レコード男子|バリー・ハリス|『Listen to Barry Harris ... Solo Piano』|ジャズの棚を、ひとりのピアノで静かに閉じる
バリー・ハリス『Listen to Barry Harris ... Solo Piano』を聴く。
しばらく続けてきたジャズのレコード投稿は、この一枚でいったん区切りにしようと思う。
ベースもドラムもいない。
ピアノだけ。
だからこそ、バリー・ハリスという人の音楽の芯が、そのまま聴こえてくる。
ジャズの棚を閉じる前に、ひとりのピアノの余韻を部屋に残しておきたい。
✽ ✽ ✽
バリー・ハリスの『Listen to Barry Harris ... Solo Piano』を聴く。
しばらくジャズのレコード投稿を続けてきた。
リー・モーガン、ソニー・ロリンズ、ブルーノートのジャケット、管楽器の光、リズム隊の歩幅。
いろいろな音を聴いてきた。
その流れを、いったんここで閉じようと思う。
締めに選んだのは、バリー・ハリスのソロピアノである。
これは、とてもいい終わり方だと思う。
派手なフィナーレではない。
大きな拍手で終わる感じでもない。
ひとりのピアニストが、鍵盤に向かい、自分の言葉で静かに語る。
その余韻で、ジャズの棚をそっと閉じる。
アルバムのタイトルは、『Listen to Barry Harris ... Solo Piano』。
「聴け」と言われている。
ただし、大声で命令されている感じではない。
耳を澄ませてごらん、と静かに促されているようなタイトルである。
ジャケットもいい。
黒を基調にした画面。
ピアノに向かうバリー・ハリスの姿。
上部には白い帯で、タイトルが置かれている。
飾りすぎていない。
余計な色もない。
ピアノだけで勝負するアルバムにふさわしい、端正な顔をしている。
ベースもドラムもいない。
ピアノだけ。
だから、このアルバムには逃げ場がない。
裏ジャケットの解説にも、伴奏なしのソロピアノという形式の特別さが書かれている。
ベースもドラムもいないということは、時間も、低音も、間も、すべて自分で引き受けるということだ。
ピアニストがひとりで立っている。
けれど、孤独というより、むしろ静かな充実がある。
バリー・ハリスは、自分の中にあるジャズの歴史を、ひとりで鍵盤の上に置いていく。
収録曲を見ると、そのことがよくわかる。
A面は、「The Londonderry Air」から始まる。
いわゆる「ダニー・ボーイ」として知られる旋律である。
そこから「Mutattra」「Louise」「Body and Soul」「Ascension」へ進む。
B面には、「Anachronism」「I Didn’t Know What Time It Was」「Teenie」「Sphere」「Dancing in the Dark」が並ぶ。
スタンダードがあり、バリー・ハリス自身の曲があり、セロニアス・モンクへの敬意もある。
「Sphere」は、モンクのミドルネームでもある。
こうした曲名を見ているだけでも、このアルバムが単なるピアノ小品集ではないことがわかる。
アート・テイタム。
バド・パウエル。
セロニアス・モンク。
そうした先人たちの影が、ここにはある。
けれど、バリー・ハリスはその影に呑み込まれない。
誰かの真似として弾いているのではなく、受け継いだものを自分の手の中で言葉にしている。
このあたりが、バリー・ハリスの誠実さであり、強さなのだと思う。
ソロピアノは、裸の音楽である。
管楽器の華やかさもない。
ベースの歩行もない。
ドラムの推進力もない。
ピアノという楽器だけで、旋律、和音、リズム、沈黙まで引き受けなければならない。
だからこそ、聴いていると、その人の音楽観が出る。
何を大切にしているのか。
どこで歌わせるのか。
どこで踏みとどまるのか。
どこで先人に頭を下げ、どこで自分の言葉を差し出すのか。
バリー・ハリスのピアノには、奇をてらったところがない。
しかし、ただ古風でもない。
古いものを大切にしながら、そのまま保存するのではなく、自分の体内を通して現在の音にしている。
そこがいい。
ジャズという音楽は、新しさだけでできているわけではない。
古いものを忘れず、しかし古いものに閉じこもらず、次の演奏へ渡していく。
バリー・ハリスのピアノには、その「渡す」という感覚がある。
僕にとってバリー・ハリスさんは、レコードの中だけの人ではない。
霧生ナブ子さんが毎年日本に招聘して、尚美大学の学生を中心にワークショップを開催してくれていた。
僕も一度、市ヶ谷の教会ホールのワークショップに足を運んだことがある。
その記憶があるから、バリー・ハリスの名前を見ると、音楽が少し近くなる。
もちろん、僕がこのアルバムの録音現場にいたわけではない。
1961年7月、ニューヨークで録音されたピアノソロ。
そこに自分の人生が直接つながっているわけではない。
それでも、後年になって、別の場所で、別の人たちを通して、バリー・ハリスの音楽に触れる機会があった。
そういう記憶が、レコードを聴く時間にそっと重なる。
レコードとは、そういうものだと思う。
盤に刻まれているのは音だけではない。
あとから自分が出会った人や場所や時間が、その音に寄り添ってくる。
レコードを聴くという行為は、過去の録音を再生することでありながら、自分の記憶の棚を開けることでもある。
今回、このアルバムでジャズシリーズをいったん閉じるのは、そこにも理由がある。
リー・モーガン『The Sidewinder』では、バリー・ハリスのピアノが軽やかに歩いていた。
その名前から、霧生ナブ子さんのワークショップの記憶がよみがえった。
そして最後に、バリー・ハリスのソロピアノへ戻ってくる。
これは、いい円の閉じ方だと思う。
派手な管楽器で締めない。
熱いアンサンブルで締めない。
ひとりのピアノで締める。
音数は少なくなる。
編成も小さくなる。
けれど、音楽の奥行きはむしろ深くなる。
『Listen to Barry Harris ... Solo Piano』を聴いていると、ジャズとは何か、という問いがとても静かに立ち上がってくる。
それは、派手なソロだけではない。
スウィングするリズムだけでもない。
ブルースだけでも、ビバップだけでもない。
ジャズとは、受け継いだ言葉を、自分の身体で語り直すことなのかもしれない。
バリー・ハリスのピアノは、そのことを大げさに言わない。
ただ弾く。
鍵盤の上で、歌い、考え、歩き、ときどき立ち止まる。
そこに、静かな強さがある。
ジャズの棚をいったん閉じる。
でも、もちろん終わりではない。
レコード棚には、まだロックもある。
ポップスもある。
ボサノバもある。
レゲエもある。
暑くなってきた季節に合わせて、次は少し風向きを変えてみたい。
ただ、その前に。
バリー・ハリスのピアノを聴いておく。
ジャズの灯を、ひとりのピアノに戻しておく。
最後の音が消える。
部屋に、少しだけ余韻が残る。
その余韻の中で、ジャズの棚を静かに閉じる。
また聴きたくなったら、いつでも戻ってくればいい。
レコード棚は、そういう場所なのだから。
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