ヴォルテール「カンディード」

お盆休みにかこつけて、久しぶりにヴォルテールのカンディードを読みました。

啓蒙思想家らしく、神の創造による最善説(パングロスの立場)は冷笑されるわけであります。パングロス自身、絞首刑にされガレー船を漕がされ、、、となり、本気では最善説を信じてはいません。

しかし、ヴォルテール自身は、冷笑しつつも最善説に魅力を感じているように思えます。自然に近い南米の部族から、さらにはヨーロッパ人のいないエルドラドに至れば、最善説は実現されているのであります。むろん、non suchなものに過ぎないと言えばその通りでありましょう。しかし、最善説の実現を夢見ているともいえるのです。

あくまでヴォルテールは、旧弊によって最善の秩序の実現が邪魔をされているという立場であったのだろうとは思います。理神論的な意味での超越に憧憬は抱きつつも、自然を喪失した人間社会ではそれは実現できない(自然への憧憬はルソー的かもしれません)ことも認める。

最後の自分の庭を耕すというのは、超越を実現できない現実社会では、せいぜい旧弊に折り合いをつけ、改善を図っていくしかないというプラグマティックな立場であろうと思います。

最善説は、言わずもがなライプニッツに由来します。ライプニッツ流の最善説は、充足理由律に基づく理論的なものにすぎませんが、ヴォルテールはより実践的にそれが実現可能かをいう視点から、それに部分的な批判を加えます。ヴォルテールの実践家らしい部分を示すものでしょう。

追記
やはりこれを扱いきるだけの教養は私にはないので、精進しなければいけません。弁神論・自由意志論などの古典的な論点につき、もう少し理解しなければ。

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