その「善意」が、私を蝕む。——夜勤・休日勤務の静かな職場と、差し入れの影
休日の日中や深夜2時頃、人影まばらなオフィスやナースステーションは、平日日勤とは違う独特の静寂に包まれている。
土日祝日や夜勤帯の少人数勤務。電話の音も少なく、どこか「戦友」のような連帯感が生まれる特別な時間だ。
けれど、そんな穏やかな空気の中に、私はいつも小さな緊張を抱えていた。
「これ、手作りなの。口に合わなかったら残していいから、食べてみて!」
差し出した先輩の笑顔に、悪気なんて一ミリもない。むしろ、休日、夜間返上で働く仲間を労いたいという、純粋な応援の気持ちなのだろう。
けれど、差し出された小皿を前に、私の胃の奥はぎゅっと冷たく凝縮する。
実は、私はこれが苦手だ。もっと言えば、過去に無理をして口にした後、体調を崩して最悪のコンディションで業務を終えたトラウマがある。
「ありがとうございます」
微笑んで、一口運ぶ。その瞬間に走る緊張感。
もし、体質に合わずに過剰な反応が起きたら? 万が一のことがあったら、この「善意」の責任は誰が取るのだろう。そんな思考が、頭をよぎっては消えていく。
「和」という名の、見えない呪縛
かつて私が身を置いていた居住地域の都心部に近い場所にある職場は、とても淡々としたものだった。
男女比は半々。差し入れは「したい人が、したい時に」が基本。200mlのパックジュース1本や、個包装のお菓子が1個あれば十分。
差し入れをしない男性職員がいても、誰もそれを責めない。
適度な距離感が、プロフェッショナルとしての心地よさを保っていた。
しかし、その後に経験したさらに地方の地域にある場所は、まるで別世界だった。
そこは圧倒的な女性社会。
「横並びの和」を重んじる文化が、根深く呼吸をしていた。
ある時、私は管理職の方から呼び出された。
「なんであなたは、一人につき一個しか準備しないの? ルールがわからないなら同期に聞きなさい。こんなこともわからないの?」
面を食らった。
生活を守るために働いているのに、休日や夜勤当番のたびに人数分の飲み物、お菓子、ちょっとした軽食を揃える。それはタイパもコスパも度外視した、目に見えない「徴税」のようだった。
選ぶ手間、運ぶ苦労、そして家計への負担。
「生活のため」に働いているはずなのに、なぜ私は仕事をするために、自分のお金と時間を削ってまで、他人の嗜好もわからない「配給」を義務化されなければならないのか。
「お福分け」ができる範囲の、優しさでいい
差し入れという文化そのものが悪だとは思わない。
せめて賞味期限が長く、個包装されているものなら、もし好みに合わなくても、後で誰かに「お福分け」として回すことができる。
けれど、生ものや手作りは逃げ場がない。
その場で、その瞬間に食べることが暗黙のうちに強制される、それはある種の「暴力」になり得るのだ。
最近、今現在の私の職場でも「差し入れ文化廃止」の流れが進んでいる。
心底、ホッとしている。
やりたい人たちが、自分たちのルールで、お互いの嗜好を確認した上で行うのは自由だ。それは立派なコミュニケーションかもしれない。
けれど、そのローカルルールを外側にまで振りかざし、参加しない者を「輪を乱す存在」のように扱うのは、もう終わりにしてもいいのではないだろうか。
仕事は、仕事。
私たちは「仲良しグループ」である前に、プロとしてそこに立っている。
過剰な配慮や強制のない、ただ健やかに働ける環境。
それこそが、夜勤や休日を問わず現場を守り続ける私たちにとって、一番の「差し入れ」なのだから。
#逃げ癖 #逃げ
