人はなぜ描くのか:『ルックバック』考察―結末の解釈とタイトルの意味について
今日は『ルックバック』という作品について考察します。
この作品は、「全てを忘れて没頭するほど何かを好きになること」を、正面から描いています。
僕たち読む側・見る側も、小説でも漫画でも映画でも、そういう経験がありますよね。
明日も学校や仕事なのに、気づけば寝るのも忘れて夜更かしして、読んでしまう、見てしまう。
何の役に立つわけでもないのに、その作品についてあれこれ考えたり、考察サイトを見てしまったりする。
その瞬間は何か意味があるわけではなくても、好きだからやっています。
おそらく作る側にも、同じような時間があるのだと僕は思います。
『ルックバック』は、その時間を描いた作品です。学校をずる休みして、自分たちの秘密基地を作っているような、そんな作品だと感じています。
※この記事は結末まで含むネタバレがありますのでご注意ください。
『ルックバック』はどんな作品か
主人公の藤野は小学4年生。
学年新聞に4コマ漫画を連載していて、周りから褒められ、本人も自信を持って有頂天になっています。
ところがある日、担任から、不登校の同級生である京本にも4コマ漫画を描かせてほしいと頼まれます。
藤野は軽い気持ちで承諾します。
すると、京本の漫画がとてもうまい。ストーリーは何もなく、絵だけなのに、とてもうまい。
藤野は、絵の力では京本にまるでかなわないことを実感します。
そこから藤野は、京本に追いつくために猛烈に絵を練習し始めます。
デッサンの本を買って、どこもかしこも描きます。
友達と遊ぶ時間は減り、家族から心配されるほど、ひたすら絵を描き続けます。
ただ、やがて疲れてしまいます。
周りからは遊ぼうと誘われ、中学になっても絵なんか描いていたらオタクだと思われて友達がいなくなると言われ、姉からは内申書に使えると空手に誘われます。
藤野はいったん漫画を描くことをやめます。
卒業式の日、担任から、京本の家に卒業証書を届けてほしいと頼まれます。
藤野はそこで初めて京本の家を訪れます。
そこで藤野が目にするのは、大量のスケッチブック。
京本は部屋から出てきません。
藤野は腹立ちまぎれにその場で4コマ漫画を描き、それが偶然、京本のいる部屋の扉の下に滑り込んでしまいます。
しまったと思った藤野は、そのまま家を飛び出します。
ところが、それを見た京本が、家から飛び出してきます。
何を言われるかと思えば、京本は、ずっと藤野のファンだったと言います。
絵を描くのをやめていたはずの藤野は、かっこをつけて、これから賞に応募するために休んでいるのだと言ってしまいます。
そこから藤野は、再び漫画を描き始めます。
京本と二人で漫画を作るようになり、二人のペンネームで読み切りを描いて、賞を取っていきます。
最終的に、二人には連載の話も来ます。
ただ、京本はもっと絵を勉強したいと言って、美大に進むことを決めます。
藤野は一人で漫画家として進み、人気作を描いていきます。
ところがある日、その美大に男が侵入し、京本を殺してしまう事件が起きます。
葬儀の後、藤野は絶望します。
自分が4コマを描かなければ、自分が京本を誘わなければ、京本は死ななかった。
であれば、自分が京本を殺したのではないか。
そこから、平行世界の物語が進行します。
その世界では、あの日描いた4コマを藤野が破ってしまい、京本は外に出てきません。
なので、藤野と京本は出会わず、二人で漫画を描くこともありません。
ただ、京本は絵が好きなので、ずっと絵を描き続け、結局美大に進学します。
そしてその美大に、男が侵入します。
京本が襲われそうになったところを、空手を続けていた藤野が助け出します。
その後、平行世界の京本が描いた4コマ漫画が、現実世界の藤野の部屋にさっと滑り込むような形で現れ、藤野の足元に落ちています。
その題名は「背中を見て」でした。
藤野はその4コマを机の前に貼り、再び漫画を描き始めます。
最後に読者が見るのは、机に向かって漫画を描き続ける藤野の背中でした。
人はなぜ描くのか
この作品でまず描かれているのは、なんで人間は描くのか、ということです。
藤野は一番初め、人から褒められたいという承認欲求や、京本に負けたくないという競争心から描いていました。
ただ、それだけではないと僕は思っています。
デッサンの本を買って、遊ぶ時間を削って、自分でひたすら描く。
これは、藤野自身が絵を描くのが好きだという気持ちを、同時に持っていたからです。
絵を描くのが好きだからこそ、たくさんの時間をそこにかけてきました。
好きだからこそ時間を使ってしまった。
だからこそ、その時間にどんな意味があるのか分からくなって一度やめてしまったのです。
そんなときに、藤野は京本のスケッチブックの量を見つけます。
藤野もそれまでスケッチブックで練習してきて、自ら捨てました。
しかし、捨てた自分の手で抱えられるくらいのそのスケッチブックとは比較にならない量が、京本の家にはあったのです。
藤野はそれを見て、こんなに練習したから京本は絵がうまいのだ、と理解しただけではないと思います。
自分もある程度描いたからこそ、その量が何を意味するのかが分かるのです。
つまり藤野は、京本も絵が好きなのだという、自分との共通点に気づいたのだと思います。
この人も自分と同じだ、いや、自分以上かもしれない。
それまで京本は、藤野にとって絵がうまい敵であり、ライバルでした。
会ってみたら、二人とも同じく絵を描くのが好きな仲間だったのです。
藤野が京本の背中を追いかけていたのと同じように、京本も藤野の背中を追いかけていた。
二人とも、相手の背中を追っていたのです。
実際に、藤野と京本のこのようなやりとりがあります。
「じゃあ私ももっと絵ウマくなるね!藤野ちゃんみたいに!」
「おー。京本も私の背中みて成長するんだなー」
背中を見るという意味でのLook backの1つ目の意味は、ここで現れていたのだと思います。
だからこそ、京本が亡くなったとき、藤野はなんで描くのかを見失ってしまいます。
一番読んでほしかった人がいなくなってしまったからです。
そこで藤野は、なぜ描くのかを、もう一度自分に問い直します。
その答えは、漫画家として成功した瞬間でも、賞を取った瞬間でもありませんでした。
京本と一緒に漫画を描いて、京本が自分の漫画を読んで、笑ったり驚いたり喜んだりしてくれる姿、その回想シーンが描かれます。
なぜ描くのか。
藤野にとって、それが楽しかったから、好きだったからです。
この作品はそういう純粋な気持ちを描いていて、その気持ちを決して恥ずかしがりません。
開き直って、それくらい好きなんだということを、正面から伝えてきます。
ここにこの作品の熱さがあると思います。
結末の解釈・考察
この作品で最も解釈が分かれるのは、京本が死んだ後に描かれるもう一つの世界のことです。
僕は、妄想というよりも、藤野が漫画の形で想像を描いているのだと解釈しています。
この作品の中で、藤野の4コマ漫画は、そのまま原作漫画のコマとして出てきます。
それと同じこと(藤野の漫画を『ルックバック』の内容にすること)を、ここでやっているのだと思います。
藤野は一番初め、自分が京本をこの世界に誘い込んでしまった、だから自分が京本を殺したのだと考えます。
そこで、もし自分が京本とあの日に出会わなかったらどうなっていたか、という物語を考えて作っていきます。
ところが、その世界を描いてみると、もともと藤野が考えていたことが崩れていきます。
つまり、藤野と出会わなくても、京本は絵を描いていて、結局美大に進んでしまうのです。
なぜか。
藤野は京本は絵を描くのが大好きなことを一番知っていたからです。
ここで藤野は気づきます。京本の人生は、自分が決めていたわけではなかったと。
つまり、自分が京本を絵の世界に引き込んだから京本が死んだ、というわけではないのです。
自分で漫画を描いて、京本の人格に入り込めば入り込むほど、キャラ作りをすればするほど、それが分かってしまう。
だからこそ最後は、京本が殺されなかった世界を描くために、藤野自身が空手で京本を救う展開にしたのです。
ここが美しいところです。
二人が出会わなかった世界を想像したはずなのに、結局藤野は、二人が出会う漫画作品になってしまいました。
ここには、藤野の本当の願いがあります。
藤野自身も、京本と出会わなければよかったとは感じていません。
京本と出会って過ごした時間の価値をなかったことにしたくないのです。
ただ、それでも京本に生きていてほしかった。
だからこそ、この漫画の世界で二人が出会った後、京本が死なない形で終わらせるために、自分が空手のキャラとして助けに入るのです。
藤野は、フィクションの世界に逃げ込んだままにはなりません。
その中で京本を救うことによって、自分が京本を殺してはいないのだと気づきます。
その漫画を描くことで、藤野自身が救われるのです。
そして最後に、「背中を見て」という4コマが藤野のもとに届く場面があります。
現実世界に京本が描いた4コマ漫画が滑り込んできて床に落ちているということは、京本が亡くなっている以上ありえないことです。
僕はこの場面を、藤野が京本という人間を最後まで描き切った、ということだと解釈しています。
京本のキャラ作りをした結果、京本が今の自分に何をするだろうか、ということが分かる。
かつて自分が京本をけしかけたように、藤野は自分に対して、4コマ漫画を送ってくるのです。
Look backには、振り返る、過去を回想するという意味があります。
京本の死後、藤野はずっと過去を回想しています。あの日漫画を描かなければ、京本と出会わなければ、と後悔しているのです。
そこに、最後の4コマ「背中を見て」(Look back)が返ってきます。
回想して、そこからまた京本の背中を見る。振り返ってばかりの方向が、京本の背中を見て進む方向へ逆転するのです。
そして最後、藤野は読者の方を振り返りません。机に向かって漫画を描いています。
僕たち読者が見るのは、藤野の背中です。
物語の最初、京本は藤野の背中を追っていました。そして最後には、読者が藤野の背中を見る、その場所に立つのです。
これは次の人たち、つまり私たちにその背中を見せて、「好きなことをやってみろ」という熱いメッセージだと僕は思います。
「ルックバック」というタイトルには、いろいろな意味がかかっています。振り返るだけではなくて前に進む、誰かの背中を追う、その両方の意味があるのだと思います。
公開直後に起きた炎上騒動
『ルックバック』は、2021年7月19日に、少年ジャンプ+で読み切りとして公開されました。僕もその日に読んで、とても感激したのを覚えています。
ただ、当時から議論がありました。京本を殺害する男の描写です。
男の台詞や振る舞いは、精神疾患を連想させるものとして受け取られました。
そうした描写と殺人を近接させることで、精神疾患のある人一般を危険視するステレオタイプを強めうる、という批判が出たのです。
確かに、精神疾患と犯罪の関係は単純に結びつけられません。
目立つ精神症状と重大事件が重なると、両者の関係を実際以上に強く感じてしまうことがあります(錯誤相関)。
また、公開のちょうど2年前、2019年7月18日に起きた京都アニメーション放火殺人事件を想起させる、という指摘もあって、批判が出ました。
最終的に、翌月、そうした描写が偏見や差別の助長につながることは避けたいとして、作者と編集部が協議のうえ、一部の台詞や描写が修正されました。
この表現は本当に良くなかったのでしょうか。
僕は当初こう考えました。
藤本タツキさん本人にこういうことがあったのかもしれないし、それでなくても実際に起きている殺人事件の裏側には藤野・京本のような人達がいるのだから、そのことを描く意義はあるはずだ、と。
一方で、その後こうも考えました。
この作品が描いているのは、なんで描くのか、好きだから、という生きることの尊さです。
そこが中心なのに、あの男の殺人に過度に焦点が当たってしまうのは真逆であり、作品にとっても不幸です。
それこそ、藤野や京本が一番悔しがるのではないでしょうか。
この世界のどこかには藤野・京本のような人がいるかもしれないからこそ、きっと藤本タツキさんはこの表現を修正したのではないだろうか、と。
表現の自由の背景には思想の自由市場という考え方があり、誤った表現や質の低い表現も含めて、自由に競わせておくのがよい、という考え方です。
そこでは、表現や思想は批判をもとに修正され、良い表現は残り、悪い表現は淘汰されていきます。この作品は、まさにその思想の自由市場が働いた部分でもあると僕は思っています。
一度世に出したものを後から修正することは、あまり大っぴらには行われません。ただ、こういった作品をよりよくするための修正は、もう少し柔軟に許してもいいのではないかと僕は思っています。
総評
『ルックバック』の評価は以下のとおり。
★★★★★ 5つ星!満点です!
まず、原作が読み切りなのが良かった。きっと藤本タツキさんはこれを一気に描き上げたんじゃないだろうか。そんな勢いと熱がその表現力で伝わってくる。その熱で人を動かす作品です。
このnoteの全記事一覧はこちら(随時更新)。
