「卒業とか考えられない」vs「卒業したい」
「あと2年で成人だし。」
ある友だちが最近何百回と口にするセリフだ。
「気づいたら卒業してそう。」
一瞬で過ぎていく日々に、こう口にする人も増えた。
たぶん、そのセリフを言う人はみんな不安で、成人したくないor卒業したくないのだと思う。
大人たちに言っても、まだ高校生になったばかりじゃないかと言われるけど、私たちのほとんどが、大人という新しい世界がいかに迫ってきているかに気づいている。
誰だって新しい生活になるのは怖いことだし、高校卒業は特に不安が大きい人が多いと思う。
毎日毎日、同じ学校に通い、同じような人たちと出会って同じようなことをする。その日々が崩れるのは、かなり想像するのが難しい。
もちろん卒業後のことは不安でいっぱいだけれど、最近とても楽しみにも思えるので、それについて何が楽しみなのか、なぜなのかを書こうと思う。
「卒業が楽しみ」。
こういうと、なんだかびっくりするくらいポジティブなのかな?という感じがする。
楽しみというよりは、日々の生活の合間に、「ああ、卒業したいな…」と思う瞬間が増えた、くらいだろうか。
私は現在、少し変わった学校に通っている。
もともとは親が選んで通い始めた学校だ。
でも、私はもう高校生である。私は学校が嫌になることもあるけれど、基本的に私が行くことを選択して、それで通っているつもりだ。
私の判断だから、すでに私の選択ともいえるんじゃないかと思う。
だから「親に通わされている」「いやいや通っている」というのはおかしい。それは親に対するただの甘えだ。
それでも、たまに思うことがある。
特別会いたくもなかった人に、いらないことをたくさん言われた日とか。
私が望んだことじゃない、と思ってしまう。
たとえばクラスメイトって、同じ年に同じ教室を使わなければいけなくなっただけの人なはずなのだ。必ず仲良くしなきゃいけない相手じゃない。
なんで、一緒にいなきゃいけないんだろう。
教室に押し込まれたまま過ぎていく日々が、嫌になってしまうのだ。
クラスメイトという例を使ったけど、別にクラスメイトが嫌なわけではない。どちらかというとクラスメイトは私を助けてくれる人たちだから。
でも、学校は人がたくさんいる。いろんな人がいる。
卒業したら。
その枠から抜け出せる。
本当のところは、それからまた新しい枠に入っていくだけだと思うけど。
わかっているつもりなのだ。私が、したいことや行くところを決めている。
でも、まだどこかで「私ではない」と思ってしまう。
ただ、今の枠では甘えが出てしまう自分が嫌なのかもしれない。
だから卒業したいと思うのかな。
もうひとつの理由として考えられるものとしては、「一人暮らしがしたい」の感情かもしれない。
かっこいい大人になりたい。
ものすごく象徴的な話かもしれないけど、いつもそう思う。
かっこいい大人。
いろんな「かっこいい」があるけど、たとえば私がなりたいかっこいいの中にひとりで生きていける、というものがある。
ひとりでご飯が作れて、ひとりでお金をためて自分の家が買えて、いざというときにきちんと動ける人。
1人暮らししたら、それがかなうんじゃないかな、と思うのだ。
今の私は全部親に任せっきりだと思う。
それを卒業するために、まず学校を卒業して、家を出てみたい。
それが、不安と同時になんだかワクワクなのだ。
