第1章 すべてはガリラヤから始まった
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『イエスという人の物語』
ホセ・イグナシオ・ロペス・ビヒル、マリア・ロペス・ビヒル 著
聖書を読んでピンとこなかった人やイエスの人間臭さに触れたい人に向けて語られたイエス・キリストの物語。南米で大ブームになったラジオドラマの邦訳(祐川郁生 訳)を音声で聴くことができます。
この物語はイエスの友人であるヨハネ(『ヨハネによる福音書』を記した)の視点で語られる。ヨハネたちはイエスの人生を目撃した証人であり、それを後世に告げ知らせた「使徒」と呼ばれるイエスの弟子たち(この物語では「仲間」と呼ばれる)である。
ナザレという村で
ナザレ(ヘブライ語で「花」を意味する)の村は旧約聖書では一度も触れられておらず、イスラエルの中でも無名の地であった。ガリラヤ地方の小さな村で、丘の傾斜を利用して住むおよそ20戸の家庭があった。彼らの財産と言えるものは、わずか一組の藁でできたゴザと穀物を入れる土の器と数頭の家畜であった。ガリラヤ人(北方)は、ユダヤ(南方)のイスラエル人から、律法と伝統を重んじない喧嘩っ早い者と思われていたし、ガリラヤ地方はローマ人に対して抵抗するゲリラの隠れ家でもあった。ナザレには何も誇るものがなく、メシア(救い主)の出身地には相応しくなかった。
現在のナザレは、ガリラヤの中心地である。約3万人が居住しており、そのほとんどがアラブ系のキリスト教徒である。中心には、1964年に教皇パウロ6世によって造られた「お告げの大聖堂」がある。その内部には、イエスの母マリアの家族が住んでいた家の壁が保存されている。二世紀の碑文「神はあなたを救う、マリア」がそこで発見された。マリアたちが当時使っていた井戸は今も残されており、その水源にはギリシア正教の教会が建っている。当時の墓地の跡も発見されていて、イエスの祖先たちが葬られている。

イエスの母マリア
マリアはイエスが福音を告げ知らせ始めた時、およそ45歳だった。当時の田舎の女性たちと同様、重労働で手の皮は硬くなっていただろうし、質素な身なりをしていて、読み書きもできなかっただろうが、神に全幅の信頼を置き、人生の悲喜交々を体験して多くの知恵を身につけていただろう。マリアがこの時すでに寡婦であったことは、古くからの伝承によっているが、そのせいか息子を頼りにすると同時に用心深く臆病になっていたことをこの物語の著者は想像している。当時の常識では、イエスのように30歳を過ぎて独身であることは考えられなかったし、生涯独身を通すことなど価値を置かれなかった。母親なら誰しもそうであるように、息子が危険な政治思想に染まるのを心配していたのも当然である。
マリアの友人スサンナは、ルカ福音書の中でイエスと宣教活動を共にする女性の一人として登場する(8章3節)。小さな村の人間関係は、家族同様の強い絆で結ばれており、お互いの生活や抱えている問題を共有していた。
イエスの実像
イエスはこの村の中で、養父ヨセフ同様、大工であったと伝統的に語られてきた。貧しく質朴であったのは間違いないだろうが、実際には「便利屋」に近い職業で、木製の道具を作ったり戸を取り付けたり、季節によっては種まきや刈り入れも行う、言わば非正規の日雇い労働者と言えるだろう。イエスの言語的特徴からセム族を起源とし、褐色の肌でアラブ系の顔立ちが想像される。腹を空かせ額に汗する労働者であったイエスは、現代の我々と何ら変わることなく、友人と泣いたり笑ったり、疲労困憊したりしながら、自分の労力をどこに使うべきか探し求め、自分の運命に疑いを持つことさえあった。洗礼者ヨハネの呼びかけは、イエスにとって人生の決断を迫るものであった。人間なら誰もが感じるように、イエスもまた徐々に自分の召命を見出していった。それは神と兄弟姉妹のために全てを捧げ、自らの生きる責務の理解を深めながら、神の望みを果たすことだった。
※本文は、「イエスという人の物語」章末の解説に依っています
