【古事記の国生み神話】イザナギ・イザナミが足をかけた「天の浮橋」この着想から見えるものとは
もしも地上から天へ橋がかかっていたら。
子供だったら一度はそのような夢の世界を空想するものだ。
雨上がりの空にかかる鮮やかな虹。
北辺の空を美しく染める幻想的なオーロラ。
大人になってからも、このような天空に見られる神秘的な現象は私たちの心を惹きつけてやまない。
天の存在が地上に棲む人間にとって憧れの対象だからこそ生まれる感情。
もしも地上から天へとかかる橋があり、自由に行き来できたら。
このはかない夢の灯りは、人間の歴史が続く限り消えないものだろう。
現代人にとっては空想して楽しむものに過ぎない「天に架かる橋」も、まだ科学技術の概念すらなかった古代人にとってそれは地上を明るく照らすほどの大きな光だった。
私は古事記を読むとそんな想像をしてしまう。
古事記では、イザナギノミコト・イザナミノミコトの二神が天つ神からの委任で、潮水が漂うだけの国土を整えて神々が住めるような新しい国に生まれ変わらせる話が出てくる。
有名な「国生み神話」である。
二柱の神は天つ神から授かった神聖な矛を使って国土を固めるのだが、その作業の足場となるのが、天地の間に架かる梯子のような「天の浮橋」である。
天の浮橋から矛を地上に突き立て、引き上げると、矛先から潮水が滴り落ち、積もり重なってできた「オノゴロ島」を、最初に生まれた島として古事記は伝える。
その後、二神は地上に降りて「神生みの儀式」を行うのだが、天から地上にへの移動ではこの天の浮橋が使われたのだろうという想像も働く。
この、天から地に架けられた天の浮橋が、何かとてもいい、と感じるのだ。
天上の神様なんだから、羽を広げて空を舞いながら優雅に地上に降り立つ、でもいいはず。
そうじゃなく、橋をかけて移動している。
超越的な力ではなく、人間的な手続きをとっている。
派手さや偉大さはないけど、謙虚で、つつましく、作法をわきまえている。
いかにも日本の神様らしい奥ゆかしさ。
同時に私はこうも感じる。
ここに古代人の天への憧れが反映されている、と。
天に昇ってみたい。
天と地上を結ぶ架け橋があればいい。
そんな素朴な願いの写し鏡が、国生み神話にさりげなく登場する「天の浮橋」ではないかと。
天の存在が今よりはるかに大きく、生活に密着し、心に肉薄するものだった古代人にとって、その思いは憧れだけでは済まされず切実なものでもあった。
私は古事記の楽しみ方の一つとして、このように何気ない記述から古代人の考えや宗教観に思いを馳せ、あれこれ想像するのが大好きだ。
