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レコード男子|デヴィッド・バーン『Rei Momo』|海外赴任中のVH1で出会った、ラテンの迷宮

デヴィッド・バーンの来日を記念して、映画『アメリカン・ユートピア』が再上映されるという。

2026年8月、バーンはSUMMER SONIC 2026に出演し、さらにSUMMER SONIC EXTRAとして単独公演も予定されている。その来日に合わせて、スパイク・リー監督による映画『アメリカン・ユートピア』が、7月31日から全国の劇場で順次再上映される。

デヴィッド・バーンといえば、多くの人にとってはまずトーキング・ヘッズだろう。

『ストップ・メイキング・センス』の、あの奇妙で知的で、なおかつ圧倒的に身体的なステージ。

巨大なスーツを着たバーンが、どこかぎこちなく、しかし強烈な存在感で踊る姿。

ロックバンドでありながら、舞台芸術でもあり、現代アートでもあり、都市の中で突然始まった奇妙な儀式のようでもあった。

そして、その延長線上にあるのが『アメリカン・ユートピア』だ。

灰色のスーツを着たミュージシャンたち。

裸足の足。

身体に装着された楽器。

固定されたバンドではなく、ステージ上を歩き回る音楽集団。

ドラムも、ギターも、ベースも、パーカッションも、誰かが定位置に座って演奏するのではない。

人間そのものが音の装置になり、隊列を組み、崩れ、また集まり、音楽と身体がひとつになっていく。

まさに、デヴィッド・バーンらしい。

けれど、僕にとってのデヴィッド・バーン体験は、トーキング・ヘッズや『ストップ・メイキング・センス』だけから始まったわけではない。

僕が海外赴任中にVH1で出会って好きになったのが、アルバム『Rei Momo』だった。

1989年に発表された『Rei Momo』は、デヴィッド・バーンのソロ・アルバムである。

この作品は、アフロ・キューバン、ブラジリアン、カリブ、ラテン音楽のリズムを大胆に取り入れた一枚で、クンビア、メレンゲ、サルサ、ルンバ、チャチャチャ、サンバ、ボレロなど、多彩なリズムがアルバムの中で踊っている。

トーキング・ヘッズの知的で少し神経質なニューウェーブのイメージから入ると、『Rei Momo』はずいぶん明るく、色鮮やかに感じられる。

ただし、そこはやはりデヴィッド・バーンである。

単純なラテン音楽への接近ではない。

異国趣味の飾りでもない。

陽気なリズムの中に、どこか冷静に世界を観察しているような視線が残っている。

身体は踊っている。

でも、頭は考えている。

この不思議な距離感が、デヴィッド・バーンの面白さだと思う。

僕が特に気に入っているのは「Dirty Old Town」だ。

この曲には、明るいだけではない、少し影のある感じがある。

リズムは身体を動かす。

けれど、タイトルの通り、どこか古い街のざらつきがある。

きれいに磨かれた観光地ではなく、生活の匂いが残る街。

壁に古いポスターが貼られ、裏通りに風が吹き、どこかから音楽だけが漏れてくるような感触。

バーンの歌声も、ラテンの熱気に完全に溶け込むというより、少し浮いている。

でも、その浮き方がいい。

完全に馴染みきらないからこそ、逆に彼らしい。

異文化の中に飛び込みながら、その中心で少し斜めに立っている。

その不器用なようでいて確信犯的な立ち姿に、僕は惹かれたのだと思う。

そして、もう一曲、僕にとって忘れられないのが「Loco de Amor」だ。

この曲は、僕の好きな女優メラニー・グリフィスが出演していた映画『サムシング・ワイルド』のオープニングテーマとして使われていた。

『サムシング・ワイルド』は、1986年のジョナサン・デミ監督作品である。

ジェフ・ダニエルズ演じる都会の堅い男チャールズが、メラニー・グリフィス演じる自由奔放な女性ルルに巻き込まれていく。

最初は軽やかで少し危なっかしいロマンティック・コメディのように始まり、やがてレイ・リオッタ演じる危険な男の登場によって、物語は一気に緊張感を帯びていく。

この映画の冒頭で流れるのが「Loco de Amor」だった。

マンハッタンの朝。

街のざわめき。

そこに鳴り出すデヴィッド・バーンのラテン・グルーヴ。

しかも、この曲はサルサの女王、セリア・クルスとのデュエットである。

バーンの少し硬質な声と、セリア・クルスの圧倒的な歌声が絡むことで、曲は一気に映画の扉を開ける祝祭のファンファーレになる。

この「Loco de Amor」がまた、レコード好きには悩ましい存在なのだ。

『Rei Momo』のCD盤には収録されている。

けれど、当時のアナログ盤には収録されていない。

1989年当時のLPは収録時間の関係もあり、CDより曲数が少ない。

CDには入っていた「Loco de Amor」「Good and Evil」「Office Cowboy」の3曲が、アナログ盤には入っていない。

これは困る。

アナログ盤で持ちたい。

でも、好きな曲が入っていない。

CDには入っている。

映画の記憶ともつながっている。

レコード棚の中で、心が少し分裂する。

所有欲としてはアナログ盤に惹かれる。

記憶としてはCD盤に残っている。

映画との接点としてはサウンドトラックにも顔を出す。

「Loco de Amor」は、きれいに一枚のレコードに収まりきらない曲なのだ。

でも、考えてみれば、それもまたデヴィッド・バーンらしい。

彼の音楽は、いつも少し枠からはみ出している。

ロックなのか。

ワールドミュージックなのか。

舞台なのか。

映画なのか。

アートなのか。

分類しようとすると、するりと横へ歩いていく。

『Rei Momo』もそうだ。

トーキング・ヘッズ後のソロ作として聴くこともできる。

ラテン音楽への接近として聴くこともできる。

1980年代末のワールドミュージック熱の中で聴くこともできる。

あるいは、デヴィッド・バーンが音楽を使って身体を実験している作品として聴くこともできる。

僕には、この最後の聴き方がいちばんしっくりくる。

彼は音楽を、単なるジャンルとして扱っていない。

人間がどう動くか。

人間がどう集まるか。

人間がどう場所を作るか。

そこに強い関心があるように思う。

それは『アメリカン・ユートピア』にもつながっている。

『Rei Momo』では、ラテンのリズムを通じて身体が解放される。

『アメリカン・ユートピア』では、ステージ上の身体が共同体のように動き出す。

どちらも、ただ音を聴かせるだけではない。

音楽によって、人間がもう一度並び直す。

音楽によって、誰かと一緒にいることの形を作り直す。

デヴィッド・バーンは、ずっとそれをやってきた人なのかもしれない。

考えてみれば、彼の代表的なライブ映画である『ストップ・メイキング・センス』も、最初はとてもシンプルだった。

一人の男がステージに現れる。

そこに少しずつ人が加わる。

音が増える。

身体が増える。

グルーヴが立ち上がる。

やがてステージ全体が、ひとつの生き物のようになる。

『アメリカン・ユートピア』では、その考えがさらに洗練されている。

今度は、演奏者たちが最初から身体ごと音楽になる。

楽器は固定されず、音は歩き、リズムは移動し、ステージはひとつの都市のように変化する。

そして、その中心にデヴィッド・バーンがいる。

脳の模型を抱えながら語る姿も、いかにも彼らしい。

ロックのライブで脳みそを抱える男。

それだけ聞くとかなり奇妙だが、バーンの場合は妙に自然に見える。

人間の頭の中。

社会の仕組み。

都市の孤独。

共同体への夢。

そういうものを全部ステージに持ち込み、それでも最後にはビートで前に進む。

そこが彼の不思議な魅力だ。

理屈っぽいのに、踊れる。

奇妙なのに、楽しい。

冷静なのに、どこか温かい。

『アメリカン・ユートピア』というタイトルも、少し皮肉で、少し切実だ。

ユートピアなんて、本当はどこにもないのかもしれない。

でも、一曲のあいだだけなら作れる。

数分間だけなら見える。

ステージの上で、身体と音が揃った瞬間に、小さな理想郷が立ち上がる。

それがこの映画の幸福なのだと思う。

僕にとって『Rei Momo』は、海外赴任中にVH1で出会ったアルバムだ。

異国の生活の中で、テレビから流れてきたデヴィッド・バーン。

ラテンのリズム。

少し奇妙な歌声。

そして、なぜか耳に残った「Dirty Old Town」。

そこから年月が経って、今度は『アメリカン・ユートピア』の再上映というニュースに出会う。

こうして振り返ると、僕の中のデヴィッド・バーンは、ずっと移動している。

トーキング・ヘッズから、ソロの『Rei Momo』へ。

ジョナサン・デミの映画から、スパイク・リーの映画へ。

レコードからCDへ。

VH1のテレビ画面から、映画館のスクリーンへ。

そして、また日本のステージへ。

その道筋は一直線ではない。

むしろ、少し曲がっていて、寄り道が多くて、ところどころで踊っている。

でも、その寄り道こそがデヴィッド・バーンなのだろう。

『アメリカン・ユートピア』を観る前に、『Rei Momo』を聴き直してみるのもいい。

特に「Dirty Old Town」と「Loco de Amor」。

そこには、灰色のスーツの未来へ向かう前の、鮮やかなラテンの入口がある。

僕のデヴィッド・バーンは、そこから始まった。

海外赴任中のテレビ画面の向こうで、奇妙で陽気な音楽が、静かにこちらへ手招きしていた。

あの時の音は、今もまだ、レコード棚の奥で裸足のまま歩いている。

僕にとってのデヴィッド・バーンは、VH1の画面の向こうから始まり、今も『Rei Momo』のラテンのリズムの中で歩き続けている。

 

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