円安の影響で「1000万ドルの夜景」の評価額がアップ⁉──夜景と為替について真剣に考えた大人の自由研究
はじめに 円安で「1000万ドルの夜景」の評価額がアップ⁉
「1000万ドルの夜景」という観光地のキャッチコピーを、ここまで真剣に扱ったことがあっただろうか。
普通はない。だが、どうでもいいことを真剣に考えると、世界は思いがけず豊かになる。
フランスの哲学者・パスカルは「人間は考える葦である」と言った。つまり、コスパだの、タイパだの、生産性だの、世知辛い世の中だからこそ、人間はときに「どうでもいいことを真剣に考える」という贅沢をしてもいいはずだ。いや、させてくれ!
第一章 「円安で夜景の価値が爆上がりする」という、誰も得しない発見
きっかけは、テレビで紹介された「六甲山から眺める1000万ドルの夜景」。この「ドル建ての夜景」を円換算したら、円安の今は価値が跳ね上がっているのではないか――そんな冗談から始まった。
1ドル=100円なら、10億円。
1ドル=150円なら、15億円。
つまり、為替が50円動くだけで、夜景の評価額は5億円も変わる計算になる。
評価額が5億円も増える。
もちろん夜景そのものは1ミリも変わらないのに、だ。
きっと入場料は変わらないのに、見ている夜景の「評価額」だけが上がる。この奇妙なプレミア感が妙に楽しい。
観光地が「円安の今、夜景の価値が爆上がりしています!」と言い出したら、もうそれはセールのノリだ。「今なら夜景が5億円分お得!」と言われても、何がお得なのかは一切わからない。夜景が投資商品みたいに扱われる世界。為替レート連動型の観光資源。くだらないけれど、妙に筋が通っている。そして、わけがわからないままテンションが上がるのが人間の面白いところだ。
第二章 「円高になると夜景の価値が下がる」という、どうでもいい悲劇
しかし、円高になると夜景の価値は下がる。
15億円だった夜景が10億円になる。
夜景は何も悪いことをしていないのに、勝手に評価額が下がる。これはどうしても気分が下がる。しかも、きっと入場料は据え置きだろう。だったら、なおさらテンションはダダ下がりだ。
「価値が下がる=庶民的で、気軽に楽しみやすい夜景」とリフレーミングしてみたが、どう考えても無理がある。夜景に「庶民派」のキャラ付けをしても、評価額が下がった事実は消えない。
そこで、もっと合理的で、もっと楽しい解決策を考えた。
第三章 「円高のときは海外の夜景を見に行けばいい」という、妙に筋の通った結論
円高のときは海外旅行が安くなる。そして「海外の1000万ドルの夜景」は、円高の日本人にとって価値が爆上がりする。だったら、円高のときは海外の夜景を見に行けばいい。この発想は、もはや令和のマリー・アントワネットである。
「国内の夜景が値下がりした?なら海外の夜景を見に行けばいいじゃない」
ただし、マリー・アントワネットは実際には「パンがなければお菓子を食べればいい」とは言っていない。歴史的には誤解なのに、こういうときだけ妙にしっくりくるのが面白い。
そして、
円安 → 国内の夜景の価値が爆上がり
円高 → 海外の夜景の価値が爆上がり
という、為替の動きに合わせて「どこかの夜景が必ず高級化する世界」が完成する。
観光地がこう言い出したら完璧だ。
円安の今は、国内の夜景がプレミア化しています!
円高の今は、海外の夜景が超お得です!
為替に合わせて夜景を楽しみましょう!
為替がどう動いても、気分が下がらない。むしろどちらでも楽しい。為替変動を「夜景のセール情報」として楽しむという、誰も損しない世界観だ。
第四章 そもそも、なぜ日本の夜景なのに「1000万ドル」なのか?
もちろん、「1000万ドルの夜景」という表現はあくまでも慣用句であり、実際にドルで取引されているわけではない。だが、慣用句であるがゆえに、逆に為替リスクの存在が妙に際立ってしまう。
日本の夜景なのに、なぜかドル建て。円でいい。いや、むしろ円であるべきだ。「1000万ドルの夜景」って、なぜ夜景に為替リスクを背負わせるのか。
夜景がドル建てで評価されている国、日本。
いや、どう考えてもおかしすぎる。なぜ日本の夜景が世界市場に依存しなければならないのか。円安で庶民の生活が苦しくなっているのに、夜景までリスクを背負っているなんて、どうかしている。地産地消って大事なはずだ。なぜドルで売る。日本の夜景は、円で売れ。
そして、誰が最初に「この夜景は1000万ドルです」と言い出したのか。おそらく、夜景の価値をドル建てしたその人は、為替リスクを理解していなかったに違いない。夜景の価値が為替で上下する世界において、観光地はヘッジ取引をしているのか。
そうすると、夜景を見に行くという行為は、実は投資行動なのだろうか。ここまで考えると、もはや夜景を見に行くこと自体が金融商品である。「今夜の夜景、円安で評価額が上昇しています。ご購入はお早めに」と言われても、何を購入するのかはよくわからない。光なのか、景色なのか、気分なのか、はたまた「夜景という概念」そのものなのか。
為替の変動に合わせて夜景の価値が上下する世界は、もはや経済学でも観光学でもなく、哲学の領域に突入しているのかもしれない。「価値とは何か」「美しさとは何か」「夜景とは何か」という問いが、星の数ほど押し寄せてくる。夜景の話に存在論が出てくるなんて、ハイデガーもびっくりしていることだろう。
第五章 チェーホフの言葉が、為替の話にまで妙に響いてしまう不思議
ロシアの文豪・チェーホフは「悪がどんなに大きかろうと、夜はやはり静かで美しい」と書いた。もちろん為替の話ではない。だが、為替が乱高下しようと、夜景そのものは変わらず静かで美しい。
評価額が爆上がりしようが、バーゲンになろうが、夜景は夜景だ。その静けさと美しさは、為替の都合とは無関係に、いつもそこにある。
この「価値と本質のズレ」がまた面白い。人間は数字に振り回されるが、夜景にとってはそんな俗っぽい数字なんかどうでもいいのだ。
おわりに どうでもいいことを真剣に語るという、最高の贅沢
「夜景と為替」という、誰も深掘りしないテーマを本気で語ると、そこには妙に整合性のある世界が生まれる。
円安でも円高でも、どちらでも楽しい。夜景の価値は上下するけれど、楽しみ方は増えていく。どうでもいいことを真剣に扱うと、世界はちょっとだけ面白くなる。
そしてその面白さは、為替レートよりずっと安定している。むしろ、世界中の1000万ドルの夜景よりも価値があるかもしれない。
ただ、誰かと一緒だとより豊かなひと時となるのは、夜景と同じだろう。為替がどう動こうと、誰かと眺める夜景の価値は変わらない。そんな時間こそ、どんな通貨よりも強い価値を持っている。
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