心的距離の大切さ
「この人こそ私の理想の人だ」などという想いは、十代の恋愛にありがちだろう。そしてお決まりの如く、失望する。幾度かそういう事を経験し「理想の恋人」など、そう出来るものではないのだなと知りつつ大人になっていく。
これは恋に限った事ではない。理想の友達、先輩、上司、いくらでも当てはまる。そして総じてその想いが継続する事は少なく、時とともに崩れ去っていく。なぜなら己が勝手に「理想化」しているからだ。
考えれば「理想」とされた方は、たまったものではない。勝手に理想にされ、勝手に失望され、勝手に傷つかれ、下手をすれば「あんな人を理想と思っていたなんて……」と憎みさえされる。踏んだり蹴ったりである。
これを漱石は名作『こころ』の中で、こんな風に表している。
以下、引用―――――――――
先生は始めから私を嫌っていたのではなかったのである。先生が私に示した時々の素っ気ない挨拶や冷淡に見える動作は、私を遠ざけようとする不快の表現ではなかったのである。傷ましい先生は、自分に近づこうとする人間に、近づくほどの価値のないものだからよせという警告を与えたのである。
(岩波文庫 夏目漱石『こころ』 P14より)
とにかくあまり私を信用してはいけませんよ。今に後悔するから。そうして自分があざむかれた返報に、残酷な復讐をするようになるものだから。(中略)私は未来の侮辱を受けないために、今の尊敬を斥けたいと思うのです。
(同上 P40より)
引用ここまで――――――――――
幸いなのか、それとも哀しむべき事なのか、私は他人様に勝手に「理想」とされる事などはない。しかしご多分に漏れず、誰かを勝手に「理想」とした事はある。そして上に書いたような流れを正に経験した。
で、この漱石の文章にガツンとやられたのである。
そうだ……私が勝手に理想にしただけで相手にすれば「知らんがな……」という話だわ――と。
そして、こちらの尊敬の念を牽制するような人に数少ないが出会った事もある。それらの人は他人によく『理想化』されるがゆえに、その先の流れをよく知っていたのだろう。それとは逆に、自分を大きく見せ尊敬されたがる人間が多いのは皮肉な事である。
誰かを『理想化』するというのは、ある種の寄りかかりでもあるのだろう。今はもうアラフィフになり、現実の人間関係で容易に誰かを『理想化』する事などない。期待する事すら少ない。それでもたまにメディアで鋭い指摘をする学者や識者に期待することもある。だけど必ずブレーキをかける。全幅の信頼は置かない。必ずいくらかの心的距離を置く。学者や識者が様々な事情で、己の立ち位置を変える事など珍しくもない。頭から信じ込んでしまうと、そんな時に気づくのが遅れてしまう。
あらゆる人間関係において、いくらかの心的距離を置く――。これは大事な事だろう。それを少し意識するだけで、ダマされた!なんて事は減るのかもしれない。
皆様、気をつけませう。
