母の祈り、未来へ
祖母が本や資料に遺した記録。
そこには、沖縄の各地を巡り、手を合わせ続けた日々と、戦争で失われた多くの命への思いが残されています。
沖縄に残る祈り
「医者半分、ユタ半分」
その言葉には、身体だけでは支えきれない苦しみに、心ごと寄り添おうとしてきた沖縄の時間がにじんでいます。
医者が身体を診る一方で、言葉では説明しきれない不安や苦しみに寄り添う役割を、祈りやユタに求めた人たちもいました。
目に見えない不安や痛みにも、誰かがそばにいようとしてきた。
そのこと自体が、大切だったのではないでしょうか。
もちろん、信じ方は人それぞれです。
沖縄のすべての人が、同じように考えているわけではありません。
ただ、目に見えるものだけでは支えきれない悲しみを抱えたとき、人は祈りのなかに救いを求めることがあります。
どうか安らかなところへ。
怖かったことも、苦しかったことも、もう背負わなくていい場所へ。
そう祈らずにはいられません。
沖縄の四方を結ぶ祈り
祖母が残した「四神拝みの記録」には、沖縄の四方を巡り、神々や祖先、そして戦争で亡くなった方々へ祈りを捧げた道のりが記されています。
北の辺戸。
南の大渡。
東の久高島。
西の伊江島。
子の方、午の方、卯の方、酉の方。
四方を巡り、それぞれの土地で手を合わせました。
それは、ただ決められた場所を回るためだけではなく、沖縄という島全体を祈りで結んでいくような行いだったのかもしれません。
祈りの形や受け止め方は、地域や家庭、人によって異なります。
誰もが同じように受け止めるわけではありません。
それでも祖母にとっては、そこで手を合わせることが自然で、そうせずにはいられなかったのだと思います。
戦争で失われた命
記録には、沖縄戦で多くの人が亡くなったことが繰り返し記されています。
大人だけではありません。
高齢者、女性、学生、幼い子どもたちも戦争に巻き込まれました。
山や海、川、畑、壕。
さまざまな場所で、多くの命が失われました。
家や土地だけではなく、祖先をまつる墓も被害を受け、遺骨が散らばったことにも触れられています。
親と子の悲しみ
中でも心に残るのが、親と子の悲しみです。
戦争によって片方の親を失い、残された母親が一人で子どもを育てたこと。
朝も夕も苦労しながら、大切にわが子を育てたこと。
そして、そのわが子と戦争によって引き離された親がいたこと。
そのつらさは、言葉では言い表すことができません。
人前では笑っているように見えても、心の中には、杭や釘を打たれたような痛みが残っている。
戦争が奪うのは、そのときの命だけではありません。
大切な人を失った家族の心にも、長い年月を越えて痛みを残します。
もう二度と、戦争によって親と子が引き離されることがないように。
子を失って泣き続ける親が生まれないように。
ここから先は、祖母が別の資料に遺した詩と、その祈りから私が受け取った思いを綴ります。
【ここから有料部分】
ここから先は
¥ 300
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?
