「知らないでいる時間」を守るということ──メンデルの法則を教えてくれた先生の優しさ
中学校の先生は、誰も「文系科目は役に立たない」なんて直接は言わなかった。けれど、私は大人たちの言動の端々から、そんな空気を感じ取っていた。「役に立つかどうか」で価値を測る、そんな能力主義を重んじる雰囲気は、じわじわと心を蝕む毒のようだった。
幼い頃から何でもかんでも「ほんとうに、そうなのか」と立ち止まって考える癖があった私は、一部の先生から反感を買っていた。そういうこともあって、中学校の先生の発言を真正面から受け取ることは、当時の私にとっては難しかった。特に、理系科目の先生とは折り合いが悪かった。
そんな中で、生物の先生だけは少し違っていた。メンデルの法則を習ったとき、先生はこう言った。
「優性・劣性という言葉を用いますが、これは決して『優性が優れている・劣性が劣っている』という意味ではありません」
そのとき私は、「きっと、『記号』として分かりやすく説明するための言葉なんだろうな。ふーん」と思っただけだった。
後に、その説明は単なる用語の説明ではなかったのだと気がついた。優生学やホロコースト、優生保護法――そうした歴史の重さをあえて語らなかったのは、中学生だった私たちの心を守るための「優しさ」だったのだろう。
正直に言うと、中学校の生物の授業は、その話以外何も覚えていない。けれど、大人になって先生の配慮に気づいた私は、「あの先生、飄々としているように見えて、実は深く考えてくれていたんだな」と思った。
きっと先生は、優生学がどのように生まれ、誤用され、その結果どれほどの人が傷ついたかを知っていたのだろう。そのうえで、生徒たちにどこまで話すか、どのように伝えるかを真剣に考えてくれたに違いない。
だから、私自身がただ単に「ふーん」と受け取れたことは、もしかすると先生の思惑通りだったのかもしれない。さすが、理系の先生だ。計算が完璧すぎる。
子どもに歴史の残酷さをそのままぶつけるのは、時に暴力になる。その一方で、何も言わないのも無責任になる。先生は、そのあいだの絶妙なラインを選んでくれたのだろう。必要なことだけを、必要な形で、必要なタイミングで。「すべてを教えない・説明しすぎない」という優しさが、そこには確かにあった。
先生は「優性=優れている、ではない」という「核」だけを、さりげなく、でも丁寧に置いてくれた。それは、私たち生徒が大人になったときに、自分で気づき、考えられるようになるための、大切な「種」だったのだろう。
いつもの退屈な授業の空気の中に、あの言葉がぽつんと置かれていた──その「さりげなさ」が、きっと当時の私にはちょうどよかったのだと思う。だからこそ、大人になった私の中で芽を出し、花開き、私自身の大切な「軸」となったにちがいない。
その先生にはもう会えない。でも、もし先生と話す機会があるのなら、ぜひお礼を言いたい。「いつも通りの、単調で退屈な授業の中に、あの大切な言葉をさりげなく置いてくれたおかげで、私の人生は大きく変わりました」と。きっと先生は「褒めてるのか、けなしてるのか、どっちやねん」と吐き捨てながらも、静かにくしゃっと微笑んでくれるだろう。「あの時の説明は間違っていなかった」そう感じてくれると嬉しい。
用語の説明を深刻にならずに自然に受け取れたこと。そして、大人になってその意味を自分で見つけられたこと。それは、先生の教育が私の中でちゃんと生きている証なのかもしれない。
生物の先生がしてくれたように、子どもたちの「知らないでいられる時間」を守りながら、必要なときに必要なだけの真実を伝えられる大人でありたい。
教育とは、知識を押し込むことではなく、子どもの心の成長を信じて「待つ」ことでもあるのだ。
【補足】
このエッセイでは、旧来の用語である「優性・劣性」をそのまま用いています。読者の皆様への配慮として、現在の用語の扱いについて補足を記します。
私が中学生だった頃、理科の教科書には「優性・劣性」と記載されていました。しかし、上のエッセイでも述べたように、「優性・劣性」という言葉は誤解や偏見につながりかねません。
「dominant / recessive」の訳語として「優性・劣性」が用いられてきたとはいえ、たとえば「【劣性】遺伝病」の当事者の方にとっては、言葉のもつ否定的なイメージゆえに、不安を覚える人も少なくないでしょう。
このような点から、2017年9月、日本遺伝学会は遺伝学用語の訳語の改訂を提案しました。そこでは、「優性・劣性」という旧来の訳語を、より中立的な「顕性・潜性」という言葉に変更されています。
それに伴い、2021年度から、全ての中学校の教科書で、従来の「優性・劣性」との表記が「顕性・潜性」と改訂されました。なお、2021年度より前の教科書においても、「優性・劣性」という表記については、注意書きが添えられているそうです。
もっとも、「Aaの遺伝子をもつ場合、遺伝子Aの形質しか現れず、遺伝子aの形質は隠れたままである」という点において、「顕性・潜性」という訳語は的確な訳語と言えるでしょう。それと同時に、「遺伝」という大変センシティブな分野において、中立かつ誰も傷つけない用語・訳語を用いるということは大切だと、あらためて考えさせられました。
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