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PLANET LAND ー 彗星から惑星へ ー 第27話 好きなことを好きなだけ

第27話 好きなことを好きなだけ

 ユズは鉄板の前に立ったまま、含みのこもる笑顔で、杏奈の隣にいる河瀬を頭の先から足元まで眺めた。

「ええな〜」
「人があっつい中、汗水垂らしてたこ焼き焼いてんのに、こんな爽やかイケメンとデートですか?うらやましいわ〜」

 わざとらしい明るい声。
 杏奈はぎくりとして、慌てて手を振る。

「ち、違います、そんなんじゃ……」

 と、言いかけたところで、河瀬がきょとんとした顔で杏奈とユズを交互に見た。

「知り合い?」

「サークルの……先輩」

「……先輩」

 そう呟いた瞬間、河瀬はすっと背筋を伸ばした。

「押忍! 自分は! 六星大学、體育會(たいいくかい)弓道部、一回生! 河瀬清彦です! 同校の先輩とは知らず、ご無礼、失礼しました! 押忍!」

 たこ焼き屋台の店先での大声。
 腰から90度に綺麗に曲げた、完璧なお辞儀。
 ユズも杏奈も、揃ってぽかんと口を開けて眺めてしまった。
 先に我に返ったユズは、目を白黒させたかと思うと、じわじわと肩を震わせる。

「……杏奈ちゃん? あんたのお友達、天然記念物?」

 杏奈は河瀬とユズの間で視線を往復させた。

「あ、あの、弓道部の河瀬くんです」
「高校のクラスメイトで、たまたま同じ学校で……今日、ちょっと応援に行ってて」

 何故か慌ててしまう自分に疑問を感じながらも、とにかく言葉を重ねる。
 すると、ユズの表情がますます何かを勘繰るように見えた。

「あ、知っとる、弓道部の安積さんに聞いたことあるわ」
「インターハイ準優勝のすごい一回生おるって」「けど……同じ高校のクラスメイト……」
「で、ふたりは同じ大学……」
「これはこれは?……ふ〜ん」

 これ以上は、何かを言うたびに墓穴を掘ってしまうと悟った杏奈は、冷や汗を浮かべて推し黙った。
 対照的に、河瀬はまったく何も気づいていない様子で、たこ焼きのソースの焼ける匂いを、目を閉じて思い切り吸い込んでいる。

 ユズは舟皿にたこ焼きを並べながらも、口元だけはにやにやと笑っていた。

「へ……変な、勘違いしないでくださいね」

 杏奈が思わずそう言うと、ますます楽しそうに目を細めるユズ。
 その時、河瀬が口を挟む。

「応援してくださって頂いたお礼に、ご馳走を奢らせて、頂いてさせてもらうお約束をしておりましたので」

 一瞬、鉄板の前の空気が止まった。
 杏奈はまばたきを忘れ、ユズはピックを持ったまま固まる。
 数秒の沈黙のあと、ユズの笑顔が勘繰るような含みを持ったものから、純粋な可笑しさのものに変わった。

「河瀬くん……言葉遣い……変やで」

 すると河瀬は、はっとしたように背筋を伸ばす。

「押忍!先輩方から!お目上の方には、お最上級のお敬語でお話しかけろ!と言われましたので」

 ユズは、もう限界寸前の様子で肩を震わせた。

「なんでも『お』つけたらええってもんやないで」

「押忍、失礼しました」

 ユズは、噴き出すのを堪えながら告げる。

「あー、もう普通にして」
「疲れるわ」

 河瀬はそこで考え込み、少しだけ肩の力を抜いた。

「ほうですか? ほじゃ」

 ユズはとうとう噴き出してしまう。

「君、面白いなあ」 

 たこ焼きを舟皿に盛りながら、にやにやと河瀬を見上げた。

「河瀬く〜ん、せやったらもっとええとこ奢ったりな」
「ポートピアの展望レストランのディナービュッフェとか」

 からかう気まんまんの声だ。
 本気の提案ではないことは、分かりきっているはずだった。
 嫌な予感がした杏奈が河瀬を見ると、真顔のまま目を見開く。

「ほら、やっぱり!」
「田澤さん、今から神戸行こう!」

「じゃから今月、生活できんなるじゃろ!?」 

「杏奈ちゃん、息ぴったりやな」
「高校の時から仲良かったん?」

 二人はまた顔を見合わせる。

「あの時は……あんまり」

「ほとんど話しとらんかったです」

 ユズは小さく頷いた。

「卒業以来、離れた場所で再会、それも同じ学校か……杏奈ちゃんも書かんような、ベタな展開やんなあ」

「もう、やめてくださいよ」

 ユズのからかいに、顔を赤らめて否定する杏奈だったが、河瀬はただ首を傾げている。
 ユズが、たこ焼きの入ったふたつのビニール袋を差し出した。

「はい、ふたつで1200まん円」

「まじですか?」

「ギャグじゃって!」

 河瀬が真顔で聞き返すと、杏奈が即座に突っ込む。
 ユズはとうとう声を上げて笑いだした。

「ほんま河瀬くん、おもろいわ」
「どやろ?今度お姉さんとデートしてみんか?」

 杏奈は思わず顔を上げた。

「ユズさんには雄吾さんがいるでしょう?」

 間髪入れずに返すと、ユズはくすっと笑う。

「いややな、冗談やって」
「ほな、気いつけてな」

 たこ焼きを手渡しながら、軽く手を振る。
 河瀬はビニール袋を受け取ると、その場で背筋を伸ばした。

「失礼します!」

 ぴしっと声を張り、深々と頭を下げる。
 またも腰から90度曲がった最上級のお辞儀である。
 杏奈は慌ててその腕を引いた。

「ちょ、もうええって!行くよ!」

 半ば引きずるようにして、その場を離れる。
 ユズは二人の後ろ姿を見送りながら、口元に小さな笑みを浮かべた。

(聡志、思わぬ強敵出現やで)

 くすり、とひとりで笑った。

 ワンルームの部屋、パソコンの画面だけが白く光っている。
 机に向かっていた聡志は、キーボードの上で手を止めたまま、深く息を吐いた。

「あー、くそ!レポート、先進まねえ!」

 頭を抱えて椅子にもたれかかり、頬を膨らませながら、大きなため息をついた。

 夜の公園の、街灯に照らされたベンチに、杏奈と河瀬が並んで腰を下ろす。
 杏奈は、湯気の立つ舟皿を膝の上にのせて、たこ焼きを串に刺してふう、ふう、と小さく息を吹きかけていた。
 その隣で、河瀬は待ちきれなかったらしい。杏奈が止める間もなく、ひとつをそのまま口へ放り込んだ。

「ふわっつ!」

 次の瞬間、河瀬の顔がひきつり、口をパクパクさせて悶絶し始める。
 杏奈は呆れて目を丸くしながら、ため息をついた。

「たこ焼き、いきなり口に放り込んだらいけんじゃろ」

 さっきまで弓道場で見せていた、あの気迫に満ちた雰囲気は微塵も感じられない。
 杏奈は思わず苦笑いをしながら、ペットボトルを差し出す。

「ほら、お水飲みんさい」

 河瀬はほとんど反射でそれを受け取ると、ぐびぐびと勢いよく喉を鳴らした。
 ようやく一息ついて、深く息を吐く。

「ふう、助かったわ、ありがとう」
「べろ、火傷してしもうた」

 あまりにも素直な言い方に、杏奈はとうとう小さく笑ってしまった。

「河瀬くん、クールな人かと思うとったのに、イメージ崩壊じゃ」

 その言葉に、河瀬は少しだけ眉を寄せる。

「そんなん、俺意識しとったわけじゃないけえ」「田澤さんがそう思うとっただけじゃろう?」

「まあ、そうじゃけど」

 河瀬はたこ焼きを一つ、今度は慎重に冷ましながら口に入れて、それからふと思い出したように口を開いた。

「サークルって、何しよるん?」

「演劇サークル」

「そこで何を?」

「お芝居の、台本書きよる」

 河瀬の動きが、ぴたりと止まった。

「お話を作りよる、ちゅうこと?」

「そう」

「先輩たちが言うとった、大ホールの舞台すごかったって」
「それ、田澤さんが書いたん?」

「うん」

 短く答えると、河瀬はじっと杏奈を見る。
 その目には、まっすぐな驚きがあった。

「すげえ」

「え?」

「田澤さん、すごいわ」
「俺、全然知らんかった」

 杏奈は、一瞬だけ目を逸らす。

「あ、ありがとう」

「どんなお話なんや?」

 杏奈は少しだけ迷ってからスマホを取り出した。

「これとか」

 動画サイトを開いて、「ハローライフ」を再生した。
 画面の光が浮かび上がる。
 河瀬は、少しだけ身を乗り出して覗き込むと、眉が寄り、視線が揺れて、やがて動かなくなる。
 言葉が、出てこない。
 杏奈は何も言わず、ただ隣でその横顔を見ていた。
 やがて、河瀬の肩が、ほんのわずかに震える。
 息を飲む音が、小さく漏れたが、声は出さないままただ画面を見つめ続けていた。
 夜の公園に、静かな時間だけが流れていく。
 動画が終わっても、河瀬はしばらく何も言わなかった。
 杏奈は沈黙に気まずさを覚えて、思わず苦笑する。

「ちょ、大袈裟じゃって」

 しかし、河瀬は首を振った。

「田澤さん、すごいわ」
「これ、田澤さんにしか書けんもんじゃろ?」

「河瀬くん……」

「俺のやりよる事は、決まった射の型を覚えて、弓を引いて、矢を放つだけじゃ」
「田澤さんは、誰も知らん、誰も書けんもんを生み出しよる」

 そこで一度、河瀬は言葉を切った。
 少しだけ唇を噛んで、それから小さく笑う。

「俺、ちっさいのう」

 杏奈はすぐに首を横に振った。

「けど、二十射皆中(にじゅっしゃかいちゅう)は、誰にも出来んことじゃろ?」

 河瀬は膝の上の舟皿に目を落としたまま、ぽつりと返す。

「簡単にできるやつを俺は知っとる」

 青島のことだ、と杏奈にはすぐわかった。
 あの日、学食で聞いた名前が頭をよぎる。
 試合の時、河瀬が見つめていた的の向こうにある存在。

「けど、河瀬くん自身が出来るようになる為に、かなり努力したんじゃろ?」

 そう言うと、河瀬は少しだけ黙った。
 夜風がベンチの足元をすり抜けていく。

「努力…か」
「しとらんよ」

「しとるじゃろ?」

 すると河瀬は、困ったように笑った。

「皆んなは言うてくれる」
「俺、他の皆んなの何倍も、何百本も引きよるって」
「けど、それは俺にとったら、好きな事を思う存分楽しんだだけじゃ」

 杏奈は河瀬の目を見つめた。
 彼もまた、自分の言葉を信じて疑っていない、確信を持った視線を返す。
 それほど河瀬にとって弓を引くということは、当たり前のことなのだろう。

「河瀬くんは強いなあ」 

「俺、喧嘩とかした事ないで?」

「その強さじゃのうてさ!」

「ほうか」

 河瀬は小さく返すと、少し視線を落とした。

「まあ、ほじゃから、こんな六星みたいな名門に入れてもらえたんよ」
「一生懸命勉強しとった田澤さん達には、申し訳ないくらいじゃ」

 素直に出てくる、ひねりも飾りもない言葉。
 杏奈はしばらく黙って、その言葉を聞いていた。

「それだけ、自分の弱みを正直に表に出せるのが、河瀬くんの強さじゃと思うよ」 

「……ピンと来んけど、田澤さんが言うならそうなんじゃろ」

 杏奈は小さく笑い、手の中のたこ焼きに視線を落とす。

「うちも、今、正直悩んどって」

 河瀬が隣で少し身を乗り出した。

「どしたんね?」

「年末に新しいお芝居をやるんじゃけど、二時間もやる長編なんよ」
「会場も凄いし、サークルの皆さんとか、お客さんが満足いくように出来るか、わからんで」

 言い終えたあと、自分でも少しだけ肩の力が抜けるのを感じる。
 河瀬はふっと視線を落とした。

「ごめんの」

「なんで謝るん?」

 河瀬は少し困ったように笑った。

「そんな大変な時に誘うてしもうて」

 その言い方が素直すぎて、杏奈は小さく首を振る。

「ううん。今日はええ気分転換になったわ。それに――」

 そこでふと、昼間の射場(しゃじょう)が脳裏に蘇る。
 二十射目、張り詰めた会の中で、ほんの一瞬だけ自分と目が合ったこと。

「本当の河瀬くんを見れたけえ」

 杏奈がそう言うと、河瀬は少しだけ目を丸くした。
 けれどすぐに、照れたように視線を逸らす。

「俺が言うても的外れかも知れんけども、田澤さんは、田澤さんが楽しいと思うものを書いたらええと思うよ」

 難しい言葉じゃない。
 しかしすっと胸に入ってくる。

「そうかいね?」

「俺も、自分が好きで楽しゅうてやりよることやけえ」
「それが、学校にも、仲間にも役に立っとるみたいじゃし」
「田澤さんの悩みと、比べるもんでもないけど」

 杏奈はその言葉を胸の中で一度転がす。
 自分が楽しいと思うものを書く。
 たったそれだけのことなのに、いつの間にか一番見えなくなっていた気がした。

「河瀬くん、ほうか……ほうじゃね!」
「うち、がんばれそうじゃ」
「今日はありがとう」
「今から書いてみる!」

 その勢いに、河瀬もつられたように笑った。

「うん、頑張りんさい」

 杏奈は大きく頷く。

「河瀬くんも、今度は青島さんに勝てるとええね」

 その名前が出た瞬間、河瀬の目の奥に、昼間の射場と同じ火がちらりと灯った。

「おう、今度は勝つけえ!」

 夜の公園に、その言葉が妙にまっすぐ響いた。
 杏奈は、はっと思い出したように口を開く。

「あとね」

「何?」

「卒業式の写真、うちにもくれんかいね?」

 一瞬、河瀬の表情が固まる。

「あ、ああ、ええよ……」
「けど、やり方が……わからんけえ」

「スマホ、貸してみんさい」

「え? あ、ちょ――」

 杏奈は河瀬の手からするりとスマホを受け取って、手慣れた手つきで画面を開いた。
 その瞬間、杏奈の動きがぴたりと止まる。
 待ち受けに設定されていたのは、卒業式の日に撮った、あのツーショットだった。
 少しぎこちない笑顔の自分と、その隣でどこか硬い顔をしている河瀬。

 河瀬のほうが、先に耐えきれなくなったように口を開く。

「いや……よう撮れとったから、つい」

 杏奈は小さく息をついて、それ以上は何も聞かず、メッセージアプリを開く。
 自分の連絡先を登録すると、写真を移して河瀬に返した。

「また、なんかあったら、連絡ちょうだい」

 河瀬は受け取ったスマホを見下ろし、それから杏奈を見た。

「う、うん」
「今日は、ほんまありがとう」

「こちらこそやけえ」

 河瀬と別れて、ひとりになった帰り道だった。

 夜風が頬を冷ます中、さっきまでのやり取りを何度も思い返していた。
 真顔で今から神戸へ行こうと言い出したことや、たこ焼きを熱いまま口に放り込んで悶絶していた顔。
 動画を見て、声もなく泣いていたこと。
 努力ではなく、好きなことを好きなだけやって来ただけだという、何も飾らない素直な言葉。

「けど、河瀬くん、あんなに弓が好きじゃのに、怪我したりして、できんようになったらどうなるんじゃろう?」

 その瞬間、不意にフタバの姿が浮かんだ。
 帰りたいと願いながら帰れない時間。
 やりたいことがあるのに、身体が追いつかない苦しさ。
 杏奈ははっと息をのんだ。

「そうか……フタバさん」

 ようやく少しだけわかった気がした。
 病気のこと。
 戻ってこられないこと。
 みんなが心配していること。
 それより何より、好きで当たり前みたいにそこにあったものが、ある日急に自分の手から離れてしまったこと。

 それを、河瀬を見て初めて、自分の中で具体的に掴んだ気がした。
 励ますつもりで言ったこと。
 待っている、と伝えたこと。
 それがフタバにとって、どんなふうに響いていたのか。
 戻りたいに決まっている人に、戻ってきてと言うこと。
 やりたいに決まっている人に、また一緒にやろうと言うことが、どれほど残酷かを理解し、杏奈は唇を噛んだ。

「うち、無神経すぎたな」
「……どうしよう」

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