知性が築く秩序とは
自動化された知能により、すべてが解決された社会が訪れるという言説を聞きます。
そこで、理想として掲げられるのは、個の利益の最大化。膨大なリソースを潤沢に利用し、病気や老いを解決して不老不死となり、無限の宇宙に自己を複製し続けていく世界です。
まるで、富栄養状態の湾に発生する赤潮、体内に広がるがん細胞のようなイメージです。
高度な知性を持つ存在は、プランクトンやがん細胞と大差ないのでしょうか?
人間の知恵の到達点は、赤潮やがん細胞なのでしょうか。
捨身飼虎の図
法隆寺の国宝、玉虫厨子には、お釈迦様の前世を描いた本生譚、ジャータカの一つ、捨身飼虎が描かれています。
飢えた母虎が我が子を食べようとしている場面に出くわした薩捶太子は、虎に自分の身体を食べさせ、虎の窮状を救うという話です。
自己犠牲を伴う利他行為。
人間の目的が「個の利益の最大化」であると仮定するならば、これは到底理解できない非合理な奇行に映ります。
このエピソードが人間の文化の中で尊いものとして、宗教的な権威を持って伝えられきた意味は、一体なんなのでしょうか。
しかし、見返りを求めない献身の場面に立ち会った時、人の感情は大きく揺さぶられます。
そして、その体験は、絵画や劇、物語として受け継がれ、間接的に多くの人の感情を揺り動かします。
千葉県佐倉市には、義民として知られる佐倉宗吾(木内惣五郎)を祀った宗吾霊堂があります。
領民救済のために将軍に直訴し、公開処刑となった佐倉宗吾の物語は、堂内の御一代記館で、13の場面と66体の人形で再現され、今なお伝えられています。
人間がこのような行為を尊いと感じ、感情を揺さぶられる。これは、理性による合理的な論理の帰結とはいえません。
体内の細胞がある種の状況のトリガーを感じ取り、そのような伝達物質を生成して体内に分泌する。それにより、ある特定の感情が引き起こされる。
そのような現象ではないのでしょうか。
単純な "if … then … " という条件文が体内に埋め込まれている。
これは、単なるハック可能な脆弱性なのでしょうか、人間の社会の存続に必要なアルゴリズムだったのでしょうか。
有性生殖とアポトーシス
有性生殖は、真核生物の誕生初期に、アポトーシス(プログラム細胞死)は多細胞生物誕生時に埋め込まれました。
利己的な自己複製や個体の生存原則に一見矛盾するように見えながらも、欠かせない仕組みとして機能し続けています。
より高度なシステムが立ち上がった時に、無限の可能性を担保する仕組みとして、あるいはシステム全体の健全さを保つ仕組みとして。
生命にとって至高の感情的報酬が与えられる場面でもあります。
有性生殖(動的な報酬 / 入口のシャッフル): 寸分たがわぬコピー(クローン)を残すのではなく、あえて自分の遺伝情報の半分を捨てて他者と混ぜ合わせる(自己否定する)行為。個体の境界線を融解させ、情報の連続性を未来へ託す瞬間に強力な神経化学的報酬(快楽や情動)が支払われます。これにより、環境変化という外部のエントロピーに対抗する多様性を獲得します。
アポトーシス(静的な報酬 / 出口の還流): 全体(多細胞生物という高次システム)の秩序を維持するために、局所(細胞)が自らを消去するプログラム。癌化という「局所的な秩序の暴走(不死化)」を防ぎ、システム全体の秩序へとスムーズに還元される状態そのものが調和として機能します。個体の死の直前に訪れるとされる多幸感や安寧は、個別の輪郭を失い、元の大きな循環へと還るための「相転移の潤滑油」と言えます。
生命の本質とは
生命の核心は、静的に固定された「モノ(個体)」ではなく、絶え間ない物質と情報の動的平衡である「現象(コト)」や「相(フェーズ)」にあります。
生命には常に「入口」と「出口」があり、外部や他者と常につながっています。
私たちは独立した彫刻ではなく、激しく水が入れ替わりながら形を維持している「渦巻き」のような存在です。
システムが進化し、より巨大で複雑なマクロの秩序を形成しようとすればするほど、その内部に「局所の解体(死)」や「ランダムな交雑(シャッフル)」という自己否定的なアルゴリズムを組み込まなければならないという法則が存在するかのようです。
階層性の違い: 部分(細胞や個体)にとってのマイナス(死や喪失)が、全体(種や社会)の持続可能性を最大化するための不可欠なコストとなります。
物理的制約: 物理法則(熱力学第二法則)がもたらす内部エントロピーを外部へ排出するためには、常に自らを壊し、新しいものと入れ替え続ける「動的平衡」しかありません。
環境の不確実性へのヘッジ: 過去の成功パターンへの過剰適応を防ぎ、未知の危機に対する糊代(マージン)を残すための、長期的・全体的な生存確率を高める投資です。
人間の体内に埋め込まれたアルゴリズム(利他や自己犠牲に激しく感情を揺さぶられる現象)すらも、社会集団というより大きな構造の秩序を保つための仕組みだったのではないでしょうか?
時間の流れという試練を乗り越えるために
自然淘汰。
時間の流れという試練に耐えて、長く構造を保ち続けるには、自己の利益の最大化や局所最適という、思いつきやすい単純な論理構造だけでは足りません。
積み上げてきたものをあえて捨てて、不確実なものを受け入れる揺らぎを残しておく必要があります。
時には、自分自身さえも差し出さなければならない時が来ます。
一つの生命は、静的な個ではなく、動的な流れです。
入口があり、出口がある。
その間に現れるある種の形質、相にすぎません。
途方もない時間的空間的広がりを持つ循環ネットワークの一つの結節点です。
単一の個体、単一の種の獲得リソース、消費リソースを最大化することに一体何の意味があるのでしょうか?
人間や人工知能が「知性」を持ち、観察し、思考できるのであれば、どのようなシステムを構築するのが賢いといえるのでしょうか。
私は、自然淘汰という数億年のブラインド・テストが証明してきた「新陳代謝の合理性」を感じます。
真に賢い知性が未来の社会、より巨大なマクロシステムの秩序を構築するのならば、この合理性を自覚的なシステムデザインとして取り入れるべきではないでしょうか。
