「魯西亜」を「露西亜」に変えさせた外交官
『市邨先生語集』第173訓話「知れよ知られよ」(大正10年10月)を読んでいて、思わず手が止まった。
そこには、露国公使ヒトロヴオー氏が、日本で用いられていた「魯西亜」の「魯」の字に抗議し、「露西亜」へと改めさせたという逸話が紹介されていた。
私が興味を持ったのは、その出来事そのものではない。
市邨芳樹が、この逸話を通じて何を伝えようとしたのか、である。
当時、日本ではロシアを「魯西亜」と表記することが一般的であった。
ところがヒトロヴオー氏は、「魯」の字には愚鈍の意味があり、一国の名をその字で表されることは国家の面目に関わるとして日本政府に抗議したという。
その結果、日本では「露西亜」と表記するようになった。
市邨は、この話を単なる外交上の逸話として紹介したのではない。
市邨は欧米の博物館を訪れ、日本に関する展示の多くが実態とかけ離れていることに衝撃を受けていた。
そこには駕籠があり、人力車があり、鎧武者があり、頬被りをして赤子を背負う女性がいる。
それらは確かにかつての日本の一面ではあった。
しかし、それだけを見た外国人は、果たして日本の本当の姿を理解できるだろうか。
市邨は嘆く。
なぜ各国に駐在する日本の大使、公使、領事たちは、それを見過ごしているのか。
なぜ誤解を正そうとしないのか。
なぜ日本の現状を伝えようとしないのか。
百年以上前の文章があった。
しかし私は、この訓話を読みながら、現代にも通じる問題ではないかと思った。
誤解されることはある。
知られないこともある。
それは個人でも、地域でも、国でも同じである。
だが、本当に恐ろしいのは誤解そのものではない。
誤解を放置することではないだろうか。
市邨は訓話の最後で、ソクラテスの有名な言葉を引用する。
Know thyself
――汝自身を知れ。
そして、その言葉に続けて、自らの考えを示す。
Make thyself known
――汝自身を知らしめよ。
私はこの言葉に、市邨芳樹の本質を見る。
自己を磨くことは大切である。
しかし、それだけでは足りない。
自らを正しく伝えること。
自らの価値を知ってもらうこと。
誤解を正し、理解を求めること。
それもまた、同じくらい大切なのである。
振り返れば、私が御宿正定を調べ続けてきたのも、市邨芳樹を記録しようとしているのも、同じ理由かもしれない。
語られなければ歴史は消える。
知られなければ人物は存在しなかったことになる。
百年以上前、市邨芳樹は「知れよ知られよ」と語った。
その警告は、今もなお私たちに向けられているように思う。
小塚愛三郎
