア期について「普及・育成・強化」の三つの視点から捉え、将来性を重視した専門的な指導力や知識が必要だとして、ジュニアエキスパート養成講習会も実施している。
だから、
「昔からこうやってきた」
だけでは、もうJBA自身の方向性ともズレ始めている。
FIBAミニの思想を見ると、さらに面白い
JBAのU12ガイドラインに掲載されているFIBA Easy Basketballの思想を見ると、
楽しむ。
Everyone plays。
子どもにイニシアチブを持たせる。
同年代・同レベルとプレーする。
ゲームを理解する。
ゲームを分析する。
身体を守る。
こうした項目が並ぶ。
これを見ると、
「上手い子だけ出せばいい」
「出られなければ移籍すればいい」
「子どもは黙ってコーチに従え」
という文化を、
“世界基準のミニバス”と呼ぶのはかなり無理がある。
日本は「コーチを評価する文化」が弱かったのではないか
選手は評価される。
シュート率。
得点。
身長。
タイム。
スタメン。
選抜。
でもコーチは?
何を評価するのか。
勝率?
大会実績?
指導年数?
それだけでは足りない。
Development Coachなら、
選手がどれだけ成長したか。
ゲーム理解はどう変わったか。
Decision Makingはどう変わったか。
継続率は?
離脱率は?
心理的安全性は?
選手の主体性は?
次カテゴリーへのTransferは?
そして、
コーチ自身が一年間で何を学んだのか。
ここまで評価対象にしていいと思う。
「勉強しろ」は侮辱ではない
私はこれを一番言いたい。
「勉強してください」
これを、
「お前は無能だ」
と翻訳する必要はない。
むしろ逆。
専門職なら勉強するのが普通。
FIBA/WABCは現在もCoach Educationの教材を提供し、Mini BasketballからLevel 1、2、3まで体系的な学習資源を公開している。
世界側がコーチをDevelopmentし続けようとしているのに、
日本の体育館で、
「俺は20年やってるから勉強なんか必要ない」
となったら、
そりゃ差は広がる。
本当に怖いのは「悪い指導者」ではない
暴力。
暴言。
明らかな勝利至上主義。
これは分かりやすい。
周囲も、
「おかしい」
と言いやすくなってきた。
私がむしろ怖いのは、
善意がある。
人柄もいい。
熱心。
でも学ばない。
このコーチ。
そして、
「子どものためにやっている」
という善意があるから、
本人も周囲も疑わない。
だから更新されない。
悪意がある人より、
善意と確信がセットになった人の方が、変化しにくい場合がある。
「いい人だから」で子どもの育成を任せていいのか
良い人であることは大切。
でも、
良い人+専門性
を目指せばいいだけだ。
なぜ、
「良い人なんだから知識はなくてもいい」
になるのか。
逆だと思う。
子どもが好きなら、
勉強すればいい。
バスケットボールが好きなら、
もっと学べばいい。
選手の将来を本当に考えているなら、
自分の成功体験くらい疑えばいい。
まともなコーチとは何なのか
私は、
間違えない人だとは思わない。
全部知っている人でもない。
海外経験がある人でもない。
資格を大量に持っている人でもない。
自分が間違っている可能性を残せる人。
これがものすごく重要だと思っている。
「この方法、本当にいいのかな」
「もっと良い方法ないかな」
「この子には合っていないかもしれない」
「去年のやり方を変えよう」
「知らないから勉強しよう」
こう言える。
これが専門性の入り口ではないだろうか。
世界との差は、技術だけではない
日本人はシュートが下手。
フィジカルが弱い。
1on1が弱い。
判断が遅い。
よく言われる。
でも、その前に考えたい。
コーチをアップデートする文化はどうなのか。
世界との差を選手の能力だけで説明するのは簡単。
でも選手を作っている環境も見なければいけない。
FIBA/WABCが「コーチの水準を上げることでゲームの水準を上げる」という発想でCoach Educationを構築していることは象徴的だ。
選手だけ世界基準にしようとして、
指導者だけ昭和のまま。
そんな都合のいい話はない。
最後に
日本の育成を変える最大の敵は、
「悪い人」
だけではないと思う。
昔の成功体験から出られない人。
新しい言葉だけ覚えた人。
そして、
良い人だけど、学ぶことを止めてしまった人。
この三つが混ざると、ものすごく変わりにくい。
だから私は、
「もっと勉強しましょう」
と言う。
これは指導者を馬鹿にしているわけではない。
むしろ、
指導者という仕事を、それだけ専門性の必要な仕事だと思っているから言っている。
子どもには、
努力しろ。
考えろ。
挑戦しろ。
失敗から学べ。
成長しろ。
と言う。
だったら指導者も同じでしょう。
新しい知識を拒否する。
指摘されたら怒る。
自分の経験だけを根拠にする。
「俺の時代は」で終わる。
それで子どもに、
「成長しろ」
は、さすがに無理がある。
育成年代で最初にDevelopmentされなければいけないのは、
もしかすると選手ではない。
私たち指導者の方なのかもしれない。
