雪の峠を越えて【第17話】
その年の十二月の暮れ。
山形県小国町は、折からの大雪に見舞われていた。
僕は必死にハンドルを握り、新潟へ向けて走っていた。
真冬に県境の峠を越えるのは、初めてのことだった。
雪道の走りは、車のシャシーとタイヤの性能次第。
僕は今でも、そう考えている。
四輪駆動だから安心。スタッドレスだから大丈夫。
国産車だから安全。
そう単純に言い切れるものではない。
もちろん、駆動方式やタイヤは重要である。
だが、それを受け止める車体そのものが頼りないと、雪道ではあっという間に不安が膨らむ。
以前所有していた国産リッターカーは、雪道での直進安定性に心細さがあった。
それに比べれば、306のシャシー性能は明らかに上だった。
ハンドルを通じて、路面の状態が伝わってくる。車体の動きに、妙な曖昧さが少ない。
滑る時も、いきなり裏切るのではなく、滑り始める気配をこちらへ知らせてくる。
雪国で乗る車として、そこは大きかった。
ただし。
この時のスタッドレスタイヤには問題があった。
306購入時にサービスしてもらった、五年経過のピレリ・ウインターアイスである。
五年経過。
名前に「アイス」と入っているからといって、五年も経てば雪国の峠道で頼れる存在ではない。
冬の富士山を、軽装で登ろうとする観光客のようなものである。
本人は行けると思っている。周囲はやめておけと思っている。
そして実際、かなり危ない。
306のシャシーは、滑り始める挙動を実に素直に僕へ伝えてくれた。
少しカーブする。少し減速する。
少しアクセルを戻す。
そのたびに、尻の下やハンドル越しに、
「滑ってるよ」
と教えてくる。
親切である。
親切なのだが、怖い。
さらに、絶え間なく作動するBOSCH製ABSが、ブレーキペダル越しに、
ビビビビビッ。
と、足裏を叩いてくる。
水木しげるの漫画によくある、往復ビンタを食らうような感覚である。
油断するな。寝るな。
調子に乗るな。
死ぬぞ。
そう言われている気がした。
雪は横からも正面からも降ってくる。
道路脇には、除雪された雪が壁のように積まれている。
路面には圧雪と凍結が入り混じり、どこまでが安全で、どこからが危険なのか、いまひとつ読めない。
306は、僕にすべてを伝えてくる。
伝えてくれるのはありがたい。
だが、伝えられたからといって、こちらの腕が急に上がるわけではない。
若い僕は、ハンドルを握りしめながら、ひたすら新潟を目指していた。
なぜ、こんな無理をして峠を越えているのか。
理由はひとつだった。
クラブ・ユーロハッチの忘年会である。
フレンチブルーミーティングの夜、車山で受け取った一枚の名刺。
そこに記されていた、上越の欧州車オーナーズクラブ。
クラブ・ユーロハッチ。
FBMの後、僕は彼らとオンライン上で交流を続けるようになっていた。
ホームページを見に行く。掲示板に書き込む。
メールを交わす。
車山の夜に偶然開いた扉は、そのまま細い道になって、新潟へ続いていた。
やがて、忘年会に来ないかと誘われた。
行く。
そう思った。
思ってしまった。
問題は季節である。
十二月。雪国。
山形から新潟へ抜ける峠道。
普通に考えれば、初めて会ったに近い人たちの忘年会に参加するため、五年落ちのスタッドレスを履いたフランス車で大雪の峠を越えるなど、あまり賢い行動ではない。
だが、当時の僕にとっては、それでも行く価値があった。
車山で会った人たちは、僕にとって、仕事でも地元でも学生時代でもない場所にできた、新しいつながりだった。
そこへ呼ばれた。
ならば行きたい。
理屈ではない。
理屈を持ち出せば、そもそも二十二歳でプジョー306を買った時点で負けである。
峠を越え、胎内を過ぎたあたりで、降雪は相変わらずだったものの、路面にアスファルトが見える区間が増えてきた。
それだけで、縮み上がっていた寿命が少し戻ってくる。
黒い路面。
なんとありがたいものか。
普段なら何とも思わないアスファルトが、その時は命綱のように見えた。
途中、先日の車山で出会った新潟方面のルノー乗り、SGくんが道案内として306に乗り込んだ。
彼は、あの夜をきっかけにクラブ・ユーロハッチへ入会していた。
さらに僕たちは、新幹線で駆けつけるEC塚くんを長岡駅まで迎えに向かった。
EC塚くん。
車山の相部屋で出会った、喋らないと死ぬのではないかと思うほど喋る男である。
実は、僕は車山で彼と別れる時、自分のホームページのことをきちんと伝え忘れていた。
自分のホームページのURLを記した名刺を交換する。
そんな紳士的な交流の域に、当時の僕はまだ達していなかったのである。
ところが彼は、わざわざ山形方面のプジョーオーナーのホームページを辿り、僕のページを見つけてくれていた。
恐るべき検索力である。
いや、執念と言うべきかもしれない。
メールで、
「クラブ・ユーロハッチの忘年会に一緒に行く?」
と尋ねると、返事は早かった。
行く。
二つ返事だった。
そして今日である。
長岡駅で再会した彼は、ダッフルコートにマフラーといういでたちで、律儀にお土産の菓子折りまで持っていた。
「やあやあ、お久しぶり!」
そう言って、306の後部座席に乗り込んでくる。
「こういう時にフランス車はいいね。すぐ見つけられるし。そうそう、実はさ……」
再会の余韻など、三秒で吹き飛んだ。
舌好調である。
いきなりトップギアである。
それまで車内にあった、男二人が静かに語り合う控えめなバーのような雰囲気は、あっという間に南国の演芸場へ切り替わった。
車内の温度が明らかに数度上がる。
暖房を強くした覚えはない。
人間の熱量である。
あまりの情報量に、僕たちは道を間違えた。
たぶん、彼のせいである。
いや、運転していたのは僕である。
だが、あれは彼のせいということにしておきたい。

長岡インターで、首を長くして待っていたクラブの代表とようやく合流し、僕たちは一路、会場の鵜の浜温泉へ向かった。
鵜の浜の温泉街は、昭和の名残りを濃く残していた。
今にも路地裏から、東映映画の梅宮辰夫や松方弘樹が悪漢と喧嘩をしながら飛び出してきそうな雰囲気である。
昭和の最盛期には、さぞ賑やかだったのだろう。
看板。路地。
旅館の灯り。
少し古びた温泉街の空気。
そこには、きらびやかなリゾートとは違う味があった。
その一角の駐車場に、決して派手ではない欧州の実用車たちが集まっていた。
一見、昭和の温泉街とは無縁に見えるはずの車たちである。
だが、不思議と違和感がない。
フォルクスワーゲン。
プジョー。
ルノー。
シトロエン。
豪華な高級車ではない。
庶民のための実用車。
それが、ひなびた温泉街の駐車場に、妙に自然に収まっていた。

クラブ・ユーロハッチ。
インターネットの進展によって、この頃、日本全国に爆発的に誕生したオーナーズクラブの一つだったのだろうが、その成り立ちは意外とアナログだった。
代表と副代表。
学生時代の同級生だった二人を核に、上越市を中心としたガソリンスタンドやカーショップにチラシを配り、会員を募ったという。
つまり、地域密着型のクラブである。
ネットだけでつながるのではない。
実際に地元の店へ行き、チラシを置き、人づてに仲間を増やしていく。
その泥臭さが、僕にはとても良く思えた。
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プジョー306を購入して30年、クルマを買い替えない生き方を綴ります
