始発列車に乗る日の事

 一か月の勤務はシフトのため、前月と同じ勤務とは限らない。
 勤務地の統括センターで休憩に入る場合もあるが、時々、遠方の統括センターの宿泊施設を利用する事もあった。
 そんな時の話。

 シフト表を確認して、明日の停まり勤務の準備をしていた汐海は、遠方のターミナル駅の宿泊施設を思い出していた。
 その施設の中の食堂は、ユニークな食材を使った美味しい料理を提供するので、人気があった。汐海も密かに楽しみにしている場所だった。
 遅い時間に食堂に行くとお勧めが売り切れている場合もあるが、他の定食が提供されたりしているので、食いっぱぐれる事は無かった。

 ただし、その統括センターの宿泊施設には一つの罠があった。
 施設には数個の部屋があり全室個室、一晩を泊まるのには困らない設備が整っていた。ただし、2階の角部屋には二つのベッドが並んでいる。
 運が悪いと、その相部屋に割り当てられる。
「今回も、強制相部屋だ~」とぼやく者もあった。
 今回、先に連絡を貰っていたので覚悟は出来ていたが、汐海に割り当てられたのはその部屋だった。メールに記された部屋番号を見ながら、汐海はふっとため息をついた。
 昔は、畳敷きの部屋に布団を敷いて雑魚寝だったことを思えば、マシになった方だと、助役が笑いながら言っていたのを思い出した。
 同室になるのは誰か分からない。
 同じ統括センターの人かもしれないし、ターミナル駅に乗り入れている別の誰かかもしれない。

「まあ、寝るだけだし」と汐海はあまり気にしていなかった。
 食事をして、風呂に入って、メールチェックをしたら寝るだけだ。
 遅刻は出来ない。寝坊は厳禁。
 起きて、身支度を済ませ、始発列車の所まで運転士と一緒に向かう。安全確認をしながらその日一日の始まりを迎える。

 支度を終えた汐海は、早めに休むことにした。

 次の日、午前中からの勤務は順調に終わった。
 午後からは路線が伸びる、車掌業務は遠方まで続く。汐海は車掌業務にいそしんだ。
 電車がホームに滑り込み、扉を開けるといつもの風景はどこでも目に入る。鉄道好きな人は、どこにでもいたし。撮影している人もいる。
 たまに、人が駆け寄って来る事もある。「撮影しても良いですか?」「どうぞ」汐海は答える。周囲と本人が危ない事をしなければ、そのまま許可していた。
 勝手に撮影されるよりは、一声かけてもらった方が気分的にも違うし、相手に対する礼儀は、出来たら持っていてほしかった。

 夕方の乗務が終わると、宿泊施設へと向かった。
 部屋の鍵を受け取り、宿泊者用のロッカーに荷物を置くと、その足で食堂へ向かった。
 食事が終わったらのんびりして風呂に入って休もうと思っていた。
 一夜限りの同居人の名前を聞いて少し安心した。
 安曇さん
 最近見かけていなかった。
 シフトによっては、一か月以上顔を合わさない事も珍しくない。
 最近は、外回り線に乗車する機会も増えていたので、今回の路線に来るのも久しぶりだった。相部屋で会えるのは、まったくの偶然だった。

「食堂で会えるだろうか」
 安曇が、内回り線や特急電車に乗務しているのは知っていたけれど、休憩施設や、所属の統括センターでもほとんど顔を合わせなかったので、ものすごく久しぶりな気がしていた。

 ところが、食堂に安曇の姿はなかった。
 明日は早いので、汐海も安曇も3時起きだ。
 自分は、そこから外回りに向かうが、安曇は別の路線に乗務するんだろう。
 そちらの始発時間も5分しか違わなかった。
 部屋に帰ったら、早々に寝てしまうだろうし、ゆっくり会話している時間は無いだろうな。と汐海は思った。

 今晩のお勧め定食は、ポークチャップと、野菜の煮込みだったので、迷わず、それを頼んだ。トレイを持って座席に移動する。
食事を始めると、ふと相部屋の事が頭をよぎった。今回の部屋の割り当てについては事前に聞かされていた。
 個室の2部屋の空調が壊れたので機械の入れ替えをしているところだった。ついでに扉も付け替えるので、使用できないからだった。
 さすがに、空調は我慢できても、鍵がかからないのはセキュリティー上問題になるので、使用不可にしたようだ。
 今日は、女性の乗務員はいなかったが、こちらの施設は女性も使用していたので、早急な対応が必要だったらしい。

 相部屋は、狭いホテルのようだった。
 荷物を入れる用の小さいロッカーと、制服を掛ける棚。ロッカーの上が簡易的なテーブルになっていて、一応書き物も出来るようになっていた。
 畳に雑魚寝よりはましだろう。

 その時、食堂に見慣れた人影が現れた。
 終電まで勤務する人たちに交じって、安曇が現れた。
 他の、乗務員たちと話をしていたが、汐海に気が付いた安曇は軽く手を挙げた。

 皆、食事を受け取るとトレイを持って、それぞれ開いている席に移動していった。

 安曇は、まっすぐに汐海の所にやって来た。
「お疲れ様です」と汐海が言うと、安曇も「ああ、お疲れ」と返してきた。
「こっち座っていいか?」
「どうぞ」
 汐海の答えを待って、席に着くと皿を眺めながら、安曇は口を開いた。
「ポークチャップ旨そうだな」
 安曇も同じ物を頼んだらしい。
「旨いですよ」
 汐海の発言に、安曇がほほ笑んだ。
 しばらく食事に集中していた二人だが、やがてぽつりぽつりと会話が始まった。
 特急乗務の事や、何だかやたらと撮影したがる人が増えた事を、安曇が話している。
 安曇の人気は凄かった。
 それでも、本人は気にせず淡々と業務をこなしている。
 個性的な同期が多いせいか、結構な名物車掌が多い世代だった。
「久しぶりに顔を見たと思ったら、まさかの同室になるなんてな」と安曇は笑っていた。
「そうですね」
「始発時間も近いし、目覚ましの時間を気にしないで済むのが良いな」
「他の部屋の目覚ましの音って、早朝だと響きますからね」
「まあ、目覚ましが無くても強制的に起こされるけどな」
「ああ、あの起床装置は恐ろしいですね」
「あれで起きない奴もいるけどな」
「凄いですね」
「装置を切って、二度寝したらしい。慌てて、たたき起こされていたけど、遅刻しないですんで良かったよ」
「ああ、有名な話ですね。奇跡的に間に合ったって」
「今回は、二人いるからそんな事にはならないだろうな」
「気を引き締めます」
「ああ、良いよ。休む時ぐらいゆっくりした方がいい。」
「はい」
「起きなかったら、起こしてやるから」
「迷惑をおかけしないようにします」
 汐海の発言に、安曇は笑っていた。
 食事が終わった後、少しだけのんびりして過ごした。
 その後は、風呂に入って、メールのチェックをした。
 部屋に入ると、明日の準備をしてから、ホントに早めに休んだ。
 明日は、夜明け前に起きなければならない。
 ツインの部屋なので、二人で寝坊する事も無いだろう。
「お休み」と安曇は言っていた。
「おやすみなさい」
 安曇が指導者だったころ、一度だけこの部屋に世話になったことがある。そのことを汐海は今、思い出していた。
 緊張の連続する日々、良い指導者に巡り合えたことを感謝していたあの頃。
 久しぶりに同じ部屋になったのも、何かの縁かもしれない。
 そんなことを思いながら目を閉じると、汐海はすぐに眠りに落ちた。
 部屋には規則正しい寝息だけが静かに響いていた。

 機械音で目が覚めた。
 起床装置が作動するより早く起き上がり、自分の側の装置を止める。
 安曇は、まだ眠っていた。
 汐海は音を立てないように洗面道具を持ち、顔を洗いに行った。
 冷たい水で顔を洗い、歯を磨いているうちに目が冴えてくる。
 そっと部屋へ戻ると、ちょうど安曇が起きたところだった。
「おはよう。早いな」
「先、使わせてもらいました」
「俺も、顔洗って来よう」
 安曇も洗面道具を持って出て行った。
 汐海は制服のシャツに袖を通し、身支度を始める。
 ここから先は、のんびりしてはいられない。
 少しでも気を抜くと、あっという間に時間が過ぎてしまう。
 制服に着替えると、鏡の前で乱れがないか確認した。
 身だしなみを整えることは基本動作のひとつだ。
 問題がないことを確認し、持ち物を鞄に詰め込む。すると、安曇が戻ってきた。
「お、相変わらず、支度が速いな。俺も早い方だったけど、汐海はもっと早いな」
 安曇がまた笑っている。
「鍛えられました」
「そうだな。俺も鍛えられたな」
 そう言いながら安曇も、次々と支度を進めていく。
 あっという間に制服へ着替え、乗務カバンの鍵をしめた。
「まずは点呼だ」
「はい」
 事務所へ向かうと、当直の助役が待っていた。
 二人はアルコールチェックと点呼を済ませる。
 事務所を出ると、運転士たちもやって来た。
 四人で列車の待つ構内へ向かって歩いていく。
 それぞれの列車へ向かう分かれ道で、安曇が声をかけた。
「じゃあな」
「はい」
「ご安全に」
「ご安全に」
 二人は挨拶を交わし、それぞれの列車へ向かった。
 運転士とともに安全点検を行う。
 始発列車に乗務するときには、いつも行っている大切な作業だった。
 朝の空気はまだ冷たい。
 夜明け前の薄明るい空の下、それぞれが列車へ乗り込む。
 ホームへの入線。車体がきしみ、車輪が規則正しい音を立てる。
 一日が始まる。
 列車の最後尾に立った汐海は、遠くの山並みから昇り始めた朝日を見つめながら、今日一日の安全を願った。
 汐海の乗務する列車が先に発車する。
 そして五分後、安曇の乗務する列車も静かに動き出した。

 終わり

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