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『ゴールデンカムイ 網走監獄襲撃編』が物語としてなぜ凄いのか

『ゴールデンカムイ 網走監獄襲撃編』がNetflixにて配信開始されました。

ゴールデンカムイの面白さは、杉元とアシㇼパ以外の登場人物が、敵なのか味方なのか分からないところにあります。そして、網走監獄襲撃編はそのハンパない構成力によって面白さが全て詰まっています

この記事ではそんなゴールデンカムイの面白さを考察するとともに、網走監獄襲撃編がゴールデンカムイという物語においてなぜ凄いのかを解説していきたいと思います。

※この記事は映画の結末まで含むネタバレがありますのでご注意ください。


『ゴールデンカムイ 網走監獄襲撃』はどんな作品か

明治期、北海道に隠された金塊をめぐって、いくつもの勢力が争っているという映画です。
主人公の杉元とアシㇼパの二人は、この金塊を追って一緒に旅をしています。
金塊を追っているのは二人だけではありません。土方歳三と鶴見中尉らといった、同じ金塊を狙う他の勢力もいます。

そして、網走監獄には、のっぺら坊と呼ばれる金塊の在処を知っているとされる囚人がいます。
杉元、アシㇼパ、白石、キロランケ、尾形の一行は、網走監獄にのっぺら坊に会いに行きます。
土方・鶴見たちも、同じく網走監獄に向かっています。

のっぺら坊の正体は、アシㇼパの父、ウイルク。
しかしウイルクは、キロランケの意を受けた尾形に撃たれ、殺されてしまいます。
尾形はさらに、独断で杉元も撃ち、杉元は重傷を負います。

その場から逃げることができたアシㇼパは、キロランケ、尾形、白石とともに樺太方面へ向かい、杉元は鶴見中尉らと行動を共にすることになります。

敵か味方か分からない”不安定さ”という面白さ

この物語では、杉元とアシㇼパ以外に、本当に信用できる人物がほとんどいません。

土方、鶴見、尾形、キロランケ、谷垣、白石といった人物は、たまに杉元の味方になりますが、時には敵になって殺そうとしてきます。

だから、一度味方になっても、全く安心できません。

普通の冒険漫画でも、敵として登場した人物が主人公と戦って仲間になる展開はよくあります。『ドラゴンボール』のベジータのように、そういう人物は主人公の仲間として安定します。

ところが『ゴールデンカムイ』では、一度仲間になった人が敵になり、そこからまた味方になるという反転がどんどん起きるのです。

なぜか。

土方は、杉元に出会う前から土方です。
鶴見も、杉元とは全く無関係な巨大な野望を持っています。
尾形も、杉元のライバルとして生きているわけではありません。
キロランケも、アシㇼパを手伝うために存在しているわけではありません。

全員が自分の目的をもって生きる人物であり、全員が主人公だからです。

だから、一時的に目的が一致すれば仲間になります。その目的がその時々で衝突すれば敵になり、また利害が一致すれば共闘します。

この流動性と不安定さが『ゴールデンカムイ』の人間関係を複雑にし、物語を面白くしています。

例えばこの網走監獄襲撃編では、それまで味方だったキロランケが最後の最後で一気に敵になります。

ただ、これもキロランケがある日突然悪人になったわけでも、一番初めから裏切るつもりだったわけでもありません。

最初から持っていたのは自分の目的で、尾形も同じです(これは後に語られることになります)。

今まで一緒に歩いてきた人間たちが、実は同じ目的地を目指していただけで、目的が違っただけだった、ということです。

たまたま目的が違うからこそ行動が分かれ、仲間に見えていた関係がほどけてしまう。それが、この映画で起きていることです。

なぜ敵や子どもと一緒に旅をするのか

普通の物語であれば、読者に衝撃を与えるには、この人は味方ですよと思わせておいて実は敵だった、という形で読者を騙す必要があります。

でも『ゴールデンカムイ』の場合は、初めからこいつには何かある、と分かっています。例えば尾形などは初めから信用できません。

それなのに、一緒に旅をする。

また、アシㇼパにしても、実際に戦闘の役に立つときはありますが、基本的にはまだ子供です。

なんでこんな子供が、他の猛者たちと渡り歩いているのか。なぜこの人たちは一緒に冒険をするのか、と疑問に思うかもしれません。

そこでうまく生きてくるのが、「試される大地」、明治期の北海道という舞台設定です。

とても極限的な状況で、出会った生き物を全部食べるような場所です。
ここでは一人では生きていけません。

射撃や狩猟の能力があっても、腕っぷしが強くても、脱獄ができても、それだけではこの地で生きていけないのです。

だからこそ、集団で共に行動します。そして、アシㇼパのようなアイヌの知恵、生活の知恵を持った人と一緒に行動するのです。

信頼できるから協力するのではなく、北海道という厳しい自然の中で利害が一致しているから協力する。
だからこそ、ゴールデンカムイはユニークな人間関係が醸成され、それが面白さに繋がっているのです。

手段と目的の逆転がもたらす安定した関係

そこでさらに面白いのが、杉元とアシㇼパだけは、とても安定した関係に見えることです。
この二人には、何が起きているのでしょうか。

実はこの二人も、初めは利害関係から始まっています。
杉元は金塊が欲しく、アシㇼパは父親と金塊の事件の真相を知りたい。
だから協力する、という形でした。
一番初めは他のメンバーと同じで、利害関係から旅を始めているのです。

ただ、その旅を続けるうちに、変わっていきます。

杉元にとって、アシㇼパは金塊を手に入れるために必要な相手でした。
それが最終的には、アシㇼパを守るために金塊争奪戦を戦う、という形になります。
目的と手段が逆転しているのです。
アシㇼパにとっても、同じようなところがあります。

この二人だけは、目的が変わっても一緒にいる。
というより、一緒にいるということ自体が旅を続ける理由になっていきます。
だから、安定した関係になっていくのです。

そのために、『ゴールデンカムイ』は周囲の人間が味方にも敵にもなる不安定な設定のまま、この二人を安定した軸として動いていけるのです。

網走監獄襲撃編が凄い理由

網走監獄襲撃編は、それまで長い時間をかけて各人物に設定されてきたものが、集結する場所です。

何を知っているか、
何を考えているか、
何者なのか、
どんな嘘をついているか、
といった要素が、この映画で一箇所に集まります。

土方は土方で、杉元たちを出し抜こうとしています。
キロランケはキロランケで、のっぺら坊との関係があり、最終的には自分の意を受けた尾形にのっぺら坊を撃たせてしまいます。

心理戦、情報戦、混戦の中で、
誰が本物ののっぺら坊で、
誰が何を知っていて、
誰が生かしておく必要があるのか、
誰に何を知られてはいけないのか、
誰が誰を利用しているのか。
そういう錯綜した物語が、銃撃戦の裏側でずっと動いているのです。

だからこそ、誰が誰を撃った、という形で物語は終わりません。
その人物が撃たれることで誰が何を知る可能性が消えたのか、
それによってこの混戦がどう変わるのか、
というところまで、見ている側の考えが切り替わっていくのです。

これが『ゴールデンカムイ』の面白さだと思います。

しかも、アシㇼパの父であるウイルクが、ここで殺されてしまいます。

ウイルクは、それまでの物語の答えをすべて持っている人物です。
この人に聞けば全部終わるはずだった、答え合わせの場所だったはずなのです。
ところが、ここでウイルクが亡くなることによって、以降は誰もウイルクから答えを得られなくなります。

これによって、物語が終わるはずだったところが、逆にもっと深くなっていきます。

金塊の在処を本人に聞けばよかったのに、これからはその人の意志をどう読むか、という話に切り替わるのです。
この転換も、非常にうまいと思います。

加えて、それまで協力的だった人間関係が、一気に味方の中に敵がいる状態になります。
逆に、鶴見という敵の中に、杉元という味方がいる形にもなります。
それまでの人間関係が、様変わりするのです。
しかも、物語の中心で安定していた杉元とアシㇼパが、分断されてしまいます。

つまり網走監獄は、一つのクライマックスであるとともに、全員がバラバラになる物語の、新たな次の出発点になっているのです。

だからこの映画では、それまで貼られてきた伏線が回収しきれません。
回収しきれないというより、あえて回収しきっていないのです。
むしろ今までの伏線同士を一部だけ露出させて、ぶつけて、新しい謎を増やしていきます。

その伏線の衝突が、この網走監獄襲撃編で起きています。
ここまでの群像劇はなかなかありません。
それが、この映画の凄いところです。

総評

『ゴールデンカムイ 網走監獄襲撃編』の評価は以下のとおり。

★★★☆☆ 3つ星!まずまずです。

1つの作品として十分楽しめます。ただ、1つの映画として見たときにどうしても2時間で見せられるものが限られているように思えていて、上記考察も本作品の前後を知っているからこそ楽しめました。その結果、アクションものとしては映画の方が楽しめますが、ゴールデンカムイの良さは原作漫画の方が楽しめるのかもしれません。

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