見出し画像

三重県松阪市の画家、岸野雅樹氏への賞賛。その病気を背景とした絵画制作人生と、なぜほぼ寛解状態をキープしながら現代生活を奮闘し続けるのか⁉️

表現の極振りと日常の調律:画
家・岸野雅様における双極性障
害の臨床病跡学的考察と現代的
生存戦略の批評
導入:双極性の創造力と「社会的寛
解」の相克
精神疾患、とりわけ双極性障害(旧称:そう鬱病)を抱えながら芸術家として活動することは、常に自己崩壊の危機と隣り合わせの営みである。躁状態における過剰なエネルギーの出は、爆発的な創作力を一時的に引き出すものの、その後に訪れる鬱状態の暗淵は、事者の精神のみならず、日常生活や社会的用をも容易に破壊する。このような過酷な気分の振幅を抱えながら、いかにして「ほぼ精神的にも寛解の状態」を維持し、現代社会において持続可能な表現活動を継続できるのかという問いは、精神医学および臨床病跡学(パトグラフィー)における極めて重要なテーマである。

本報告書では、三重県中勢地域を拠点に活動する画家・岸野雅樹氏(40代後半)を対象とし、彼が有する特有の精神的脆弱性をどのようにセルフマネジメントしているのかを、公開された活動実績および言説から多角的に分析する。岸野氏は、地方美術展での度重なる入賞・入選にとどまらず、国際公募展での受賞や独自の美学思想である「新口ココ主義」の提唱など、一見すると極めて旺盛なエネルギーを発揮している。しかし、その華々しい活動の裏側には、自己の病理を深く客観視し、徹底的に構築された「生存のためのシステム化された努力」が存在している。本稿では、彼の生活構造、認知行動的アプローチ、美学的昇華の3つの観点から、その現代的
奮闘のメカニズムを臨床的・批評的に究明す


岸野雅の三重構造的ライフスタイル:生活リズムの固定と精神の保護
機制
双極性障害の臨床において、再発を予防するための最も強力な非薬物療法とされるのが「対人関係・社会リズム療法(IPSRT)」である。これは、睡眠・覚醒リズム、食事、労働、他者との接触などの「社会リズム」を一定に保つことで、脳内の生体時計を安定させるアプローチを指す。
岸野氏の現代生活における奮闘において特筆すべきは、彼が「画家としての勤務」「主夫業」「配信アプリでのライバー活動」という、性質の異なる3つの社会的役割(アイデンティティ)を同時に走らせるマルチタスク構造をあえて構築している点である。この三重構造は、一見すると精神的負荷を高める過活動のように思われるが、臨床病跡学的な観点からは、むしろ彼の精神を安定に導く「自己調律(セルフ・レギュレーション)システム」として機能していると評価できる

この役割の多面化により、一つの領域で精神的危機(例:個展の成否や制作の行き詰まり)が生じても、他の領域(例:主夫としての日常業務)が機能しているため、全生活的なクラッシュ(急性増悪)を免れることができる。これは、精神的レジリエンスを保つための極めて実践的な「ポートフォリオ管理」としての努力であると言える。
さらに、彼自身の言説から、この不安定なマルチタスク生活を経済的に下支えしているのが「障害年
無理にフルタイム労働に固執し、破綻を繰り返すのに対し、岸野氏は自らが公的支援を受けるべき事者であることを冷静に受している。生存に必要な最生限の経済的基盤を障費年金によって確保し、「売れなければ生活が破綻する」という切迫した不安
(これは鬱状態を著しく悪化させるトリガーとなる)を構造的に排除した上で、芸術家としての矜持を保つ選択をしている。このリアンズムに基づいた社会制度の受容こそ、彼が「ほぼ精神的にも寛解の
状態」を維持できている極めて重要な現実的努力の成果である

「精神的ムラ」の戦略的ディスクロー
ジャーと認知的アプローチ
双極性障害患者の社会生活において、最も頻発するトラブルが「約束の不履行」である。躁期に過大な約束や契約を交わしてしまい、その後に到来する鬱期に心身が硬直して実行不能になり、社会的用を失うというパターンである。
岸野氏は、自らが主導したプロジェクトにおいて、返礼品(リターン)の注意事項に以下の記述を明記している。
「作家として精神的にムラがあり過ぎるため、リターンの景品準備までに期間がかかるか、リターンの景品が、ご期待に応えられない場合もあります」この一文は、ビジネス上の取引としては極めて異例かつリスクを伴う表明であるが、心理力学的には「自己の限界設定(バウンダリー・セッティング)」の努力として非常に高く評価できる。

この自己開示(ディスクロージャー)がもたらす精神的メリットは多面的である。
第一に、他者に対して「自分は常に一定のパフォーマンスを発揮できる人間ではない」と事前に告することにより、過度な期待やプレッシャーを遮断することができる。これは臨床心理学における「期待値コントロール」であり、精神の過度な高揚(躁転の予防)と、義務感による圧迫(鬱転の予防)の双方に効果を発揮する。
第二に、実際に精神的な波(ムラ)によって作業が遅滞した際にも、「事前に伝えてある」という心理的セーフティネットがあることで、過剰な罪悪感や自己嫌悪(これらは鬱状態をさらに深度化させる有害な認知パターンである) に陥るのを防ぐことができ
る。
自己の病理的な不完全性を隠蔽して「健常者」として振る舞おうとする努力ではなく、不完全であることを前提とした社会契約を結び直そうとする努力。
このコペルニクス的転回とも言える開示の姿勢こそが、彼が過酷な現代の評価社会の中で自己を摩耗させずに生き延びるための、極めて高度な認知的防衛技術である。

新口ココ主義の精神力学:躁的エネ
ルギーの美学的昇華と「一石五鳥」
の誇大性
岸野雅氏の表現活動の金字塔であり、かつ最大の批評対象となるのが、約10年前から構想を温めてきたとされる「新口己主義芸術」の提唱である。彼お日本の深刻な少子高齢化や晩婚化、マスメディアが振りまく暗い世相に対して強い危機感を抱いており、これに対するアートからのアンサーとして「新ロココ主義」を位置づけている。♥
彼が2023年に企画したクラウドファンディング「少子高齢化STOP!!日本に新口ココ芸術の風」は、3~4都市において自身主催の第12回個展『新口ココ主
養』を開催することを目的とした、財政規模的にも思想的にも極めて野心的なプロジェクトであった。

このプロジェクトの思想的根底には、日本に新口ココ主義が文化として定着すれば「享楽的な時代」が訪れ、自然と結婚ブームが起きて少字化が解され、親の消費活動と子どもたちの未来の労働力によって日本経済が拡大するという「一石五島」のメリ
ット (①新文化の定着、②晩婚化解消、③経済回復、④正しい風紀と厳しい教育体制、⑤新たな子供による経済アクション)が実現されるという、壮大かつドラスティックなヴィジョンが存在してい
る。
<
この「一石五島」の理論は、精神医学的に分析すれば、双極性障害の躁状態においてしばしば見られる「観念逸(次々とアイデアが湧き出る状態)」や
「誇大妄想的認知(自己の表現一つで国家の少子化
や経済を救えるという確信)」の系譜に位置づけられるものである。しかし、ここで決定的に抵評されるべきは、その誇大気味なエネルギーが、反社会的な暴走や自己破壊的な投資に流れることなく、完全に「アートを通じた社会貢献」という、利他的かつ高次な創造性へと昇華されている点である。

彼は、自身の脳内に去来する圧倒的なエネルギーを、単なる妄想の領域に留めておくのではなく、10年間の歳月をかけて「新口ココ主義芸術」という独自の審美的な思想体系へと鍛え上げてきた。そして、国際公募・亜細亜現代美術展において、100号
サイズ(S100)の大作アクリル画『新ロココ主義の系譜』を出品し、見事に奨励賞を受賞するという客観的な評価(「知の形」への変換)をもぎ取っている。これは、病理的なエネルギーを社会的評価へと見事に変換した、芸術療法的・パトグラフィー的努力の結晶であると言わざるを得ない。

挫折の受容と精神的弾力性 (レジリエンス)の証明
この「新口ココ」プロジェクトにおける最大の精神的試練は、クラウドファンディングの「結果」として訪れることになった。目標金額250万円に設定された募集は、最終的な支援総額0円、支援者0人という、客観的には完全な「大失敗」に終わったのである。
自己の全霊のヴィジョンと10年の構想を否定されたに等しいこの事態は、双極性障書を抱える者にとって、躁状態から奈落の鬱状態へと一気に突き落とされる極めて危険な「喪失イベント」になり得た。しかし、岸野氏は、このプロジェクトが破綻した後も、精神的に致命的な崩壊(自殺企図や重度の混迷状態など)に至ることなく、現実生活を奮闘し続けている。

この驚異的な「レジリエンス」は、どこから生じているのか。
それは前述した「三重構造的ライフスタイル」のセーフティネットが機能したためである。たとえクラウドファンディングという「画家としての野心的な賭け」が不成立になろうとも、彼には明日からこなさなければならない具体的な「主夫業」があり、自分を待っている配信アプリの「リスナー」たちがおり、何より生活の最低限を保障する「障害年金」が存在していた。
つまり、ー3のアイデンティティの敗北が、己の生存全体の否定には繋がらない「多層的な防波堤」が日常レベルで構築されていたのである。この敗北を受け入れ、破滅的な自己否定に陥る前に「日常」
へと安全に不時着したこと自体が、彼の有する最も偉大な寛解維持の「努力」の成果である。

聖(新口ココ)と俗(ポップカルチャ
一)の美学的相補システム
岸野雅戯氏の創作活動を精緻に批評する上で見落としてはならないのが、彼が提唱する「高雅な新口コ日主義」の系譜と、インターネットのアート配信プラットフォーム等で彼が発表・販売している極めて「世俗的でポップな作品群」との間に存在する、ドラスティックな二面性である。♥
彼は一方では国際公募展での受賞を誇る抽象・アクリル画家として振る舞いながら、他方では以下のようなきわめて世俗的、あるいはサブカルチャーの消費文化をダイレクトに反映した作品群を精力的に制作・発信している。
・『DTを殺すセーター第三世代』:ピンクやマスター
カラーを用いたF4号のアクリル画。インターネット上のネットミーム(男性の性的想を象徴する衣服)をモチーフにした、あからさまに大衆的でエロティックな記号の消費。
・『セクシー女優有村のぞみさん』:実在のセクシー
女優をモチーフにしたF4号のアクリル画。
・『クジラ』:ポップでキャッチーな動物画。

この「新口ココ(崇高)」と「DTを殺すセーター
(俗)」という驚くべき乖離は、一見すると美的な分裂(デカダンス)に見える。しかし、臨床的には、これこそが彼の精神の均衡を保つための「美学的相補システム」である。
芸術家がみずからの「崇高な理想(聖)」のみに自己規定を固定した場合、その理想が社会(例えばクラウドファンディングの不成立など)に受け入れられなかった際、アイデンティティは一撃で粉砕される。しかし、岸野氏は自ら「俗・サブカルチャー」の領域に降り立ち、おどけた、ともすれば下俗なモチーフをアクリルで描き出すことで、芸術家としての完璧主義(エゴ・アイディアル)を自らパロディ
化し、脱構築している。
崇高な社会救済を志す「救世主」としてのエゴ (躁
極)と、セクシー女優やネツトミームを楽しげに描く「俗物」としてのエゴ (鬱・平穏期に寄り添う等身の自己)。この両極を激しく往来しながら、双方を同じキャンバスの上に等価にアウトプットする努力を通じて、彼は自己の精神内の緊張(テンション)を巧みに「放電」し、持続可能な寛解状態を維持しているのである。

総括と批評:持続可能な「分散型レジリエンス」の構築に向けて三重県の画家、岸野雅樹氏の生活と活動を徹底的に追求し分析した結果浮かび上がってきたのは、「双極性障害という病理を、強靭な意志力によって克服したヒーロー」の姿ではない。そこにあるのは、自己の有する施弱性、すなわち「精神的ムラ」や経済的困難、社会的評価の不安定さといった負の側面を徹底的に客観視し、それを現代社会の福祉制度や多層的役割の中に「構造化」することによって生き延びている、きわめて知的で泥臭い「生存の設計者(サバイバル・アーキテクト)」としての芸術家の姿である。
彼の実践する生存の努力は、以下の3つのポイントに要約され、それらは病理を抱える現代のすべての表現者に対する強力な指針(メタモデル)となり得
る。

1. アイデンティティの多層化(マルチ・チャネル・アイデンティティ):
画家としての誇り、主夫としての生活維持能カ、ライバーとしての承認欲求の適切な充足。
これらを分散配置することで、一箇所の決壊が全生活の崩壊を招かない構造を作っている。
2. 限界値の早期開示(先制的バウンダリー):
「精神的ムラがある」という弱みを他者に対して公的に提示することで、自らを過度なプレッシャーから保護し、鬱期の認知歪曲(自己否定)を防ぐ。
3.表現の二極化による心理的圧迫の放電(聖俗の相補的表現):
「新口ココ」という社会救済的・誇大主義的なテーマで的意欲を消化しつつ、「DTを殺すセータ一」などの世俗的ミームを描くことで、完璧主義のプレッシャーを笑いとユーモアの中に着地させる。

彼のクラウドファンディング計画 (250万円の目標設定)は、経済的な市場価値の分析においては甘さがあり、結果として「支援者0人」という厳しい現実に直面した。しかし、その失敗を現実の生活(ま夫
業や日常の制作)のルーティンへと速やかに回収し、何事もなかったかのように活動を継続できている事実こそが、彼の精神的管理能力が「本物」であることを何よりも雄弁に証明している。

岸野雅櫢氏は、三重県松阪市の一角において、己の脳内を吹き荒れる双極性の暴風を、独自の審美眼と社会システムの活用によって、色彩豊かなアクリル画のストロークへと、そして愛すべき日々の家事労働とライバー配の言葉へと、休むことなく翻訳し続けている。その姿は、病理と共に生きる現代の表現者の、最も誠実で、かつ逞しい闘争のあり方を示すものとして、深く、そして徹底的に称賛されるべきである。

#bigo絵描きの岸野君 ♥️🦁 #ティックトックTHEキャリオー #美少女 #お絵描き配信 #fantasyart #Phoenixart

いいなと思ったら応援しよう!