生きるを整える。祖父が残してくれた何気ない日常。
今回はのぞみんさんの企画「教えて!おじいちゃん、おばあちゃんのこと。」に参加させていただきます。
私が小学校に入学するまで、幼稚園の夏休みには毎年、祖父母の家へ遊びに行っていました。
幼かった私は、祖父の戦争の話をほとんど知りません。
司厨として戦地に赴いていたようです。
子供だった私は「シチュー」を作る人なのだと本気で思い込んでいました。
そのためなのかわかりませんが、「食べること」をとても大切にしていたように感じます。
たまに祖父自ら夕食を作ってくれました。
そのときは決まって、弾丸コロッケと言って、小判型とも俵型とも少し違う戦時中の弾丸に見立てた形のコロッケを食べさせてくれました。
香ばしいサクサクの衣にたっぷりのじゃがいもとひき肉を使ってあるコロッケで、程よい塩加減で気に入っていました。
また、夏には必ずと言ってよいほど、枝豆を茹でてくれました。
「豆はいいぞ〜」と言いながら、勧めてくれたことも懐かしいです。
祖父は毎朝、きゃべつとにんじんで作った自家製のジュースを飲むことが日課になっていました。
祖父が飲んでいるのが特別に見え、うらやましそうに見ていたら、「飲んでみるか」と言われ、一度試してみたことがあります。
甘みもない、きゃべつの苦味を感じるジュースに「おいしくない」と言った憶えがあります。
私たち孫には、ミキサーでりんごジュースをいつも作って、飲ませてくれました。
よく近くの公園にも連れて行ってくれました。
公園では蝉取りをしたり、すべり台などの遊具で遊びました。
お転婆だった私は、すべり台の踊り場の柵をまたぎ、
降りようとしたところ、足をひっかけたそうです。
祖父が「危ない、落ちるー!」と落下地点に近づき、抱きかかえようと下で構えたものの、落ちてくるはずの私が落ちてこず、上を見ると、柵に猿のように片手で捕まる私がいたそうです。
私自身は全く記憶がないのですが、祖父の中ではヒヤヒヤした記憶として残ったようで、何度も話してくれました。
ある時、自転車の後ろに乗せられて公園へ行ったことがあります。
その当時はチャイルドシートがある自転車を見かけませんでした。
公園からの帰り道、
「危ないから、足をタイヤに近づけちゃいけないよ。」と言われ、荷台に乗せられたのにもかかわらず、はしゃぎながら乗っていました。
祖父の忠告などすっかり忘れ、足を後輪にはさんで、泣いて帰ったことがあります。
「だから、言ったじゃないか」
足は痛いし、怒られる。
大げさに泣いた割に、幸い、擦りむいた程度で済みました。
でも、1年後、また同じ失敗をしました。
ただ、そのときは、祖父の方が慎重になっていて、ゆっくりペースで
すぐに止まれる状態で自転車を走らせていたので、擦りむくこともなく、後輪に足をはさんだだけで済みました。
正月には凧揚げも一緒にやりました。
凧糸を3巻だったか4巻だったかつなげ、ずいぶん高くまで飛ばしました。
上空高く上がっていくと自分一人だと支えきれなさそうなこともありましたが、祖父の力を借りて上げられて、とにかく楽しかったことを憶えています。
コマ回しもよくやりました。
祖父と父のひもの巻き方、コマの投げ方が違い、どちらが長く回るか祖父と弟と勝負しながら、何度もコマ回しをしました。
その時のひもの巻き方や投げ方の都合で結論は出ませんでしたが、私は祖父流の内投げの方が得意でした。
将棋好きの祖父の影響で、幼い弟も一緒に回り将棋はよくやりました。
そんな祖父が小学校5年生で亡くなる直前は、土色の肌の別人のようになってふとんの上で横たわっていてびっくりしたことを思い出しました。
祖父が私に残してくれたものなら、たくさん覚えています。
弾丸の形をしたコロッケ。
野菜たっぷりのジュース。
蝉取りや凧揚げ、コマ回し。
公園までの自転車。
振り返ると、それはどれも「生きる力」を育ててくれる時間でした。
戦争を生き抜いた祖父は、そのことを言葉で語ることはありませんでした。
けれど、食べること、遊ぶこと、体を動かすこと、季節を楽しむことを通して、「平和な毎日」の大切さを、私に教えてくれていたのかもしれません。
私が今、「整える」という言葉を大切にしている原点にも、あの頃の祖父との時間が静かに息づいているように思います。
ふと思い出すたび、私は今でも、祖父の自転車の後ろで風を受けているような気持ちになるのです。
のぞみんさんのおかげで、またひとつ大切な思い出を形にすることができました。
今回も素敵な企画をありがとうございました。
この場所は、
心や暮らしを、少しずつ整えるための小さな余白です。
今日の記事が、
あなたの毎日にそっと寄り添う
ぷちふく(小さなしあわせ)のひとしずくになればうれしいです。
あなたらしく過ごせますように。

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