世界一TOEICを受けている日本人の点数が低い訳。そして、スコアをどこまで追いかけるべきか?
世界各国のTOEICの受験者数を見てみると、1番は日本で、2番は韓国だそうだ(公式な数字は発表されていないので、色んなデータからの推計)。
日本200万人ぐらい、韓国は150から200万人ぐらいとされているので、人口あたりの受験者で言うと韓国が1位となる。
そして、この2か国の合計が全世界の受験者の半分かそれ以上になると推計されている。
そんなTOEICを世界一受けている日本人だが、点数の方はというと国別平均点はかなり低めで、概ね560点前後だ。
「日本人は英語が話せない。」というのは日本人の間ではある程度共通認識だと言えるだろう。
さらに、外国人もそういう印象を持つ人が多いと思う。
英語の能力を測る一つの基準である(あくまで一つの基準)TOEICの平均点を見ても、それを証明する結果が出ている。
一方、隣国の韓国は約680点、欧州のドイツやフランス、さらにはアジア諸国のフィリピンなどでは700〜800点台に達することもある。
この数値だけを切り取られると、私たちはつい「日本人の英語力はやっぱり海外に比べて低いんだ」と自虐的な結論に飛びつきがちだ。
しかし、各国の受験者数、平均点、受験の動機などの国別のデータを見てみると、単純に「日本人は英語ができないから、TOEICの点数も低い。」とは言えなくなる。
1. 「誰が受けているか」という母集団のからくり
まず押さえておきたい最大のポイントは、国ごとの「受検者の属性」の違いだ。
欧州諸国や東南アジアの多くの国において、TOEICは「一部の精鋭」が受けるテストである。
例えば、外資系企業への就職を強く目指している人や、海外留学・国際的なビジネススクールへの進学を控えている層など、「もともと英語が得意、あるいは明確な必要性に迫られている人たち」がピンポイントで受験する。
必然的に、分母(受験者)のレベルが高くなるため、平均点は700点や800点へと引き上げられる。
対して、日本はどうか?
日本では、企業の新人研修で「全員受験」が義務付けられていたり、大学のクラス分けや単位認定のために「全員一斉にマークシートを塗る」という光景が日常茶飯事だ。
つまり、本人の英語学習への興味関心や習熟度に関わらず、「初心者から上級者まで、あらゆるグラデーションの人々が網羅的に受験している(あるいは、させられている)」のが日本の特徴である。
分母の幅がここまで広ければ、全体の平均点が中央値(500〜600点付近)に引っ張られるのは、まあ当然のこととも言える。
2. 隣国・韓国との決定的な差――「足切り」という社会的インセンティブ
「でも、韓国も日本と同じか、それ以上に大衆的にTOEICが普及しているのに、平均点が120点以上高いのはなぜ?」
そんな疑問が浮かぶかもしれない。年間150万人以上が受験する韓国は、日本と並ぶ世界最大級のTOEIC市場だ。しかし、平均点には大きな開きがある。
この差を生んでいるのは、「その点数を取れなかった時の社会的ペナルティの大きさ」だ。
韓国の就職市場は、苛烈なスペック競争の中に存在する。
大手財閥系企業や公務員・公社試験の書類選考において、「TOEIC 850点」や「900点」といった数字が、事実上の「スタートライン(足切り線)」として厳格に運用されている。
点数が届かなければ、エントリーシートすら読んでもらえない。
そのため、学生たちは専門の塾(学院)に通い、何回も受け直して徹底的にスコアを「削り出し」にいく。
一方、日本の社会はどうだろうか。
日本の採用や昇進においてもTOEICは尊重されるが、「600点〜700点あれば十分評価される」「スコアが低くても人物評価や他のポテンシャルでカバーできる」という余白が残されている。
良くも悪くも、韓国ほどの切迫した「社会的な足切り」が存在しないため、限界までスコアを追い込む強烈なモチベーションが働きにくい環境にあるのだ。
3. 言語的距離と「情報処理スピード」の壁
環境面だけでなく、言語そのものの構造的なハンデも無視できない。
日本語と英語は、文法構造(SOVとSVO)も違えば、音節の仕組みも対極に位置する「世界で最も離れた言語ペア」の一つだ。
ドイツ語やフランス語を母語とする欧州の人々が英語を学ぶコストと、日本語話者が英語を学ぶコストには、元から大きな差が存在する。
さらに、日本の従来の英語教育は「文法を正しく理解し、綺麗に訳す」という精読に重きを置かれてきた。
しかし、TOEICというテストが求めるのは「圧倒的なスピードでの情報処理能力」だ。大量の英文を左から右へ、読み返す暇もなく一気に読み解く。
このテスト特有の「情報処理の割り切り」に慣れていない受験者が多いことも、タイムオーバーを引き起こし、スコアが伸び悩む要因となっている。
数字の「外側」にある自分の価値を見つめる
こうして紐解いていくと、日本のTOEIC平均点は確かに低いが、「560点という数字が、そのまま日本人の英語能力の低さを証明しているのではない」と言えるだろう。
「英語学習者からプロフェッショナルまで、社会全体が手軽に挑戦できる環境である」ことや、「点数に追いつめられすぎない社会構造の反映」であることが見えてくる。
もし今、自分のTOEICのスコアを見て「世界の平均と比べて自分は…」と落ち込んだり、あるいは「もっと点数を上げなければ」と焦りを感じているなら、一度その数字から少し距離を置くのも悪くない。
TOEICのスコアは、あくまで「限られた形式の中で、どれだけ素早く正確に情報を処理できたか」を示す一つの指標に過ぎない。
会社や学校で〇〇点以上が必要だという人でなければ、TOEICの点数をそこまで追いかける必要もないのではないだろうか。

