乗務員の推し事情

 乗務員の女性職員の比率は圧倒的に少ない。
 汐海が入社した代もそうだったし、前後の代には女性職員が一人もいない年もあった。
 乗務員だけではない。駅には駅員がいるし、売店の店員もいる。
 顔を合わせる職種は多いが、それでも女性職員の数は決して多くなかった。
 だからなのか、休憩室で交わされる恋愛話や憧れの人の話は、時折妙な熱気を帯びることがあった。
 それは、汐海や市川が乗務員になって二年ほど経った頃のことだった。

「だからさ、あの人、車内巡回の時の歩き方まで格好いいんだって!」
 休憩室の一角から、楽しそうな笑い声が聞こえていた。市川美咲を含む、女性職員たちが輪になって盛り上がっている。年齢もばらばらだったが、話題は一つだった。
 安曇車掌。
 その頃の職場で、女性人気が圧倒的だった男である。
 真面目。
 優しい。
 仕事ができる。
 後輩の面倒見も良い。
 それでいて必要な時はきちんと叱る。
 しかも見た目も悪くない!
 人気が出ない方がおかしい。
「でも安曇さん、優しいだけじゃないよね」と先輩女性職員が言った。
「分かる。そこがいいんですよ」後輩女性が同意するのに、市川も頷いていた。
「新人の頃、一回だけ注意されたことあるんですけど、怖いっていうより納得しちゃったんですよね」
「そうそう!」
「それ!」
 女性陣が一斉にうなずいた。

 向こう側では男子職員たちが小さくなっていた。
「やっぱり安曇さん人気だよなぁ……」
 誰かがため息をつく。
「まあ分かる気はするけどね」
「勝てる気がしない」
「そもそも勝負してないだろ」
 そんな会話が聞こえる。
 彼女がいる者は比較的落ち着いていたが、それでも女子人気の話題は気になるらしい。
 男という生き物は、そういうものだった。
 
 汐海は少し離れた席でお茶を飲んでいた。話は耳に入るが、自分から加わる気はなかった。
 安曇が人気なのは知っているし、むしろ当然だと思っていた。新人時代からずっと見てきた。
 厳しいが理不尽ではない。
 誰かが困っていれば自然に助ける。
 それを恩着せがましく言わない。
 憧れる人間が多いのも理解できた。
 だから、「安曇さんは格好いいからな」と心の中で思うだけだった。
 その頃の汐海は、自分が数年後に安曇と人気を二分する存在になるなど考えたこともなかった。ただ目の前の仕事を覚えることで精一杯だったのである。
 
 そこへ乗務を終えた佐伯が戻ってきた。制帽を脱ぎながら休憩室を見渡し、
「なんか女子が楽しそうに盛り上がってるじゃん」と言った。
「ご苦労様」
「安曇さん人気がすごいって実感してるところ」
「安曇さんかぁ」
 佐伯は笑った。
「そりゃ人気あるだろうな」
 男子側も妙に納得した空気になる。
 安曇を嫌う人間がほとんどいない。それがまた厄介だった。欠点を探そうとしても思いつかないのである。
「結婚してるのにな」と誰かが言う。
「関係ないんじゃない?」別の誰かが答える。
「アイドルみたいなもんだろ」その表現に一同が妙に納得した。
 
 やがて時間が来ると、次の乗務のため休憩室は少しずつ空いていく。
 女性陣も席を立ち始めた。市川も同期の女性車掌たちと一緒に立ち上がる。
 その背中を見送りながら、男子職員の一人が言った。
「美咲ちゃんも安曇さん推しなのかな」
「どうだろうな」
「でも楽しそうだったぞ」
 市川美咲は配属された頃から人気があった。
 愛嬌がある。
 仕事も真面目。
 何より可愛い。
 女性の少ない職場では自然と注目される存在だった。
 そんな彼女ですら、休憩室ではただの『安曇ファンの一人』になっていた。
 それほど安曇の人気は圧倒的だった。
 
 その日の夕方。
 ようやく安曇本人が乗務から戻ってきた。当然ながら、本人は昼間の騒ぎなど知らない。
「お疲れ様です」
 と何人かに声を掛けながらロッカー室へ向かう。その姿を見た女性職員たちが少しだけそわそわする。しかし誰も声には出さない。
 本人が知ったら困った顔をするのが分かっていたからだ。安曇は昔からそういう人だった。
 褒められるのが苦手。
 目立つのも苦手。
 ただ仕事をしているだけだと言うだろう。
 だから皆、遠くから見ている。
 憧れたり。
 尊敬したり。
 少しだけ胸をときめかせたり。
 それで十分だった。
 
 その様子を見ていた佐伯が、隣の汐海に小声で言った。
「すごいな、安曇さん」
「そうですね」
「本人、絶対知らないよな」
「知らないでしょうね」
 二人は笑った。
 事務室に戻って来た安曇が、こちらを振り返った。
「何笑ってるんだ?」
「別に」佐伯が即答する。
「怪しいな」
 安曇は首をかしげたが、それ以上は追及しなかった。そして何事もなかったように机の上の書類へ目を通し始める。
 その姿を見ながら、汐海は思った。やっぱり格好いい人だな、と。
 だから人気があるのだろう。
 数年後、自分自身が同じように後輩たちから注目される立場になることなど、この時の汐海はまだ知らなかったのである。

 おわり

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