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──穴を覗いた先にあった豊かさ

朝。

まどろみの中で、
トワの内側に、
ふいにひとつの言葉が入ってきた。

「かわいそう」

それは、
責めるような響きではなかった。

どこまでも静かで、
やわらかく、
深い慈しみを含んだ声。

トワは、
その意味をうまく掴めないまま、
ぼんやりと朝の光を見つめていた。

その日、
母の日のランチへ向かう。

そこで母は、
数ヶ月前にも聞かせてくれた、
祖母との思い出を再び語り始めた。

それは、母が幼い頃、
長野で祖母と過ごしていた時の記憶だった。

いとこたちと一緒に祖母の家へ遊びに行くと、
そこには大きな障子があったという。

子供というのは、不思議なもので。
“やってはいけない”とわかっているものほど、
指先で触れたくなる。

白く張られた障子紙に、
そっと指を当てる。
ツン、と押す。

さらに深くまで押すと
ふわりと破れる感覚。

あの、
妙に気持ちいい感触。
一度知ってしまうと、
またやりたくなる。

小さな穴。
その向こうに見える、
細い光。

子供たちは夢中になって、
障子に穴を開けていた。

すると、
祖母がその障子を見つけた。

怒られる。
みんな、そう思った。

けれど祖母は、
怒らなかった。

静かに、
こう言ったという。


「その穴の空いたところから、
向こう側の景色を覗いてごらん」

子供たちは、
きょとんとしながら覗き込む。

小さな穴の向こうには、
切り取られた庭の景色があった。

光。
葉っぱ。
風。
遠くの色。



祖母は続けた。
「さぁ、その景色の絵を描きましょう」


すると子供たちは、
さっきまでの“いたずら”を忘れたように、
夢中で絵を描き始めた。

穴から見えた景色を、
記憶しながら。

「あ、ここに葉っぱがあった」
「光がこんなふうだった」

誰かが言い、
誰かが笑う。

そして描き終えると、
祖母はその絵を見て、
嬉しそうに言った。

「綺麗に描けたね」

そのあとで、
静かに続けた。

「障子さんもね、
命あるものだと思うから、
悲しむと思うの」

その言葉は、
子供たちの中へ、
すっと入っていった。

怒鳴られたわけでもない。

怖がらされたわけでもない。

だけど、
なぜか“わかった”のだ。

それ以来、子供たちは障子にいたずらをしなくなった。

そして誰かが障子を破ろうとすると、
別の誰かが言うようになった。

「障子さん、かわいそうだからダメ」

トワはその話を聞きながら、
胸の奥が静かに揺れていた。

すると母が、
少し遠くを見るような顔で言った。

「きっとおばあちゃん自身も、
わかっていたと思うのよ」

「障子をツン、とやって、
破れる感触の気持ちよさを」

そう言って、
少し笑った。

「その上で、
ああやって子供を諭す余裕があったのよね」

「ただ怒るんじゃなくて、
別の方向へ持っていくっていうか」

トワは、その言葉が印象に残った。

“わからない人”が、
正しさを押しつけるのではなく。

“わかる人”が、
その上で包む。

祖母は
子供の衝動を否定しなかった。

なぜなら、
その感覚を、
自分の中にも知っていたから。

だからこそ、
抑えつける代わりに、
景色を見せた。

「ダメ」で閉じるのではなく。

「その穴から、
何が見える?」

そうやって、
子供たちの意識を、
  


“壊すこと”から
“見ること”へ、
そして“描くこと”へ移していった。

そして
トワはふと思った。

──母はその後、
子供に絵を教える仕事についたんだ。

なんだか、
全部繋がっている気がした。

あの日、
障子の穴から見えた景色は

ただの庭ではなく、

“衝動を創造へ変える”
という、
ひとつの在り方そのものだったのかもしれない。

トワの中で、
朝の「かわいそう」が、
静かに繋がった。

ああ。

あの声は、
誰かを責めるためではなく

長い間、
自分を縛り続けてきた
“古い自分”へ向けられた、
慈しみだったのかもしれない。

──そんなに頑張らなくていいんだよ。

──そんなに自分を犠牲にしなくていいんだよ。

そんなふうに、
誰かが静かに撫でてくれているようだった。



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