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投稿を迷った理由について──不可逆性というテーマを地震の直後に扱うこと


7月28日の夜に、あるエッセイを投稿する予定だった。


タイトルは「不可逆性は究極の優しさ──『戻る機能』が当たり前の世界で、『戻るボタン』がない現実を生きる」。

人生の不可逆性について、自分なりに長い時間をかけて考えたことをまとめた文章だ。



けれど、その日の夜に熊本で大きな地震があった。

ニュースを見た瞬間、投稿を取りやめようと思った。エッセイの内容は地震とはまったく関係がない。ただ、「不可逆性」という言葉が、どうしても災害と響き合ってしまう。そして、よりによって地震があったこのタイミングで出すことによって、誰かの心をざわつかせてしまうかもしれない。そう思うと、どうしても踏み切れなかった。


急遽、別の内容を投稿することにした。



そして、正直に言えば、今から投稿することに迷いもある。



ただ、この数日間、迷いながらもずっと考えていた。


そして、

「壊れてしまうからこそ、大切にできるものがある」

「ずっと続かないからこそ、愛せる瞬間が愛おしい」

「戻らないからこそ、今この瞬間を大切にしていい」

という話は、今の状況だからこそ、読者の皆様と一緒に考えられることなのではないか、と思った。


もちろん、地震と結びつける意図はまったくない。ただ、現実の不可逆性を前にしたとき、自分の身の回りの大切な人やものを思い返すきっかけになるのなら、その時間はきっと無駄ではないと思った。


そして、まわりまわって、

「防災について少し考えてみよう」
「支援できることがあるか調べてみよう」

そんな行動につながることがあれば、書き手としてこれ以上嬉しいことはない。




先ほど挙げたエッセイ(この後に投稿するエッセイ)は、災害とは関係のない、個人的な思索の文章です。

そして、このテーマを扱うにあたり、できる限り慎重に言葉を選んだつもりです。それでも、さまざまな受け取り方があり、場合によっては心に揺れが生まれる可能性があることは理解しているつもりです。


今の状況の中で、このテーマに触れることが難しい方もいるかもしれません。その場合は、どうか無理をせず読み飛ばしていただければと思います。



投稿するかどうか悩んだこと、そしてその迷いを経て投稿することにした理由を、まずはこうして言葉に残しておきたいと思います。


最後に、このエッセイが、誰かの「大切なものを思い返す時間」につながれば嬉しいです。



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