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ぼくの書きたい物語

思いがけず、2週間くらいの夏休みができた。

ちょうど時間がぐわっと空いたので、せっかくだからこの期間に一本、シナリオを書いてみようと思った。

今通っているシナリオ・センターでは、これまで20枚シナリオ(映像にすると10分の作品)を15本くらい書いてきたんだけど、その中の一本を膨らませて、来年2月締切のコンクールに出してみようと思っている。

今回の作品は、最初は60分くらいの作品にするつもりではじめた。

候補は3本あった。

そのうち2本は先生から評価してもらって、「これはぜひコンクール用に書いてみてください」と言ってもらった作品だった。

でも、最終的に選んだのはそれとは別の一本だった。

理由は単純で、自分自身がその話にいちばん心を動かされてしまったから。

仮タイトルは『愛する距離』。

書き始めてみたら60分ではどうも収まりそうになくて、今のところ100分くらいの長編映画として書くことになりそうだ。

締切まではまだ半年近くある。

だから、とりあえずこの夏休みの間に第一稿まで書いて、そのあと何度もリライトしていこうと思っている。

ストーリーライターの棚卸

振り返ってみると、ちゃんと物語を書き始めたのは33歳くらいだったと思う。

それ以前にも遊びで小説を書いたりはしていたけれど、そこからだんだん物語を作ること自体が面白くなった。

35歳前後には友人たちとショートフィルムを何本か作ったり、短編の舞台をやったりした。

それでも飽き足らず、戯曲講座に通って長編戯曲を書いたり、映画のシナリオを学びに行ったりした。

そこでは「作品を書く以前に、まずプロットを書けるようにならないといけない」という考え方だったので、とにかくプロットを書きまくった時期もあった。

そのあと8年くらいは、そういう教室から離れた。

思いついたアイデアをたまに小説にしてブログに載せる程度で、かなりゆるく続けていた。

転機になったのが2023年

友人に誘われて、現在公開に向けて準備中の映画「熊もつれ」の脚本を3人で書くことになった。

完成まで約3年。

すでに撮影も終わっている。

これが自分にとって、もう一度ちゃんと物語を書いていこうと思う再出発点になった。

同じ頃、何度もやめたり、書き直したりしながら6年くらいかけていた長編小説もようやく完成した。

最初につけていたタイトルから変更し、『脱皮する蛇と水に映る影』としてリライトして、つい最近Amazonで出版するところまでたどり着いた。

考えてみれば、これが初めて最後まで書き上げた長編小説だった。

今年書いた3本

昨年の末から映画美学校に半年通い、その後、シナリオ・センターで勉強を続けている。

その中で「作品」と呼べそうなものは、今のところ3本ある。

一本目は、30分シナリオの『白猫』

これはすでにポートフォリオで公開しているのだけれど、せっかくなのでnoteにも載せてみようかなと思っている。

二本目は、60分シナリオの『言えなかったこと』。

こちらは現在コンクールに応募中。

そして三本目が、いま書いている『愛する距離』

小学5年生の男の子・駆と、シングルマザーの母・彩香の物語だ。

もともとはシナリオ・センターの短い課題として書いたものだった。

それを長編にしようとしている。

そして、この3本を並べてみて、最近ようやく、

「自分はこういう話を書きたい人なのかもしれない」

というものが、少しだけ見えてきた。

人は完全には分かり合えない。それでも一緒にいようとする

自分の中には以前から、「自我から自由になる」とか「自分の思い込みや錯覚から抜け出す」という大きな関心がある。

ただ、それをテーマとして先に決めて作品を書いているわけではない。

そのとき自分の中から出てきたものを書いて、あとから振り返ってみると、

「ああ、また同じようなことを書いているな」

と気づく。

今回3本を並べてみて見えてきたのは、どうも自分は人間関係の距離に興味があるらしい、ということだった。

人間は相手を完全には理解できない。

自分自身のことだって、たぶん完全には理解できない。

それでも誰かと一緒にいようとする。

近づきすぎたり、離れすぎたり、傷つけたり、傷つけられたりしながら、もう一度ちょうどいい距離を探していく。

自分が書いてきたものには、そういう人たちが多い気がする。

特に『愛する距離』は、タイトルそのものがそれになっている。

母親が大好きな息子と、息子を心から愛している母親。

どちらも相手を愛している。

なのに、近すぎる。

そして、ある出来事をきっかけに今度は離れすぎてしまう。

この二人がどんな距離を見つけるのか。

たぶん、それがこの映画で自分がいちばん見たいものなんだと思う。

「男性的な物語」と「女性的な物語」

昔から映画を観るとき、かなりたくさんの作品を解体してきた。

シーンを一つずつ追って、

「ここで何が起きているんだろう」

「なぜこのシーンがここにあるんだろう」

と考える。

そうしているうちに、自分の中では物語に大きく二つのタイプがあるように感じるようになった。

一つを、便宜上「男性的な物語」と呼んでいる。

主人公に明確な目標がある。

そこへ向かって行動する。

障害や敵が現れる。

それを突破すると、さらに大きな障害が現れ、最後に最大の対決が待っている。

アクション映画やエンターテインメント作品では、とても分かりやすい構造だと思う。

もう一つを、自分では「女性的な物語」と呼んでいる。

こちらは、まず人と人との関係がある。

そこに小さな違和感が生まれる。

関係が少し変わる。

言えなかったことが積み重なる。

ある出来事によって関係が大きく壊れる。

それでも日常は続いていく。

そして最後に、以前とは少し違う関係へたどり着く。

もちろん、これは男性が書くとか女性が書くという意味ではない。

あくまで自分が物語を考えるためにつけている仮の呼び名だ。

そして後者にも、当然、目的や葛藤や障害は必要になる。

そこが弱すぎれば、ただ日常を眺めているだけの映画になってしまう。

だから今、そのバランスを考えている。

参考にしている一本が『JUNO/ジュノ』だ。

ティーンエイジャーの妊娠という非常に明確な問題があって、「この妊娠をどうするのか」というストーリーがちゃんと進んでいる。

でも同時に、その間にも学校へ行き、家族と暮らし、人を好きになり、人間関係が変化していく。

「物語を進めること」と「人が生活していること」が一緒に存在している。

自分が書きたいのは、たぶんこっちなんだと思う。

フォーマットに合わせるために無理やり敵を作ったり、事件を起こしたりするのではなく、

生活の中にちゃんとドラマがあり、そのドラマが映画を前へ進めていく。

そこをもっと上手く書けるようになりたい。

いつか映画にしたい一本

『白猫』も『言えなかったこと』も、できることなら映像になったらいいなと思っている。

でも『愛する距離』については、書いている途中なのに少し違う感覚がある。

これ、映画にしたいな。

と思ってしまった。

もちろん、まずは脚本を完成させなければ何も始まらない。

来年2月のコンクールに出して、そこで評価されるかどうかも分からない。

コンクールを通ったからといって、そのまま映画になるわけでもない。

だから、そこは別の話。

ただ、もし今回ダメだったとしても、この脚本は捨てずに持っていたいと思っている。

いつかプロデューサーや監督と話す機会ができたときに、

「こういう脚本があるんですけど、読んでもらえませんか」

と言える一本にしたい。

まだ第一稿すら完成していないのに、気が早いんだけど。

でも、たまにはそんな作品があってもいいと思う。

コンクールに受かるためだけではなく、

いつか本当に映画になったところを見てみたいから書く。

今はそんな気持ちで、毎日少しずつ駆と彩香の続きを書いている。

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