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指を切った。仕事を切る覚悟ができた。

幼い頃から、私は手をケガしないように生きてきた。私の手は楽器を弾くためにあるようなものなので、いつも細心の注意を払ってきた。


指先を紙で切るだけでも練習に支障が出る。だから、包丁を使う料理は楽器の練習が終わった夜にまとめてするし、そもそも刃物を扱う機会そのものを減らしてきた。

転んで手をケガしないように、時間に余裕をもって行動するのは当たり前。それだけでなく、転ぶなら最悪顔から突っ込む覚悟もできている。顔に一生治らない傷が残ったとしても、手が無事なら一生楽器を弾けるからだ。

寒さから手を守るために、冬用の手袋は一年のうち半分以上着用する。手の油分が不足すると練習に影響があるため、手の傷だけでなくコンディションにも気を配ってきた。


こうして私は、ずっと自分の手を守ってきた。そのおかげで、これまで大きなアクシデントは一度もなかった。

けれど、仕事のストレスは、そんな私の心がけをあっさり侵食した。忙しさに追われ、心は少しずつ、でもたしかにすり減っていった。

「大丈夫」
「まだいける」
「もう少しだけ」

そう自分に言い聞かせながら、毎日をなんとかやり過ごしていた。



ある日、ハサミを持った手がふっと緩んで、刃先が指を裂いた。  

シュパンッ。

その瞬間、痛みよりも先に、胸の奥で何かが崩れる音がした。  


――ああ、ここまで来てしまったんだ。楽器を弾くために守り続けてきた手を、仕事のストレスで傷つけてしまうなんて。  


その事実が、私の中で何かを決定的にした。  


この仕事を続ける必要は、もうない。

その瞬間、仕事を切る覚悟ができた。



指にはまだ傷が残っている。細く弧を描いたその形は、三日月みたいだ。新月へ向かうのか、それとも満ちていくのかは分からない。 

仕事を辞めるのは怖い。覚悟ができたとはいえ、いつ辞めるのか、どのように辞めるのか、懸案事項は山ほどある。気持ちは一日の中でも揺れ動く。


そんなとき、この三日月の傷は、私に問いかけてくる。  

「何を守りたいのか」
「自分自身がどうありたいのか」


痛みはもうほとんどない。けれど、この小さな傷が示してくれた方向だけは、確かに見えている。しばらくはこの三日月を眺めながら、自分の身の振り方を静かに固めていこうと思う。  



――もう「削られる場所」には戻らない。


手を守ることは、結局のところ、自分を守ることなのだと、あの小さな傷が教えてくれた。



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