誰も読んでないことに苛立ったので、ジャーナリズムの最高傑作『ヒロシマ』を紹介させてほしい
1945年8月6日、広島に人類史上初めて原子爆弾が投下され、街は一瞬にして壊滅しました。
しかし、この新型爆弾が現地の人々にどれほど恐ろしい被害をもたらしたのか、当時のアメリカ国民はほとんど知らされていませんでした。
アメリカ政府は事実を隠蔽し「原爆は戦争を早く終わらせた素晴らしい兵器だ」と宣伝していたからです。
そんな中、アメリカのジャーナリストであったジョン・ハーシーは、原爆投下から約1年後の広島を訪れ、被爆した人々に直接取材を行いました。
彼が書き上げたルポ『ヒロシマ』は、アメリカ国民、そして世界中の人々に原爆の本当の恐ろしさを突きつけ、歴史の認識を大きく変えることになります。
ということで、今日はこの本を紹介したいと思います。
てか正確には、日本人が一番読むべきなのに、誰も読んでないことにちょっと苛立ったので紹介することにしました。
徹底した情報統制
当時、アメリカ軍を率いるダグラス・マッカーサー将軍のもと、占領下の日本では厳格な報道規制(検閲)が敷かれていました。
原爆の被害について報じることは固く禁じられ、現地のジャーナリストが実態を伝えようとしても、アメリカ軍にプロパガンダだとして封じ込められていました。
1914年に中国の天津で生まれ、すでに優れた従軍記者としてピューリッツァー賞を受賞していたジョン・ハーシーは、この厳戒態勢の広島に足を踏み入れました。
彼は取材中にアメリカ軍からメモを没収されるリスクを避けるため、被爆者へのインタビュー中には一切ノートを取らず、すべてを記憶に刻み込んで記事を書き上げたと言われています。
雑誌を丸ごとジャックした事件と、全米への衝撃
『ヒロシマ』が世に出た時のエピソードは、アメリカ出版史に残る伝説となっています。
1946年の夏、有力な週刊誌『ザ・ニューヨーカー』の編集長ウィリアム・ショーンは、ハーシーが持ち込んだ約3万語に及ぶ長大な原稿を読み、その重要性に衝撃を受けました。
当初は4回に分けて連載する予定でしたが、編集長はなんと普段載せているお笑いの漫画や他の記事をすべて休止し、雑誌の全ページをハーシーの『ヒロシマ』だけで埋め尽くすという前代未聞の決断をしたんです。
1946年8月31日号が発売されるやいなや、雑誌は数時間で売り切れました。
なんと、あのアインシュタインは知人に配るために個人的に1,000部を注文したんです。
そして、全米のニューススタンドには雑誌を求める人々が殺到しました。
さらにその直後、ABCラジオネットワークが4日連続でコマーシャルを一切入れずにこの記事の全文を朗読する番組を放送し、アメリカ中に原爆の悲惨な真実が響き渡ったのです。
10万人ではなく、6人の人間を描く
この本がこれほどまでに人々の心を打った最大の理由は、何万という犠牲者の「数」や建物の被害規模で原爆を語るのではなく、たまたま生き残った6人の普通の市民にスポットライトを当てたことです 。
ハーシーは、原爆が落ちた1945年8月6日の朝8時15分、彼らがまさに何をしていたかという瞬間から物語をスタートさせました。
佐々木とし子(若い女性事務員)
東洋製缶工場のオフィスで、隣の席の同僚に話しかけようと振り向いた瞬間に被爆。
重い本棚の下敷きになり、足に重傷を負う。
中村初代(3人の子どもを育てる未亡人)
台所の窓から隣人が家を取り壊しているのを見ていた瞬間に被爆。
家屋が倒壊し、子どもたちと一緒に瓦礫の下敷きになったが、必死に自力で脱出する。
藤井正和(開業医)
川沿いにある自分の病院の縁側で、あぐらをかいて朝刊を読もうとした瞬間に被爆。
建物ごと川に吹き飛ばされたが辛くも生き延びる。
佐々木輝文(若き外科医)
血液標本を持って赤十字病院の廊下を歩いていた。
奇跡的に無傷だったため、押し寄せる何千人もの重傷者の治療に不眠不休であたる。
ヴィルヘルム・クラインゾルゲ(ドイツ人神父)
修道院の自室で下着姿のまま簡易ベッドに寝転び、雑誌を読んでいた際に被爆。
怪我を負いながらも負傷者の救護にあたる。
谷本清(牧師)
郊外で友人と一緒にリヤカーの荷物を下ろしかけていた瞬間に閃光を見る。
難を逃れた後、燃え盛る街へ戻り、川で溺れる人々を必死に救助した。
ハーシーは、あえて感情的な言葉を使わず、極めて冷静で客観的な事実の積み重ねだけで彼らの体験を描写しました(この手法は後にニュージャーナリズムの先駆けとして高く評価されました)。
この6人の姿を通して、当時のアメリカ人は、自分たちと同じように生活をしていた普通の人間が、想像を絶する苦しみを味わったのだ、ということに気づかされたのです。
見えない恐怖原爆症
またこの本は、原爆が単なる大きな爆弾ではないことも明確に伝えました。
目立った外傷がないのに突然髪の毛が抜け落ち、血を吐き、極度の疲労に襲われて亡くなっていく放射線障害(原爆症)の恐怖を、ありのままに報じたのです。
当時、アメリカ軍はこの放射線の被害について意図的に過小評価していましたが、ハーシーの緻密なルポによって隠されていた真実が明るみに出ました。
その一方で、地獄のような惨状の中で、医師や牧師、そして一般の人々が見ず知らずの他者を助けようと奔走する人間の優しさも描かれており、過酷な状況下でも失われない人間らしさ、みたいのもすごく胸を打つんです。
最終章「その後」
アメリカで大きな反響を呼んだ本作ですが、当の日本ではGHQによる厳しい情報統制の影響もあり、出版されたのは数年後の1949年になってからのことでした。
さらに初版から約40年が経った1985年、ハーシーは再び広島を訪れます。
かつて取材した6人がその後どんな人生を送ったのかを調べ、最終章「その後」として本に書き加えました。
そこで描かれていたのは、原爆の被害は「あの日」だけで終わったわけではないという冷酷な現実でした。
中村初代さんは長引く原爆症の疲労と貧困に苦しみ、家族を養うために大切な裁縫ミシンを売らざるを得ず、それを「人生で最も悲しい瞬間」と語りました。
谷本牧師はアメリカに渡って平和運動(ヒロシマ・ピース・センターの設立など)に身を捧げましたが、冷戦下で核兵器が増え続ける現実に無力感を味わいました。
クラインゾルゲ神父は日本の人々と苦しみを共にするために日本に帰化し、「高倉真琴」と名乗って生涯を捧げました。
生き残った被爆者たちは、原爆症の恐怖や貧困、そして社会からの偏見に何十年にもわたって苦しみ続けていたんです。
今こそ読むべき理由
ジョン・ハーシーのヒロシマは、20世紀アメリカ・ジャーナリズムのトップ100の第1位に選ばれるなど、歴史的な大事件を人間の目線で記録した最高傑作として今も読み継がれています。
世界中で再び戦争が起き、核兵器が使われるかもしれないという脅威が高まっているいま。
仮に脅しだとしても、トランプは原爆の使用をイランにちらつかせるべきではない。
もし自分の街に原爆が落ちたら、普通の人間はどうなってしまうのか。
それを教えてくれるこの本は、平和を考える上で今こそ誰もが手に取るべき本だと思うんです。
ぜひ、ぜひ、読んでほしい…
【編集後記】
マガジンで、今まで紹介した本をジャンル分けして整理してみました。本屋とか図書館で本を選んでるみたいで楽しいので、ぜひ見てみてください!
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