眩しすぎる太陽の下で、「ライ麦畑のつかまえ役」として生きる──読書感想文『ライ麦畑でつかまえて』
海にライフセーバーがいるのなら、夏期講習にもライフセーバーが必要だと思う。
真夏の教室には、熱気とは別の焦りや不安がいつも漂っている。問題集をめくる音の裏側で、誰かが静かに溺れている気配がする。
海で溺れた人を助ける人がいるのなら、勉強や進路で溺れかけている子にも、誰かが必要だろう。そんなことを考えていると、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』の一節がふっと浮かんだ。
「ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ」
初めて読んだのは中学1年生の夏休み。国語の先生に勧められて手に取ったものの、当時の私にはさっぱり意味がわからなかった。
読書の面白さに気づいた高校1年生の頃、ふと気になってもう一度読み返した。そのとき、ようやくその輪郭が見えたような気がした。こんな人がいたら、どれほど助かるだろう──崖から突き落とされそうだった当時の私には、このセリフが真夏の太陽よりも眩しく思えた。
そして、成人してずいぶん経った今になって、その言葉が胸の奥で静かに響く。
私はどう頑張っても、日本の一般的な「社会のレール」には乗れなかったし、何度も崖から落ちかけた。今も、道に迷い、悩み、立ち止まる──そんな毎日だ。
それでもなんとか生きてこられたのは、崖から落ちそうな瞬間に手を差し伸べてくれた人がいたからだ。
私自身、今もまだ崖のふちを歩いているようなところがある。不安定で、迷っていて、ときどき足を滑らせそうになる。
それでも、そんな自分を抱えたままでも、誰かが落ちそうになっているのを見つけたら、そっと手を差し伸べられる人でありたい。
自分が揺れているからこそ、揺れている他人に気づける瞬間がある。自分が落ちかけた経験があるからこそ、落ちかけている誰かの気配を感じ取れる。完全に安定した場所からではなく、同じ崖のふちに立っているからこそ見える景色があるのだと思う。
だからこそ、私自身も誰かの「つかまえ役」でありたい。夏期講習の片隅でも、社会のどこかでも、崖から落ちそうな人に気づき、そっと手を伸ばせる人間でありたい。
崖のふちに立ち続けることは、決して楽ではない。「今は誰かを助ける余裕なんてない」「自分が落ちないように踏ん張るだけで精一杯」という日もある。「誰かに支えてもらいたい」と弱音を吐きたくなることもある。
そもそも、「自分自身が『ライ麦畑のつかまえ役』にふさわしいのか」と思い、自信が揺らぐこともある。それだけでなく、「本心からそうありたいと思っているのか」と、自分自身の考えを疑ってしまう瞬間すらある。
それでも、不安や孤独、助けられた経験があるからこそ、誰かの揺れを見逃さないアンテナになれるはずだ。だからこそ私は、自分自身が落ちないように踏ん張りながら、横の人にも手を伸ばす努力を続けたい。
そこに立つことでしか見えない景色がある。
そこに立つことでしか届かない手がある。
私はその景色を知ってしまったから、もう離れられないのかもしれない。そして、誰かのために差し伸べた手が、巡り巡って自分自身を助けてくれることにもつながるのだ。
「馬鹿げてる」と言う人もいるかもしれない。もしそう言われたら、きっと私はホールデンと同様、こう答えるだろう。
「馬鹿げてることは知ってるよ。でも、ほんとになりたいものといったら、それしかないね。馬鹿げてることは知ってるけどさ」。
私は完璧な正義のヒーローになりたいわけではない。
ただ、自分を守ることを忘れずに、それでも誰かの手を取れる人でありたい──そのささやかな願いが、今の私を支えている。
誰かが私の手をつかんでくれたように、いつか私の差し出した手が、誰かの未来をほんの少し明るくしてくれると嬉しい。
そんな想いを胸に、私は今日も、眩しすぎる太陽の下で、静かに崖のふちに立ち続ける。
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